『蒼きウル』の企画→凍結→凍結解除の経緯

 知っているようであまり知らなかった『蒼きウル』について。ここのところインタビューを読み漁ったりしていたので、ざっくりまとめておく。個人的に目を通した範囲では、「クイックジャパン Vol.18」に収録されている30ページにも及ぶ山賀監督へのインタビューが必読な印象。インタビュアーは『スキゾ・パラノ エヴァンゲリオン』での熱を引きずっている感じの竹熊さん。あとはやはり岡田さんの『遺言』は面白いので読んでおいた方が良い。
 

庵野版 第一期『蒼きウル』(1992年ごろ)
 山賀さんは『王立宇宙軍』を監督した後、十年後に手がける監督作のため充電期間に入ると言い残し、新潟に帰郷*1。その言葉の通り、その後5年間は新潟の映画館で仕事をしたり、アニメに関わる場合にも脚本を担当するに留めていた。『トップをねらえ!』や『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中野戦争』の脚本も新潟で書かれたものらしい。
 5年後、『ふしぎの海のナディア』が終わった頃。ガイナックスでは新しいアニメ企画がなかなか生まれずにいた。このままでは金食い虫のアニメ部門が閉鎖に追い込まれる*2ということで、山賀さんは赤井さんに新潟から呼び戻され、庵野さんが監督を引き受けてくれるような企画を作ろうと持ちかけられる。この時企画されたのが第一期『蒼きウル』である。ここで山賀さんが「いい加減山賀が監督をやれ」と言われなかったのは、巧妙に「俺は十年かけて次回作の準備やってる」とアピールし続けていたため。
 第一期『ウル』はそれなりに作業が進んだ所*3で、スポンサーが資金を出せなくなってしまう。しかしスポンサーが手を引いたにも関わらず、止まらない山賀さん。「だってその時点で庵野はまだ止めてないわけだから。その時、僕が心に決めていたのは、プロディーサーは最期に止めるんだと。監督が止めない限り、プロディーサーが止めるわけないじゃないかと」*4。この辺で、武田さんサラ金で800万の借金を抱えてわりと滅茶苦茶なことになり、会社をやめることも考えたらしい*5
 そもそも『ウル』という企画に対してエンジン全開という感じでもなかった庵野さんは、並行して、大月プロディーサーと『エヴァ』の企画について話し合っていた。この頃、企画を進めたい大月さんが「どうだ、ウル、つぶれたか、つぶれたか」庵野さんに電話をするという心温まるエピソードがある*6。『ウル』を強行すれば会社が潰れそうだったこともあり、庵野さんは『エヴァ』の企画が固まった段階で、やはり『ウル』を降りることにする。そこではじめて、山賀さんは『ウル』の凍結を宣言した。
 第一期『ウル』はそこで頓挫したが、当初の目的は庵野に監督をやらせることだったので、ある意味結果オーライであった。この時ガイナックスがかぶった出費は2億円近かった。既に出世したりしていた『王立』時のスタッフを呼ぶのにお金がかさんだようである*7
 
■山賀版 第二期『蒼きウル』(1998年ごろ)
 山賀さんとしては『王立』の後、次回作を十年かけて作るつもりだったのに、第一期『ウル』の時はまだ五年しか経っていなかった。そのため、その当時の自分の全てを込めつつも、自分の手に余るものを庵野さんに投げていた部分、庵野さんのために作っていた部分なども入り交じっていた。これらを山賀監督なりに熟成させたものが第二期『ウル』となる予定だった。
 第二期『ウル』は、具体的な手順としては、1998年中に発売予定だった『ウル』のゲームに登場する7人のキャラクターにそれぞれスポットを当てた短編小説を7作発表し、それに続く後8作目として映画『蒼きウル』を公開する予定だったらしい*8。現在、山賀さん自身による『ウル』の小説が執筆されていたことは、あまり知られていないように思う。このことは1999年にアメリカで開催された「FanimeCon」というイベントで収録されたインタビュー映像でも確認できる*9
小説に関する言及は5分40秒過ぎより

 山賀版『ウル』は2000年までを制作期間とし、2001年には公開される予定だった。この時、制作費は15億円となる予定であった*10。なお、先に話題にしたゲームは予定がずれ、2000年に『蒼きウル コンバットフライトシミュレータ プレーン&ミッションモジュール』シリーズとして発売されたようだ*11。このシリーズには1作目と2作目が存在するが、キャラクターがちゃんと登場するのは2作目からだ。ただし、パッケージイラストからはキャラクターは5人しか確認できない。この時点で山賀版『ウル』の予定が、当初から相当ずれてきていたということだろうか。これらのゲームは先日購入したので、プレイしたらまた簡単な感想を書くかもしれない。

 
■『蒼きウル』は『トップをねらえ!』をヒントに企画された?
 『ウル』に関しては、ガイナックス元社長の岡田さんの証言も面白い。彼は第一期『ウル』の制作が始まった頃には退社していたはずだが、『王立』終了後の企画の流れに関して、かなり詳しく回想している。岡田さんによれば、『ウル』は構想段階ではフルCG劇場映画も想定していたようだ*12。ただしこれはPCがX86000しかなかった時代に出た案と書かれているので、おそらく第一期『ウル』以前の、『王立』終了直後、山賀監督が暗中模索していた時期の構想と思われる*13。フルCGでというのは、「制作に入れば、三年後にはアニメーション技術が進化して、追いついてくるからできるはず」*14という、当時としてはかなり無茶な発想だったらしい。大作であった『王立』の直後ということもあり、山賀さんはこの頃、他にもトレスコ(三つのスコ=ロトスコープシネマスコーププレスコを用いた作品、という意味の造語)での作品等、肩に力の入りすぎた企画ばかり考えていたようだ。岡田さん自身こうした力みはあったようで、こうした傾向を『王立』症候群だったと振り返っている*15
 一方その裏で、庵野さんは山賀さんや岡田さんから殆どおふざけとみなされていた『トップをねらえ!』を見事傑作へと押し上げていた*16。岡田さんは、『ウル』はそうした状況を受けて企画されたものだったと言う。

だからね、後に山賀君が『蒼きウル』の企画を考え出した気持ちはわかるんですよ。『蒼きウル』は山賀くんにとっての『トップをねらえ!』なんですね。「なんで庵野はあんな風に上手くできて、俺の方は『王立』の後、代表監督作品がないままなんだろう」と考えた結果、「肩の力を抜いて、これくらいエンターテイメントに徹さなきゃだめなんだ」という回答を得たのだろうとは思います。*17

『蒼きウル』で僕が「こんなのしねえよ」って言ったのは、「『蒼きウル』程度の企画じゃねえだろ、お前は」っていうふうに感じたからです。*18

未だに『王立』の次に何をやるのかというテーマは僕の中でもペンディング中です、もし今日、この場で山賀君が入ってきて「岡田さん!新しいの思いつきましたよ!」って言ったら「じゃあどうしよう?」って今から話し始めるくらい続いてるんです。*19

 岡田さんは今年、『ウル』の企画再始動が伝えられた際にTwitterで複雑な心境を垣間見せていたが、上記の発言からもそれが伺える。
 
■『蒼きウル』のテーマ/『紅の豚』と『ストリート・オブ・ファイヤー
 岡田さんからはこの他にも、『王立』が『ナウシカ』のショックを受けて作られたものであるように、『ウル』が山賀さんの『紅の豚』からのショックを受けて作られようとしたものだという証言がある。

「『紅の豚』と呼ばれる戦闘機乗りが本当にいたら、こうだぞ!」という話が、『蒼きウル』の主人公です。おまけに「カッコイイとは、本当はこういうことだぞ!」というのが『蒼きウル』の根幹のテーマなんです。『蒼きウル』の話で、カッコイイとは何かという議論をよくしました。その当時、僕らの中で思考停止なほどかっこいいものは、『ストリート・オブ・ファイヤー』(一九八四)しかない!というのがガイナックス全員の一致した結論でした。(中略)だからプロットは「お姫様が敵の飛行機乗りにさらわれた!主人公はそれを助けに行く」という、それはもう一〇〇パーセント『ストリート・オブ・ファイヤー』です。*20

 『紅の豚』から『ストリート・オブ・ファイヤー』に行ってしまうのはガイナックスらしいと言えばらしい。また、山賀さんの「クイックジャパン」でのインタビューを読むと、確かに宮崎さんを意識した発言をしている*21

ヒーロー者ということで、自分なりの考えをもう少し述べますとね。正義と惡がはっきりしないんじゃないかということを、僕の記憶では宮崎駿さんがやたらと雑誌で八〇年台初頭に言っていたような気がするんですけど。僕はその件に関して、何のコメントも持たぬまま、『王立』を作ってたんです。その時には冒頭のシロツグの台詞通り、「いいことなのか、悪いことなのか分からない」って書いたんですけど。ただ、また迷う話をやってもしょうがないと、ずっと思ってたんです。迷うは迷うで、どっちみち僕が言ってることなんか、正しいかどうか分かんないわけですから。なら、正しいと思うことを主張するぞ、っていうのが今回のテーマですね。*22

 こうした点がどのように、完成した作品に反映されるか(あるいはされないか)というのは、気になる部分だ。

 
■そして第三期『蒼きウル』へ
 山賀版『ウル』の制作が発表されてから約十年の間、続報という続報は無く、制作はひっそりと止まっていたようだ。そして周知の通り、今年になって突如『ウル』制作再開のアナウンスがされた。いわば第三期『蒼きウル』だ。

蒼きウル:ガイナックスの凍結アニメが20年ぶり再始動 - 毎日jp

 第二期『ウル』を無かったことにするかのように、「20年ぶり再始動」という報じられ方をされていることからも、第二期『ウル』は資金難のため、制作が実質的に進んでいなかったのではという感じがする。だがガイナックスは継続的にスポンサー探しはしていたようで、2008年にドイツで行われた「Connnichi」というイベントでは、山賀さん自らこの事に触れていた(らしい)。

Une nouvelle production du studio Gainax au printemps prochain (?) - 漫画アニメーション.net
Pour rester dans les infos qui ne meneront peut etre a rien, Rukawa a rapporte ce petit bout d'info du Connichi 2008, Hiroyuki Yamaga espere toujours trouver les moyens financiers necessaires a la production de son film Aoki Uru. Il croise les doigt pour avoir le budget qu'il s'est fixe en 2009 (on est de tout coeur avec lui) et je suppose alors, relancer la machine.
記事によれば、「ルカワさんがconnichi 2008 に行った際持ち帰った情報によれば山賀さんは蒼きウルの制作資金探しをまだしている」とのこと。※ルカワさんがどなたなのかは不明*23
この辺、前後を全部訳してくれる人が颯爽と現れてくれないものかなー(チラッ

 おそらく資金集めに関しては、表立っては見えない地道な努力があったのだろう。当初10年間の充電期間の後、『王立』に続く超大作を手がける予定だった山賀さんだが、そうこうする内に既に25年以上が経ってしまった。勿論、途中何本もの作品に脚本やプロディーサーとして参加し、『まほろまてぃっく』、『アベノ橋魔法☆商店街』といった監督作も手がけている。しかし最後の監督作から数えても、やはり12年が経過しているのだ。山賀さんは2012年のインタビューで「やりたいプロジェクトはあるか、もしくはもう無いのか」と聞かれ、「やりたいプロジェクトだらけであり、やり遂げたことは殆ど無い」と答えている*24。それだけに、『ウル』が公開され一区切りついたら、今度は案外コンスタントに作品を発表するのではないかという気がする。しかしまずは『ウル』が渾身の力作になるはずなので、やはりそこに期待したい。練りに練っての発表なので、きっと第一期、第ニ期の頃には無かった勝算を引っさげてのものになるはずである。
 
この記事の参考文献

遺言

遺言

*1:実際には最初はしばらく東京に残り、『王立』の次に何をやるか、岡田さんと延々打ち合わせを重ねていたようだ。

*2:当時のガイナックスはアニメの知名度はあったものの、赤字続きで、それをゲーム部門で補うという形だった。

*3:先日僕が購入した「蒼きウル 凍結資料集」もこの頃の資料をまとめたもの。→「蒼きウル 凍結資料集」を手に入れた - さめたパスタとぬるいコーラ

*4:クイックジャパン Vol.18」 p.192

*5:『のーてんき通信 エヴァンゲリオンを創った男たち』 p.157

*6:『スキゾ・エヴァンゲリオン』 p.149

*7:クイックジャパン Vol.18」 p.190

*8:クイックジャパン Vol.18」 p.194

*9:ただしこの映像ではなぜか、この時執筆していた小説が『蒼きウル』の関連作であることは明言していない

*10:クイックジャパン Vol.18」 p.194

*11:ここで“ようだ”としたのは、「クイックジャパン」で山賀が言及していたゲームが本当に2000年に発売されたゲームシリーズと同一のものなのか、確認できる情報が見当たらなかったためである。

*12:『遺言』 p.152

*13:Wikipediaによると、X60000は『王立』の公開年と同じ1987年に発売されているとあるため。

*14:『遺言』 p.152

*15:『遺言』 pp.155-157

*16:山賀さんは当初、「どうせこれはよその会社に売り渡しちゃう企画だし、一生懸命にやっちゃいけない」と思ったそうだ。一話の脚本につき六時間しかかけないと決めた山賀さんは第一話を岡田さんからもらったプロットの通りに書いた。二話からはギャグ調だった内容が、段々自分色を出しつつ、感動的なものになってしまった。社のファックスで偶然その内容を見た庵野さんが感動のあまり泣いてしまう。そこではじめて、庵野さんが監督を引き受けることになる。「僕はその時、すごい迷惑だと思ったんです。それで後半、庵野がここを書き直してくれと言って来たけど、僕は拒否したんです。「脚本にリテイクを出して割に合うような仕事じゃない」って。そうしたら庵野なりに、後半は自分で僕のシナリオを直していった」というくらい、当初山賀さんの『トップ』へのスタンスは冷めていた。当初『トップ』には自分の名前を出すのも嫌で、「岡田斗司夫」名義で参加していたというのは、今となっては有名な逸話だ。

*17:『遺言』 pp.157-158

*18:『遺言』 p.152

*19:『遺言』 pp.147-148

*20:『遺言』 pp.271-272

*21:ちなみに宮崎さんと山賀さんは「キネマ旬報」1987年3月下旬号で『王立宇宙軍』や作品論について激しい言い合いをしているらしい。先日その号をポチったので、届くのが楽しみ

*22:クイックジャパン Vol.18」 p.196

*23:フランス語が読めずで困っていたところ、Twitterでサクッと訳して下さった方ありがとうございました。

*24:https://www.youtube.com/watch?v=7ACCXWyvW-w ※4分40秒過ぎ