『エヴァ』テレビ版感想:17話 中二病でもエヴァがしたい

いよいよ金曜ロードショー『序』の放送も終わり、『Q』の公開まで一週間を切りました。
本日TSUTAYAでDVDを最終巻まで借りてこようとしたのですが、金ロー効果のためか、つい先日まで殆ど借りられていなかったエヴァコーナーが殆ど在庫切れ状態に。おかげで6巻までは借りれたけど最終7巻が入手できず\(^o^)/
 
第17話、「四人目の適格者」
 
・17話はこれまでの日常がジワジワ終わっていく感じ。
全編しっかりと剣呑な雰囲気が漂っているが、どうも間のとりかたがいまひとつな部分も目につく。もうワンテンポ「タメ」が欲しいのに、画面がそのままポンと切り替わってしまう気持ち悪さ。こういうのはコンテではなく演出さんの問題なのかな。それか単にスケジュール的なキツさが現れてるとか?(全て素人感想)
 
・これまでもゲンドウとリツコが二人きりのときは空気が重いことが多かったが、今回はその亜種的シチュエーションが…。

ゲンドウ「レイ、食事にしよう^^」
綾波「はい^^」
リツコ「・・・^^」


うわわあああああゲンドウ逃げてー!!
 
・おっさん二人が電車で超絶中二病トークしてる絵面が非常にシュール。

冬月「都市(まち)、ヒトの作り出した天国(パラダイス)だな。」
ゲンドウ「かつて楽園を追い出され、死と隣合わせの地上という世界に逃げるしかなかった人類。その最も弱い生物が、弱さ故手に入れた知恵で作り出した自分たちの楽園だよ。」
冬月「自分を死の恐怖から守るため。自分の快楽を満足させるために、自分たちで作ったパラダイスか…。この街がまさにそうだな。自分たちを守る武装された街だ。」
ゲンドウ「敵だかれの外界から逃げ込んでる臆病者の街さ。」

 
・いつの間にかスイカを育ててる加持さん。「楽しいこと見つけたかい?」という加持の質問に黙りこんでしまうシンジ。前回までであればエヴァの操縦にそれなりのやりがいを見出していたはずなのだが、そうした「やりがい」自体、現実からの逃避に過ぎないのではないかという袋小路的思考に陥っているように見える。
  
アスカ「これ、私たちのシンクロデータね!…えっ、四人!?なにこれ、どういうこと?フォースチルドレンがなんでこいつなの?いやぁっ!わかんないわー!なんなのこれぇー!!」 台詞を書き起こしてるだけでもアスカの頭の残念さにクラクラ来ます。ダブルヒロインと言うけど、考えれば考えるほど綾波一択で議論の余地など無いように思える。
アスカの人間スペックの残念さについては、シンクロ率の低下などといった所に現れ、アスカ自身を蝕んでいるというイメージ。負の連鎖による不憫さがバネとなり、憎さ余って可愛さ百倍となる魔法のようなキャラ。アスカ可愛いよアスカ。
 
・次回予告。アメリカから、起動実験のため、エヴァ3号機が松代に届く。人々は明日の惨劇も知らず、最後の日常を謳歌していた。その日、全ての光景は、子供達の悲劇へと収束する。馴れ合いが偽造していた穏やかなときは去り、ミサトの心はシンジの絶叫で満たされる。次回、「命の選択を」。さぁーて、この次も、サービスサービスぅ。」
これまでのそれなりに楽しかった日常を「馴れ合いが偽装していた穏やかなとき」と一刀両断してしまうあたり、思い切りのよさが凄いw
 
いい加減ジワジワ胃に来るエピソードが増えてきて楽しいですね。次からはハイテンションな回が続くので楽しみ。
そんなわけで次回につづく。
・次回感想→『エヴァ』テレビ版感想:18話 ナディアの延長上にあるシンジの性格描写
・全話感想もくじ→『エヴァ』テレビ版〜旧劇場版/『新劇場版:Q』全感想目次

『エヴァ』テレビ版感想:18話 ナディアの延長上にあるシンジの性格描写

この辺からピリピリ感が凄いことになってくる。これまでは一時停止を挟みつつメモを取りながら観ていたのだが、18〜20話はノンストップで観てしまった。
 
第18話、「命の選択を」
 
・いつの間にかアスカが徹底的にミサトと顔を合わせないようにしていたらしい。アスカとミサトの仲はいつの間にこれほど険悪になっていたのか。16話「死に至る病、そして」と 17話「四人目の適格者」では内容が内容だけにアスカがフィーチャーされることがあまりなかったが、遡って考えてみると、15話「嘘と沈黙」のラストで既に関係に亀裂が入ってたのである。
アスカとミサトの軋轢は布石として置いておき、トウジと3号機の一件でシンジを突き落とす段になって、まとめて嫌な展開を持ってきている。巧みな構成である。
・トウジがエヴァパイロットに選ばれたことをなかなか言い出せないミサト。8話の「アスカ、来日」以降、エヴァに乗る辛さというのは段々麻痺してきていて、そのピークとも言えるのが16話「死に至る病、そして」での「戦いは男の仕事wwww」というシンジの台詞。「戦いは男の仕事wwww」というテンションが、いまやもう エヴァパイロット=世界の終わり」 くらいのものとして描かれていて、あまりの落差に笑えてくる。

12話の「戦いは男の仕事」のシーン
 
・ミサトの出張中、葛城家の子守り役を担う加持さん。おもむろに加持に対し、「お父さん(ゲンドウ)ってどんな人ですか」と質問するシンジ。ゲンドウについて「最近色々分かった」と言うシンジに、「それは分かった気がするだけ」と釘をさす加持。「人は他人と完全に分かり合うことなどできないが、それによって他人を分かろうと努力する。だからこそ人生は面白い」、と、作品テーマのかなり大事な部分を語ってくれる。しかしそうした考え方に単純に辿りつけないのがシンジ君であり『エヴァ』なのだ。

 
・3号機の暴走。「人を殺すくらいなら自分が死んだほうがいい」と断固戦闘を拒否するシンジ。この時点ではパイロットが誰であるかすら不明なのに、である。シンジは優柔不断な面があったりもするが、時折こうした変な頑固さがあって良い。
特に今回の場合は「殺すくらいなら死んだほうがマシ」という、なかなかラディカルなことを言っている。普通登場人物がこうした主張をすると、「反戦」みたいなテーマに結びつきそうなものだが、エヴァ』においては純然たる庵野臭として現前しているのが素晴らしい。完全に『ナディア』の「肉は食べない」系統のキャラクター描写に感じる。*1
 
・物語上はキャラのどういった側面を描くかというのが重要なので、ここで「エントリープラグ引っこ抜いてから戦えば良いじゃないか」というツッコミはナンセンス><

 
・次回予告。「シンジはついに、自らの意思でエヴァ初号機を降りる。ミサトは、少年の憤りと、心の傷を癒す言葉を持たなかった。繰り返される二人の別離。だが、二人に関係なく進行する最強の使徒が、次の惨劇を生む。破壊され、オブジェと化すエヴァ2号機と零号機。その様を直視する碇シンジの決断。次回、「男の戦い」。」
ビデオフォーマット版の予告では三石さんが珍しく「エヴァー」ではなく「エヴァ」と発音している!wテレビフォーマット版では「エヴァー」となっているし、結構レアな事例w
予告映像ではカットの間ごとに「怒りに震えるシンジの手」が映しだされる。「手」は次第にアップになって行き、怒りの高まりを感じさせる。最後には拳が振り落とされ、初号機の目がキュピーンとなっているカットに繋がる。格好良い。



 
次回、「男の戦い」だけど、『破』の公開後に鶴巻さんがパンフレットや『全記録全集』でシンジの心の動きについての解釈を色々語っていたので、そちらも再度確認せねば。確か庵野さんとその他スタッフの間の「シンジ像」のズレについて触れていたはずなんだけど。
そんなわけでつづきます。
・次回感想→『エヴァ』テレビ版感想:19話 『エヴァ』を貫くテーゼ
・全話感想もくじ→『エヴァ』テレビ版〜旧劇場版/『新劇場版:Q』全感想目次

*1:追記:この辺の解釈は無意識に『破』のパンフや『全記録全集』における鶴巻監督のインタビューに引きずられている部分があった。鶴巻インタビューに関しては次回の感想で詳しく触れる。

『エヴァ』テレビ版感想:16話 「袋小路感」の正体

みんな大好き電車回。
今回シンジくんがエントリープラグに閉じ込められるわけだが、感想の中盤以降では、そうしたところから読み取れるシンジとエヴァとの関係性の話を軸に、シリーズ全体を覆う「袋小路感」について改めて考えてみた。その取っ掛かりとして、当ブログでは以前からちょくちょく参照させて頂いている「ミクロKOSモス」さんの「潜水艦映画としての『エヴァンゲリオン』」というユニークな論考を参考にさせてもらった。
 
第16話、「死に至る病、そして」
 
・ハセシン回のアスカはやかましくて可愛い。

 
・加持との復縁があっという間に皆に知れ渡るミサト。


日向マコトミサトさん、なんだか疲れてません?」
ミサト「色々とね、プライベートで」
リツコ「加持くん?」
ミサト「うるさいわね!」

この会話も、あとから考えると日向くんが不憫だw 何気にマヤが会話を聞いているが、この辺、プライベートが筒抜けな村社会っぷりが素敵。

・シンクロテストでシンジに負けた悔しさをロッカーにぶつけるアスカ。ロッカーが被害に遭うのは7話のジェットアローン回でのミサトキックに続き二回目。監督の人生経験が作品に活かされていて素晴らs(ry

 
・バス内で「手」をグーパーするシンジ君。


「手」は特に序盤で重要なモチーフとして頻出したが、ここにきて反復される。シンジにとって「手」というのは現実との接点を実感するのに大きく作用しているように見える。ゲンドウとなんとなく上手く行っている上、シンクロテストも上々。「やりたいこととやるべきことが一致」したかのような気分が、手を嬉しそうにグーパーしている動作に現れている気がする。しかし『エヴァ』においてはこうしたシンジの気分は「増長」として、即座に叩き伏せられてしまう。実際この後には、前方に座っている小学生達がシンジのことあざ笑うシーンが続く。

ここまで絶妙に「死にたくなる」演出を他に見たことがない。『エヴァ』の中でも屈指の名シーンだと思ってる。
 
・増長した勢いで「戦いは男の仕事!」とか言いつつ、懲りずにグーパーするシンジ。

 
・使徒レリエルが作り出した虚数空間に閉じ込められ、精神世界を行ったり来たりするシンジ。


インナースペースでは非常に「エヴァっぽい」自問自答が行われる。「これまで体験してきた嫌なことから目を背けて、楽しいことにばかりにかまけるのは欺瞞的ではないか」と、シンジの別人格(?)が語りかけてくる。
 
・このエピソードではシンジの自問自答と並行して、エントリープラグ内の酸素残量が減っていく様子が描かれており、タイムサスペンスのような側面もある。

「エントリープラグに閉じ込められる」シチュエーションはシリーズを通して何度か出てくる(マグマダイバー、ダミーシステム起動時、EOE等)が、これについては以前読んだKOS氏による「潜水艦映画としての『エヴァンゲリオン』」という批評文が面白かった。この評論は「幻視球」のbono氏が編集した同人誌に収録されており、現在も通販で入手可能な模様。
ORBITAL I - 幻視球 | 同人誌通販のアリスブックス
 
KOS氏曰く、潜水艦の特徴は「狭い、暗い、怖い」という三語に集約されており、「潜水艦映画」には

1…独得の圧迫感による悲愴感
2…深海の圧力による浸水
3…神経を病むほどの葛藤
4…酸素・燃料の残量からくるタイムリミット

といった要素が当てはまる。庵野作品はしばしばこうした要素を有しており、特に『エヴァ』は「潜水艦映画」的であるというのだ(他にも『トップをねらえ!』などが例として挙げられていた)。
KOS氏は『エヴァ』が「潜水艦映画」的となった理由を、パイロットとロボット(シンジとエヴァ)の関係に着目し、次のように論じている(以下は僕による要約。本文はもう少し後ろの方でまとめて引用させて頂いた)。

・一般的なロボットアニメでは「ロボットは、パイロットの身体機能を拡張するものである」のに対し、『エヴァンゲリオン』という作品は「人間の心の底を描こうとした」ため、「ロボットの外皮をパイロットの側に縮小」するものとして描いている。
・『エヴァ』という作品は「極大化と極小化の二つのベクトルの交点」に存在するものである。

 
個人的にこれはなかなか納得の行く解釈で、以前マグマダイバー回の感想で引用した「BSアニメ夜話」での藤津亮太氏による、『エヴァ』がシンジを「成長させようがない構造」を抱えているとする捉え方(≒僕の言う「袋小路感」)とも繋がってくるように思えた。再度藤津氏の発言を引用させて頂く。

藤津 『エヴァ』って成長してもどこに行くか、よく分からないんですよね、あの世界だと。アムロって、戦場があって、社会があって、頑張ってる大人がいるんで、そこの一員になるっていう、成員になるっていうことで、大人のイメージがあるわけですけど。

 
奇しくも、KOS氏も『ガンダム』を『エヴァ』の対の例として挙げられていた。先立って内容の一部を要約させて頂いたが、ここで改めてまとめて引用させて頂く。
 

巨大ロボットは、パイロットの身体機能を拡張するものである。パイロットはそれにより、容易に超人願望をかなえることができる。このため、ロボットアニメは、少年が主人公であることが多い割にビルドゥングスロマンになりにくい。ロボットがある限り、主人公自身は成長しない(しなくてもすむ)からだ。ドラえもんのび太の関係と同じである。ロボットアニメがビルドゥングスロマンたりうるためには、ロボットに頼らずに生きていけるようになる必要がある。だから、『機動戦士ガンダム』のラストシーンで、アムロガンダムを捨てて仲間のもとへ帰るのである。
ところがエヴァにはこれとは逆のベクトルがある。身体機能をロボットの外郭に合わせて拡張するのではなく、ロボットの外皮をパイロットの側に縮小しているのである。おそらくこの現象は、『エヴァンゲリオン』という作品が人間の心の奥底を描こうとしたことに伴って生じたものだろう。極大化と極小化の二つのベクトルの交点。『エヴァンゲリオン』という作品はそこに存在する。
KOS(2010)「潜水艦映画としての『エヴァンゲリオン』」 bono/三浦大輔編 『ORBITAL The Animation Magazine 1』 pp.12-13

 
ここでの指摘で面白いと感じるのは、『エヴァ』が通常のロボットアニメと異なる部分にも、ビルドゥングスロマンとなりにくい理由を含んでいることを燻り出している点だ。
通常ロボットとは「身体機能を拡張」し、「容易に超人願望をかなえる」ものだ。ところが『エヴァ』ではロボットが「外皮をパイロットの側に縮小」しているようにも感じられ、容易には超人願望をかなえてくれない。よって、『エヴァ』では「ロボットを捨てることが必ずしもビルドゥングスロマンに繋がらない」かのような雰囲気がもたらされるのである。「成長物語」に仕立て上げるには、ひとつハードルが増えてしまっているというわけだ。
こうしてみると、KOS氏が『エヴァ』を「潜水艦映画」的たらしめているとする理由は、これまで僕が「袋小路」的と感じていたものの主要因な気がしてくる。また、作中では「逃げちゃダメだ」という言葉がシンジにとってある種の呪いとなっていたが、それは「潜水艦映画」的な息苦しさと負の連鎖を起こしていたとが考えられる……的なことを書こうとしたら既にKOS氏が自身のブログで同じことを書かれていた。ぐぬぬ…。

これは、夏コミで同人誌『ORBITAL』(絶賛委託販売中)に寄稿した「潜水艦映画としてのエヴァンゲリオン」の補足である。
 
私はその原稿を、「シンジたちが陽光の下で物語の結末を迎えられるよう願う」と締めくくった。繰り返しになるが説明しておくと、「陽光の下で」というのは、潜水艦映画になぞらえたハッピーエンドの比喩である。
 
では、旧『エヴァ』ではなぜそうならなかったのか?
答えは簡単で、旧『エヴァ』は「脱出する」という選択肢を、「逃げちゃダメだ」と封印することを出発点にしていたからである。その縛りに誠実すぎるほど忠実に従った結果、ああいう結末を迎えるしかなかった。

『エヴァンゲリオン』と空からの来訪者

 
「身体機能を拡張」してくれるタイプのロボットアニメは、主人公のロボットからの自律を「成長」のポイントとして設定できる。対して、『エヴァ』のようにロボットが「パイロットの側に縮小」してくるタイプのアニメは、ロボットとの関係性とは別に、主人公の自身の内面との対峙、あるいは、主人公と周囲の人々との関係性に、より重点が置かれる。
ひとまわりして当たり前に聞こえる結論となるが、『エヴァ』ではやはり、シンジがロボットを捨てても大丈夫となるよう、自分の感情や、周囲との人間関係を整理していくことが「成長」へと繋がるのだろう。KOS氏はそれを「潜水艦映画」におけるハッピーエンドになぞらえ、「海面に浮上して太陽を拝むこと」、「ハッチを開けても大丈夫なところまで移動」すること、と表現していた。
『EOE』ではハッチの開け方が少々強引だったためか、うっかり世界が滅亡してしまったが、果たしてシンジくんは新劇場版ではもっと上手く「浮上」することができるのだろうか。
 
・今回のサブタイトルは「Splitting of the Breast」。検索してみたら例によってアニメスタイルのコラムがヒットしたので、そこでの解説を引用させて頂く。

この話の英文サブタイトルは「Splitting of the Breast」。これは精神分析の言葉で「乳房の分裂」を意味し、幼児が母親の乳房に抱いているイメージを「良い乳房」と「悪い乳房」に分けてしまう心理的過程を云う。この話に於ける「良い乳房」と「悪い乳房」とは何か? シンジを飲み込んだEVAが悪い母親で、彼を救ったユイが良い母親か。「帰ってきたら叱ってあげなくちゃ」と云いながら、生還したシンジを見て泣き崩れるミサトも、ベッドで休んでいるシンジに優しく「そお、良かったわね」と云うレイも、この話に関しては、母親的なキャラクターに見える。第拾六話は母親をめぐる話でもあるのだ。

アニメ様の七転八倒 エヴァ雑記「第拾六話 死に至る病、そして」


この「母性」というモチーフも、これまで見てきた「潜水艦映画」的な息苦しさの問題と通底するよなぁ。
母親的な振る舞いをする綾波などに対して、アスカが距離置いた振る舞いなのは一応メモしておこう。
 
・初号機が暴走。ディラックの海から無理矢理出てくる。

ミサト「状況は!?」
日向マコト「わかりません!」
マヤ「全てのメーターは振り切られています!」

全て振り切れてるっていくらなんでもポンコツ過ぎるだろ…。メーターの数値が全部デタラメなのではないか説。あるいはマヤちゃんがメーターの数値をてきとーに読んでいる説。日向くんの「分かりません!」も、単純に数値の意味が分からないだけだよ説。
 
ディラックの海から帰還したシンジを見て泣き崩れるミサト。このシーンでこれまでになく心動かされた。ミサトのシンジへの感情移入度が以前より理解できているおかげか。はたまた自分がミサトさんに必要以上に感情移入ししてしまっているせいか。
 
・次回予告。「アメリカ・ネバタ州にて建造中だったエヴァ4号機が、起動実験中にネルフ第二支部ごと消滅する。予期せぬ事件に対し、沈黙を守る碇司令。自らシナリオを修正するゼーレの老人たち。そして、フォース・チルドレンが選出された。とらえどころのない不安と苛立ちを人々に与えながら。次回、「四人目の適格者」。さーて、この次もサービスサービスぅ」
トウジも久々に登場したと思ったらこの仕打ですもんねー。不憫。正しくは「ネバダ州」が、予告は何度聞いても「ネバタ州」に聞こえる。
 
そろそろまた本編の雰囲気が変わってくる頃合い。次回はペーソス漂いまくりだけど、そこから急転直下。気を引き締めていきたい。
そんなわけで次回に続く!
・次回感想→『エヴァ』テレビ版感想:17話 中二病でもエヴァがしたい
・全話感想もくじ→『エヴァ』テレビ版〜旧劇場版/『新劇場版:Q』全感想目次

『エヴァ』テレビ版感想:15話 私は雑巾になりたい

今週末中にテレビシリーズを見終えると決めた。でないと終わらないと気がついた。
 
第15話、「嘘と沈黙」
 
・加持の諜報活動。謎のおばさんが良い味出してる。

 
・何かのフェチに目覚めるシンジ。

・エレベーターで綾波と乗り合わせた際、翌日ゲンドウと会う約束があり、何を話したら良いか分からないと打ち明けるシンジ。ついでに「雑巾を絞ってる姿が“お母さん”って感じがした」「綾波って案外主婦が似合ったりして」等、コミュ障設定を忘れてハイレベルな口説きっぷりを披露。この話数ではシンジとアスカのキスシーンがあるが、綾波のこの表情を見た後ではあんな性格ブスといちゃつこうという気が起きないのも仕方がない(アスカ派にあるまじき感想)。

 
・ゲンドウとの面会を翌日に控え、ミサトの問いかけに寝たふりをするシンジ。

ミサト「怖いの?お父さんと二人で会うのが。逃げてばかりじゃだめよ、自分から一歩を踏み出さないと何も変わらないわ。」
シンジ「分かってるよぉ。」
ミサト「これから分かるのよ。最初の一歩だけじゃなく、その後に続けることも大切だってことが。とにかく、明日は胸を張って行きなさい。お母さんにも会うんだから。じゃ、おやすみ。」

ミサトさんの鬱陶しさはんっぱない。シンジからしてみれば大きなお世話でしょう。コミュ障仲間の綾波に積極的にアプローチして、ゲンドウとの会話のリサーチに動いてみたり、シンジなりに当日に向けて心の準備をしてきているんだよ!ミサトはミサトで自分の過去を重ねあわせてるんだろうけど…。
 
・12話「奇跡の価値は」でゲンドウに褒められたばかりのシンジは、今回なんとなくゲンドウとの関係がうまく行っている気になっている。18話「命の選択を」のトウジ関連の件で関係が咬み合ってなかったことはハッキリするのだが。今回の墓参りの場面の最後、ふたりが帰路につく際の方角の違いからも、既に感情の行き違いが演出されているような気がする。



 
・突然チェロを弾きだしてイケメン度を上げてくるシンジさん。

・今回は殆どBGMが流れないため、全編に渡ってどんよりとした雰囲気が漂っているのだが、おかげでミサトが酒の勢いで加持に諸々の感情をぶつける場面でかかるBGMは大きな効果をあげている。
  
・アスカが加持に抱きつき、「ラベンダーの香り」に気づいて、ミサトと加持の復縁を覚る描写があざとい。よっぱらいを担いで来たんだからそりゃ香水の匂いだって移るだろ、と思ってしまう。結果的に印象的なシーンになってるし、テンションがコロコロ変わるアスカも可愛いのでまあ良いか。

 
次回予告。「シンクロテストでアスカを抜き、ついにトップへ躍り出る碇シンジ。だが増長した彼はディラックの海に取り込まれてしまう。エヴァー全てのエネルギーが、ゼロに近づいていく。恐怖、孤独、極感が少年を包み込む。そして、生きるために残された僅かな時間が、彼に絶望を教える。次回、「死に至る病、そして」。さーて、この次も、サービスサービス」
次回マッキーコンテ回。お待ちかねの電車内心象風景演出が登場。
 
僕はアスカが大好きだけど、雑巾絞ってる綾波を見ているとどうしてもポカポカが抑えられない。しょうがないじゃないか、だって綾波ですよ!?
というわけで次回につづく(投げやり)。
・次回感想→『エヴァ』テレビ版感想:16話 「袋小路感」の正体
・全話感想もくじ→『エヴァ』テレビ版〜旧劇場版/『新劇場版:Q』全感想目次

貞エヴァ13巻 リツコが良かった


発売から遅れること数日、やっと貞エヴァの新刊を買ってきた。
概要はネットで遭遇したネタバレや、本誌を買ってる知り合いからの回し読みで知っていたのだが、シンジがアスカを助けにくるところで不覚にも号泣してしまった。
前向きなシンジに心動かされたとかそういう綺麗な理由ではない。貞エヴァ版の量産型エヴァのシーンはある程度熱血に描かれていて燃えるが、熱血なシンジそのものに心動かされたというよりは、未だEOE版のシンジに強い共感を覚えている自分を再確認させられ、強烈なデストルドーを誘発された形だ。
エヴァはかなり良くできているとは思うが、テレビ版〜EOEへの思い入れの強さから、つい悪口を言いたくなってしまう性分だ。「加持の少年時代」等、世界観の余白を埋めるテクストとしては嫌いではないが、これまでの話の本筋はテレビ版の縮小再生産に過ぎないという認識だった。だがここに来て、貞エヴァならではの価値を感じるようになってきた。新劇場版がわりと早い段階で「別モノ」路線を歩みだしたのに対し、貞エヴァは紛いなりにもEOEに該当する地点まではテレビ版をなぞってきている。おかげで貞エヴァとテレビ版〜EOEの差分を見れば、自分がエヴァのどこが好きだったか、すぐに答え合わせができてしまう。そういう意味では非常に価値がある。
エヴァがこれまで連載を継続してきたことは、素直に凄いと思う。十五年以上もの間(途中で中断をはさみつつも)一つの作品に取り組み続けることは凄いことだ。エヴァの場合は既に完成されているものを清書しなおしているようなもので、物凄くしんどそうなのだが。貞本さんが途中で鶴巻作品や細田作品の仕事をかけ持っていたのは、その辺のバランスを取る意味でも重要だったのだろう。
物語はいよいよ佳境だが、うまいこと着地できるだろうか。ここ最近は刊行ペースが2〜3年に一冊という形なので、完結までは早くて5年はかかりそうな気がする。下手をすると新劇場版よりも完結が遅れることになりそうだが、貞本さんにはこのまま新劇場版には影響されず、独自路線で求道していってもらいたい。

『エヴァ』テレビ版感想:14話 職人芸なクッション回

1日に2〜3話分の感想を書くとなると所要時間的に色々犠牲にしないといけなくなってくるのでいよいよ修行じみてくる。
 
第14話、「ゼーレ、魂の座」
 
・「サキエル」、「シャムシエル」等、使徒の名前が始めて出てくる。これらの呼称を考えたのは誰なんだっけ。庵野監督は気に入ってないようで、未だに無かったことにしようとしてるけど。



 
・今回AパートはBGMは極力使わず、SEとテロップだけで進行していてドライな感じが格好良いのだが、しばしば資料を読み上げる形で登場人物の長いモノローグが被さる。その中でも印象的なのが、ケンスケのもの。

相田ケンスケの個人資料より抜粋 碇は何も言わないけど、あの時目標の火粒子砲から零号機が身を呈して初号機を守ったんだと思う。いや、そう確信する。その理由は一つ。綾波だ。綾波は自分の存在を希薄に感じているように見えるからだ。ペシミズムとも違う何かを、彼女は既に持っていると思う。同じ14歳とは思えないほどに。

ケンスケさん、あなた何者ですかw どうやったら綾波の性格だけを材料にヤシマ作戦の工程を推理できてしまうんだ。
 
・9話のユニゾンキックはパイロット二人の叫び声がBGMで隠れてしまっていたけど、今回の総集編で始めて掛け声がお披露目。収録したのが無駄にならずに済んでめでたし。

使徒の侵入について、ゼーレに厳しく追求されるゲンドウ。今回(特にAパート)は総集編という意味合いが強いが、この出来事は前回の13話よりも後に起こったもの。総集編部分は「使徒にまつわる調査報告」を模して構成されるのだが、13話の使徒侵入は、ゼーレには「誤報」として通知されていたため、それを問いただしている場面としてしか描かれない。この辺芸が細かい。新規作画を一切使っていないエコっぷりも素晴らしい。

 
・Aパートで総集編らしい総集編は終了。Bパートは冒頭から雰囲気変わって、綾波の深層心理を覗き見る感じに。
のっけから綾波中二病ポエムで癒される。ポエムが終わると、これまでの作画を使い回しつつ、新しい展開が。

山、重い山。時間をかけて変わるもの。
空、青い空。目に見えないもの。目に見えるもの。
太陽、一つしか無いもの。水、気持ちの良いこと。碇司令。
花、同じものがいっぱい。いらないものもいっぱい。
空、赤い、赤い空。
赤い色。赤い色は嫌い。
流れる水。血。
血の臭い。血を流さない女。
赤い土から作られた人間。
男と女から作られた人間。
街、人の創り出したモノ。
エヴァ、人の創り出したモノ。
人は何?神様が創り出したもの。
人は人が創り出したもの。
私にあるものは命、心、心の入れ物。エントリープラグ。
それは魂の座。
これは誰。これは私。
私は誰?私は何?私は何?私は何?私は何?
私は自分。この物体が自分。
自分を作っている形。
目に見える私。
でも私が私でない感じ。
とても変。
身体が溶けて行く感じ。
私が分からなくなる。私が消えていく。
私でない人を感じる。
誰か居るの、この先に。
碇くん。
この人知ってる、葛城三佐。
赤城博士。皆。クラスメイト。2号パイロット。
碇司令。
あなた誰。あなた誰。あなた誰。

リツコ どうレイ、始めて乗った初号機は。
綾波 碇くんの臭いがする。

このポエムは、綾波が初号機に乗ってシンクロテストを行なっていたときのもの。最後の「あなた誰」という台詞に、初号機の素体の瞳とシンジの瞳が被さるように映し出される。初号機(ユイ)経由でシンジの残留思念的なものが綾波へと流れ込んでいるのだろうか。

・今度はシンジが綾波の零号機に乗る番。「綾波の臭いがする」という台詞が出るが、すかさずアスカに「なーにが臭いよ、ヘンタイじゃないの」とか言われる。綾波が言うと許されるのに、シンジが言うと変態呼ばわりされるという不条理。
・ダミープラグに難色を示す潔癖症なマヤたん可愛い。既に手が汚れまくりなリツコさんも素敵。

 
アスカ「どう、シンちゃん、ママのおっぱいは?それともお腹の中かな?^^」リツコ「アスカ、ノイズが混じるから邪魔しないで。」アスカ「はいはい!なによ皆してシンジばっかり甘やかしちゃってさ。」

アスカの性格の悪さには常々和まされる。
 
・実験中に零号機が暴走して、試験的に零号機に搭乗していたシンジがそのまま取り込まれそうになる。暴走した零号機は綾波などがいる管制室めがけてグーパン。ミサトは零号機が綾波を殺そうとしたのだと思ったようだが、リツコによれば零号機が殴りたかったのは綾波ではなくリツコの方。

 
そういえば零号機のコアについては謎が放置されてるんだっけ。シンジが取り込まれる直前に垣間見る目がイっちゃってる綾波のイメージから、個人的にはリリスの魂の一部が入ってる印象を受けるけど。

 
久々にエヴァwiki「零号機のコア」に関する設定を調べて、ざっくりまとめてみた。だいたい4つの説が存在するみたい。どれも矛盾する点があって、決定版は無いという印象。

リリス説:リリス=レイの魂は一つであるという弐拾参話『涙』でのリツコの台詞と適合しない。
ナオコ説:シンジがシンクロできてしまうのはおかしい。
魂なし説:エヴァには心がある」「エヴァには人の魂が宿らせてある」という台詞と矛盾する。しかし、魂にあたるのはあくまでパイロットであり、コア内の母親の魂はそのつなぎに過ぎないという反論も存在する。第拾四話『ゼーレ、魂の座』でレイはエントリープラグを「魂の座」と言っており、このことを裏付けているとも言える。
一人目のレイ説:一人目の綾波の魂が二体目の肉体に移行される際に、一部が分割されて零号機に移されたとする説。リツコの台詞によれば、「魂は分割不可能」だが、惣流・キョウコ・ツェッペリンが魂の一部を弐号機に吸収された後も、多少は意思を持って生存していたことを、魂は分割可能な根拠とする。
・『エヴァンゲリオン2』では「魂なし説」が採用されている。
 
EvaWiki “「零号機のコア」論争”から勝手に要約

http://evemedia.org/evawiki/%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3%E9%9B%B6%E5%8F%B7%E6%A9%9F#.E3.80.8C.E9.9B.B6.E5.8F.B7.E6.A9.9F.E3.81.AE.E3.82.B3.E3.82.A2.E3.80.8D.E8.AB.96.E4.BA.89

「魂なし説」も結構ソレっぽいけど、やはりこれでは零号機が暴走する理由が薄くなってしまう気がする。それだったら「一人目のレイ説」か「リリス説」のほうが納得できるかな。「リリス説」はリツコの台詞と合致しないと指摘されてるけど、「リリス=レイの魂は一つであるという弐拾参話『涙』での台詞」も、「(完全な形で定着する)レイ=リリスの魂は一つである」という意味であったと解釈すれば、無理矢理通らないでもない気が。……まあ、実際はこの辺の設定はスタッフの中でも適当なはずなので、そんなに重要ではないw
確か初見時は勝手にナオコの魂が入ってるものと思ってたけど、今見返してみるとナオコの精神はMAGIの方には息づいてるように描かれてるけど、零号機ではそれは感じないかな。
 
次回予告。「友人が次々と結婚していく中、一人焦りを感じるミサト。このままでは、引き出物を配ることなく、コレクターに終始しまう。マジにゲロマズな状況下。残された二十代すらもあと僅かしかない。三十の大台へのステップを着実に踏みしめている事実。果たして、加持との再開は彼女に与えられたラストチャンスなのか!?次回、「嘘と沈黙」。さーて、この次も、サービスサービスぅッ!」
ビデオフォーマット版の次回予告ふざけすぎwww テレビ放送版では「友人が次々と結婚していく中、一人焦りを感じるミサト。果たして、加持との再開は彼女に与えれたラストチャンスなのか。次回、嘘と沈黙。」という比較的シンプルなものなのにww 本編のシリアスな映像が浮きまくっててひどいw 最後の「サービスサービスぅ!」もヤケ気味で、いつもより語尾の声が裏返ってるw

 
・13話という特異なエピソードが挟まってるので分かり難いけど、12話「奇跡の価値は」でシンジ&ゲンドウ、ミサトの描写が一段落した時点で、鬱々とした展開へのステップが着実に踏みしめられているように思う。14話はそのクッションとなる回で、15話からスムーズに暗い展開へと繋がっていく(15話はまだドラマが先行しているが)。
今回、Bパートの綾波ポエム後は最低限の作画リソースで話が動かされていて凄い。コンテは庵野さん。こういった土壇場の工夫が素晴らしい。
 
今週中に全話感想が終えられるよう、なるべく毎日二話ずつ感想を書いていきたい。
というわけで次回に続く!
・次回感想→『エヴァ』テレビ版感想:15話 私は雑巾になりたい
・全話感想もくじ→『エヴァ』テレビ版〜旧劇場版/『新劇場版:Q』全感想目次

『エヴァ』テレビ版感想:13話 女性陣の色気がやばい

エヴァQ』公開まで残り10日。残ってる話数が半分以上。やばい、終わらない。
せめてひと月早く見始めていれば……とか言っていたも始まらないので、とにかく視聴を再開する。話題が思い浮かばないときは無理に話題を作ろうとしないことでペースアップを図る。
 
第13話、「使徒、侵入」
 
・使徒のネルフ本部内への侵入を隠蔽しようとするゲンドウ。11話の停電のときもそうだったけど、施設内の事故は徹底的に隠蔽しようとするね。それだけ政治的に危ういところでネルフが成り立っているということか。政府や軍部との確執を描いたドラマとか作ればそれなりに面白そうな気がするけど、その手のスピンオフって全然ないよね。
→14話で追加の描写があった。隠蔽していたのはゲンドウがゼーレからの追求を逃れるためだった。そうだそうだ、ゼーレがバックにいるので、ネルフの基盤は強いんだった。危ういのは中間管理職のゲンドウの方か。
 
・今回脚がエロい。狭い所でモゾモゾ動いてる感にフェティッシュを感じる。


作画監督が黄瀬さんということで、キャラクターの造形がEOEの前半部分を彷彿とさせますね。
 
・次回予告。ネルフ、そして人類補完計画を裏で操る秘密結社ゼーレ。彼らにより、ネルフの過去と現在が碇と共に検証されていく。使徒の襲来、碇司令の行動も、その死海文書の実現に過ぎないのか。全ての事象は与えられたシナリオの再現に過ぎないのか。人々の願いさえも、予定されたものに過ぎないのか。次回、「ゼーレ、魂の座」。さーて、この次も、サービスサービス!」
来ました総集編。アニメのポテンシャルは総集編のデキで9割決まると言っても過言ではない。個人的にはまるごと総集編だと捨て回という印象が強まるので、それよりはAパートが総集編、Bパートのラストで次回の重要な伏線となる新要素を提示…みたいな形が好き。その点エヴァウテナの総集編なんかは理想形。
 
凄い!減らそうと思えばここまで分量を減らせるのだ!普段本編時間の何倍もかけて書いているのが嘘かのように、45分くらい(本編視聴時間込み)で書けた!
……次回はもう少し実のある感想を目指します><
というわけで次回に続く!
・次回感想→『エヴァ』テレビ版感想:14話 職人芸なクッション回
・全話感想もくじ→『エヴァ』テレビ版〜旧劇場版/『新劇場版:Q』全感想目次