『ゴジラ-1.0』感想 つっこみどころはあるけど憎めない、VFXがすごい令和ゴジラ

ゴジラ-1.0』、公開初日と2日目に観てきました。公開直前の山崎監督とのトーク庵野さんも言っていたとおり、つっこみどころの少なくない映画でしたが、それはさておき、大変楽しめました。白組ありがとーーー!!!

 

悪い意味で「邦画っぽい」大げさな演技なので開始1分で不安が最高潮に達したものの、VFXがとにかくすばらしいのでトータルでかなり楽しめてしまうという剛腕な作品でした。『アルキメデスの大戦』でシリアスな画作りをやれる監督だとは認識していたのですが、実際そこは十二分に応えてくれてました。

つっこみどころは大小いろいろあり。たとえば冒頭、ゴジラが大戸島整備場を襲う場面で、眼前に怪獣がいるにもかかわらず直立した一団が「ダメだ! 逃げよう!」とお腹からハキハキと発声してはじめて駆け出す流れにまず頭を抱えてしまいました。そうした演技の味付けは以後もずっとその調子なので、ディズニーキャラクターがミュージカルシーンで突然歌い出すのと同じように、「そういう世界観なのだ」と一度受け止める必要がありました。

演技の方針だけでなく脚本も微妙で。テーマ上、主人公が特攻を全うできなかった後悔とゴジラを仕留めそこねた後悔を無理に重ね合わせようとして歪になっている……といった部分よりもさらに手前の問題として、「今すぐ避難勧告すべき!」と騒いだ次のシーンで記憶喪失したかのように日常生活に戻って案の定ゴジラに蹂躙される流れとか。もう少し展開を丁寧に繋げられなかったのかなというところが多々ありました。「ゴジラが戻ってくるかどうか分からない」みたいな台詞をまぶすだけでましになりそうなのに、何故……。

 

後半、対ゴジラ色が濃厚になり、旧海軍のキャラがメインになる都合上、「男たちの物語」っぽくなるのは良いんですが、それならせめてそれ以外で典子(浜辺美波)のキャラクターをもっとうまく見せてくれたらなというのも不満として残りました。

初登場時かなり「おもしれー女」寄りな見せ方だったのに、いつの間にか理解のある彼女ちゃん(※彼女でも妻でもない)みたいな都合の良いポジションに収まってしまったようにどうしても見えてしまった。電車での『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング』ばりの絶体絶命シーンは最高でしたが。

子役キャラの“劇中にガチの子どもが居る”感は、「自分の戦争が終わっていないにもかかわらず、突然子どもの面倒を見ざるを得なくなった主人公の戸惑い」の演出にもなっているようで、個人的には面白く見れました。最後に典子に駆け寄るところとか、もう少し子どもへの思いやりをにじませる見せ方ができないものかなとは思いましたが。

 

芝居演出の微妙さが随所にある一方、キャスト陣は本当に良くやっていたと思います。凄惨な展開を立て続けに経験させられ、神木隆之介が殺意と絶望で塗り固められたような眼をするようになるのは本当にすごかった。

予告で神木隆之介が「うぁあああーー!!!」と絶叫する銀座での場面は、そこだけ切り出すと演技過剰に見えて公開前に不安を掻き立てられましたが、本編だと至極真っ当な発狂描写で、「こんな目に遭えばこれぐらい絶叫するだろう」と、むしろ感情を乗せて見られる場面になっていました。

神木隆之介といえば、銀座での一件以降、頭に包帯を巻いた上に前髪をちょっと垂らしたスタイルや、革ジャンにゴーグルをしてゴツいバイクに乗るシーンなどはシンプルにかっこよかったのも良かったです。優等生がグレたような感じで、ニヒルで覚悟を決めた神木くんキャラも良いなと。

キャストは神木隆之介以外も良かったですが、中でも演技過剰を求められるのであればその演技過剰ならではの迫力を見せてやるという圧を発する安藤サクラがすごかったです。

 

冒頭の着陸と、最終決戦の離陸を対の構図にするベタな演出も素直に燃えました。冒頭の零戦と最後の震電では機体に込められた思想も対になっていて、前者は基本的に帰還を想定していない人命軽視な装備のため爆弾を剥き出しでぶら下げた着陸するだけで命懸けな代物であるのに対し、橘(青木崇高)が整備を担当した後者は……というのも良かったですね。

特攻まわりのオチについては、初見でもだいたい読めてしまうやつでしたが、やはりベタなだけあり感情が乗って素直に良かったなと思えるものでした。事前に吉岡秀隆に「大戦中は人命軽視により戦闘機には脱出装置も無く……」のような台詞を言わせた上で、決戦の離陸直前に青木崇高の台詞を思わせぶりに無音にしたりと伏線が分かりやすすぎるので、山崎貴はもうちょっと観客を信用してさり気なくしてくれても良いんじゃないかなとは思いましたが。

“電報”のところも露骨すぎだし。今回何箇所かオマージュがあった『ダンケルク』のノーラン監督なら、パラシュートが開いた瞬間に電報が届く編集にしてたと思うな!

 

頭部を爆破され沈んでいくゴジラと、空に差し込む太陽光のビジュアルは物悲しくも美しくてよかったです。ゴジラ体内から放出される青白い光も、怨念が成仏していくようなニュアンスが感じられました。

賛否が分かれそうな敬礼シーンは、違和感と納得を覚える難しい塩梅でしたが、個人的には賛寄りです。今作は物語の動力源が、主人公の元特攻隊員としての思いとゴジラを仕留めそこねた後悔という“個人的なもの”なので、最後に全員が一律で敬礼し始めるのはどうしても作為的に感じてしまいます。ただ、全体主義的な一律での敬礼ではなく、それぞれが体験したそれぞれの戦争が終わったのだと象徴付けてもいるわけで、表裏一体の危うさを理解した上で、あえてこちらの表現を選んだというのは伝わってきました。

加えて、山崎監督がファンを公言している金子修介監督の『ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』(以下、『GMK』)でも同様に結末部分に敬礼シーンがあり、オマージュ的な文脈との合わせ技でやはり“賛”寄りの感想になりました(オマージュについてはすっかり忘れていて、見終えてから他の人の感想を聞いて思い出しました)。

『GMK』は太古の日本にバラゴン、モスラ、ギドラなどの怪獣おり、それらを殺した後、「護国聖獣」として祀ることで霊をなぐさめていたという世界設定です。そちらではゴジラが太平洋戦争で命を散らした人間たちの魂・残留思念の集合体であることを示唆した上で、ゴジラを殺す決死の任務から帰還した軍人・立花泰三(宇崎竜童)が、「俺だけじゃない。仲間と、ヤマトの聖獣たちに」と言って海に向かって敬礼する流れでした。

ゴジラモスラキングギドラ 大怪獣総攻撃』より

ゴジラ-1.0』の最後、海中でゴジラ復活を予感させたところでゴジラのテーマを流しエンドロールに入るのも完全に『GMK』オマージュですね。なんならそこで出る『ゴジラ-1.0』のタイトルのムービングロゴも、ゴジラミレニアムシリーズっぽさを感じて、ちょっとうれしくなりました。

 

 

物語の温度感から演技方針まで『シン・ゴジラ』と徹底的に差別化した映画にもかかわらず、油断していると「ワダツミ作戦!」のように、シンゴジ大好きマンの山﨑貴が我慢しきれず表出してくるところとか。冒頭大戸島での大きすぎないゴジラを使ったエメゴジを思わせるパニックムービー感とか、不意なオマージュ気味な描写がこの他にもちょいちょいあって、憎めないポイントが妙に多い作品でした。

 

あらためて、戦後復興しきっていないタイミングでゴジラが現れたら、というアイデアの秀逸さ。そして山崎貴監督のそれまでのキャリアがなければ実現し得なかったであろう企画を、本当に実現してしまった時点で見事と言わざるを得ない内容でした。7年ぶりのゴジラ映画、ちゃんと面白かったです。