小説版 『フラクタル/リローデット』 : 飛影はそんなこと言わない!

 東浩紀によるノベライズ版フラクタル1話読みましたが、なかなか面白かった。というか凄く面白かった。今月号の「ダ・ヴィンチ」に載ってるんで気になる人は読んでおく事をオススメします。恐らく現時点でこれを読んでネタバレ食らってアニメ版の楽しみ半減という事は無いはずです。あずまんのインタビューも載っていてそっちも面白かったですよ。
 フラクタルの設定については何もしらなかったんですが、こんなだったのか。ラジオで東のエデンを意識した設定にしたというのを聞きましたが、エデン以上に現代社会意識した設定がぶち込まれてんのね。アニメ版ではこうした設定は相当薄まるらしいけれど、実際どの程度名残があるんだろう。案外綺麗さっぱりなくなっていて普通の冒険活劇になってるのかも?
 小説版はアニメ版の200年後の世界が舞台で、200年前に何があったのかというのをアニメ版主人公の子孫が探っていく感じなんだけど、この方式はうまい。過去に何があったのかは良く分かっていないとする事で、ループだとかギャルゲー的なルート分岐だとかとは別種の二時創作のスタイルを提起してますねw 個人的に知っている範囲だとこの方式はあれですね、『無責任艦長タイラー』と『真・無責任艦長タイラー』的という事なのかな。何かの後書きでタイラーの作者の吉岡平さんが「本作のストーリーは7割の事実と3割の脚色で成り立ってます」的な事を言っていました。(記憶が曖昧なので比率とか微妙に間違ってるかもしらませんがw)つまり、お話に出てくる登場人物達の行いが実際に過去にあったものだと仮定すれば、小説やアニメといったメディアでそれを発表しようとした場合、そこに作者なりの美化なりなんなりといったものが入る。それが「3割の脚色」という事ですね。そうした考えに基づいて、「タイラー」シリーズには最初に出版されて様々な作品の元になった『無責任艦長タイラー』という小説があり、それを元にアニメ版『無責任艦長タイラー』ができ、またさらにそれらの作品を受けて、再々度小説版の『真・無責任艦長タイラー』が生まれた。この「作品には3割の自由度がある」という考え方は昔から好きでずっと心のどこかに残っていたので、今回ノベライズ版フラクタルとを読んでふと思い出しました。