僕の世界もそこにある世界だ。 : 『少女革命ウテナ』総感

 最近物凄くブログ更新を怠ってます。夏休み明けで忙しいというのももちろん大きな理由ですし、前に書いたように、そもそも記事のネタとなるアニメ視聴ができてないというのもひとつの理由です。しかし一番の理由は他にあって、書きかけで止まっている『ウテナ』の感想が、本編を最後まで観たところ作品が想像以上に大傑作であったために、ウテナについてきちんと書いてからでなければ他の記事は書けないなという気持ちがある一方、あまりいいかげんな事は書けないぞという、ある種の勝手なプレッシャーを感じてしまっていたためですw そうして手が止まってしまった時に、とりあえず何か書き出してみようとするのではなく、何を書くかは後で考える事にするか!となってしまうあたりが、小学校の時から「夏休みの宿題は後回し理論」で生きてきたダメ人間の性なのかもしれません。しかし来期アニメの波という締め切りも押し寄せてきてますので、むりくりにでも何か書かねばと思い、今回一応のウテナ総括感想を書きました。
※以下ではウテナの結末部分について触れまくってますので、未見の人は回れ右でそのままTSUTAYAに行ってDVDを全巻レンタルしてきてください。ブログの続きは読まなくてもいいですが、ウテナは観といたほうがいいです。でないと人生大損です。あとwikipediaの『ウテナ』記事はネタバレだらけなので未見の人にはオススメしません。

世界の革命とは何だったのか
 作品感想とはまた別の話ですが、以前書いた『ウテナ』を25話まで観た時点での自分の感想を見返したところ、主題の方向性に対する「読み」が当たらずも遠からずというか、それほど外れてなかったようで少々安心してますw(素っ頓狂なトンデモ中二病コメントもしてたりしますが、そこは初見感想の醍醐味ということでスルーw)「目の前の現実を真摯に生きろ」なんてありもしないメッセージを受け取りそうになってたあたりはおいおい大丈夫かという感じもしますがw
 というわけで、作品内で革命された「世界」とはやはり「個人の価値観」のことでした。
 当初の僕の勝手なイメージとしては、「“世界”を革命する」という言葉の響きから、人類補完計画のような、人類全体の価値観の革命のようなものを想像していました。しかし最終回の終盤、学園世界で流れる日常はあまりにもそれまでと変わりなく、学園では一部の人間を除き、変化を感じ取っている人間は殆どいませんでした。そしてそのことが、「視聴者」という第三の視点から作品世界を眺めている「僕」には寂しかった。世界からウテナがいなくなってしまうなんて。みんなウテナを忘れてしまっているだなんて。
 しかしその寂しさの反動もあって、ウテナが起こした革命の正体が明らかになった時に感じた鮮烈な感動といったらありませんでした。「少女革命ウテナ」とは良く言ったもの。革命されたのがアンシーの価値観、「こころ」だったとは。28、29話に颯爽と登場し、あっという間に退場したルカというイケメンさんがいました。余命わずかなのにも関わらず、彼はジュリ先輩のために悪役演じ、ジュリ先輩のために奇跡の力を得ようとしていました。そんな彼が語った言葉に「奇跡は誰かの犠牲の上に起こる。それに無自覚であることは罪だ。しかし、そんな者にこそ、奇跡は起こるものだ」というようなものがありました。この言葉の重みも相まって、奇跡的な革命を経験したアンシーが最後に「ウテナ・・・!」と、学園世界を後にし、外の世界に旅立つ場面の感動が際立ったように感じました。
いつか一緒に輝いて
 アンシーだけはウテナの事を覚えていてくれたという感動。ウテナが願った革命は成されたのだという感動。その革命を目の当たりにする感動。そして、エンディング曲の「rose&release」と共に不安と期待を半々に感じながら、これまでの学園世界に別れを告げ、確信を持った眼差しで外世界へと旅立つアンシー(とチュチュw)を見守ったときの感動。たった一つのシークエンスでこれだけ感情の雪崩を経験する快感。
 庵野秀明監督は安野モヨコのエッセイコミック『監督不行届』において、『エヴァ』で達成できなかった事(そして安野モヨコの作家としての特徴)として、作品を見終わった人にとって、作品が現実逃避の装置として機能するのではなく、見た人が現実に帰っていく時にエネルギーになるような作品を創ることを挙げていました。その点においては世界の殻を破り、自己の世界の外へ旅立ったアンシーを描ききった『ウテナ』はエヴァを超えたと言えるかもしれません。わりとじめじめした話も多いシリーズでしたが、少なくとも僕は最終回まで観終えて、非常に前向きな気分になりました。本当にこのアニメにこのタイミングで出会えて良かった。
 正直ウテナを観終えてしばらく燃え尽きてました。そして燃え尽きている間に、最終回が鮮烈過ぎたために、途中の数々の名エピソードの記憶が記事にする前に段々と薄れていってしまったのは残念です。しかしまあ、この作品はいつか観返す事もあるでしょう。そのときに何か感じる事があれば、また記事にしてみようと思います。