ピングドラム9話感想(Part 1/4) J.A.シーザーばりのエキセントリック

ピングドラム9話はとにかく凄かった。完全にやられた。
まず眞悧という新キャラ。こいつがヤバすぎ。そらの孔分室という静かな空間で突然「シビれるだろう?」とあの声で言われたらそりゃシビれる!あんな細身のピンク髪イケメンキャラに小泉さんのねっとり格好良い声を乗せようって発想がそもそも狂っているし、最高だ。眞悧登場シーンのBGMの重ね方もファビュラス。シュタッとハシゴから飛び降りる時のカット割りもシビれる。なぜ一回ペンギンの顔のアップを挟む必要があったのか。しかし格好良い。素晴らしい。『ウテナ』の暁生さんと御影草時がイッペンにやってきたぞー!という感じだ。ファビュラスマックス。
ARBの「灰色の水曜日」がBGMとして流れ出す一連のシーンではあまりの凄さに気づけば涙が出たほど。

 
涙が出るほど凄いと感じたのは理解を超える場面の転換が起こっているにも関わらず、観ていて気持ちよさが全く損なわれていなかったから。さながらJ.A.シーザーの合唱曲の歌詞を追っている時のような不思議な感覚だった。ちょっとここで、以前読んだシーザーのインタビューで印象的だった部分を引用。

――アニメの主題歌のお話が来た時は、意外だったんじゃないですか?
JA もちろんです。それに出来合いの曲を使うということを聞いてまたまた驚きましたよ。「うまく使うことが出来るんですか?」って聞いたら、「いろんなことをまったく無視してやってみたいんだ」と言うんです。
――監督の幾原さんですか?
JA ええ、いろんな融合性にチャレンジしていきたいって。でも小劇場の芝居っていうのは意味の分からない曲をリーディングしたり、まったくシーンと関係ない演歌を流したりしてますし、街を出たって自分の人生とはまったく関係ない音楽が流れているわけだから可能性はあるなと。しかしテレビの枠で考えたらアヴァンギャルドな事ですよね。話をするといろんな事を知ってる人でしたし、それに彼自身の原体験を基盤においてやっていると思ったんで、「じゃ、お願いします」とOKしたんです。(中略)
JA アニメというものはもともと動かないものが動くって事じゃないですか。魂を与え、役柄を生きさせる。そういう意味じゃ、演劇とは大きく違わないんですよ。特に我々の劇団では俳優の無化から始めるんです。そして、役柄に魂を与えるように、動かしていく。さらには無いものや、一生出会わないであろう言葉と出会わせてゆくという方法をとってるんです。そういう面では、意外とアニメ的かもしれない、という気はするんです。(中略)
――あの戦闘曲は、かなり効果があったと思うのですが、最初アニメファンはびっくりしたようです。詞も熟語を羅列したようなもので、その斬新さにショックを受けた人も多いようですね。
JA ショックも効果も話題性もたしかに大きかったと思います、でもそれが僕の曲だったからとは言いづらい。むしろ、僕がアニメ、しかも少女アニメに曲を提供したって事の話題性の方が大きかったんじゃないですか(笑)。たしかに僕の詩はビジュアル性を持たせることに重点を置いています。古い言葉や哲学的用語、さっきも言ったように、一生出会わないような言葉と出会わせることを念頭において作るんです。いわゆる地下言語、暗黒言語なんですよ(笑)。教科書では見られない言葉といったものを多く使うようにしてるんです。
――でも、確かに劇中歌っていうのは、公辞苑をひかないと分からないような言葉が使われる場合が多いですよね。特にシーザーさんの場合は、独特な五・七・五調と漢字の羅列で言葉をひっぱり出して来る、というような世界ですよね。
JA これほどまでになってしまった情報化社会だと、日常会話というのがより分かりやすいもの、より簡略化したものになってしまってきてますよね。ストレートな使い方しかしなくなってしまっている。中身をどんどん削っていってしまうようなきがするんですよ。…そうは言うものの、実は僕は言葉ってのをあまり信用していないんです。言葉って在って無いようなもの思ってますからね。例えば「愛してる」って言葉があるけど、それを使った人に本当に愛を知ってるのか、って聞きたくなりますよね。まあ、言葉は覚え方、使い方によっては為になるけど、ならないことの方が多いってことだよね。人間にとって本当に言葉が必要なものかどうか、とも思っていますからね。
 
少女革命ウテナ 薔薇の黙示録』青林工藝舎 pp132-134

 
このインタビューでJ.A.シーザーは「一生出会わないような言葉と出会わせることを念頭において作る」と言っているが、そうしてできたものが受け手を単に置いてけぼりにするのではなく、見て聞いてワクワクするように仕上げるというのは、やはり並大抵のセンスでできることじゃないはず。『ウテナ』の決闘シーンではシーザーの曲+奇抜な演出がそうしたエキセントリックさを支えていたと思う。『ピングドラム』の9話ではどうか。9話全体では武内宣之によるシャフトっぽい演出がそれに当たるのかなと思うが、先ほど言った「灰色の水曜日」の一連のシーンではそれを抜きにしても、それぞれ一枚の絵としてのビジュアルインパクトが凄すぎる。陽毬が林檎を見つめながら落下していると思ったら、次の瞬間には膝を抱えた子ども達のピクトグラムが映り、「こどもブロイラー」というショッキングな記述付きの全体像が映る。あらかじめこちらが持っている予想や、その場その場での理解を超えたビジュアルが目に飛び込んできているにも関わらず、それが不愉快でなく、むしろ気持ち良いという、何かがスパークした不思議な感情になった。
この「灰色の水曜日」が流れる部分はあまりにも気持ち良かったので、繰り返し流していたのだが、ある時ふと、見え方が違って見えた。(→次の記事へつづく)
 
おまけ

エキセントリックなシーザーの曲の例
 
ウテナ』のネタバレを含むので、本編未見の人は終盤のネタバレ満載な下二つの動画は見ないほうが良いかも