輝きのタクト 11話感想 : わかりました、あなたは世界を革命するしかないでしょう。ノブレス・オブリージュ、あなたが幸福な王様たらんことを。

今回は人妻女子高生が世界平和のためにノブレスオブリージュを全うしてた事が明らかになるお話。
 ・どれだけ夜更かししても自分より早起きなカナコは一体いつ寝ているのか?というシモーヌの疑問。そのすぐ後に「サイバディの私的活用術」いうサブタイトルが出たのはカナコがゼロ時間を睡眠時間の足しにしているというミスリードでしょうか。もしそうであったならミドリ先生並なサイバディの有効活用ですがw
 ・タカシ君の「シモーヌがアプリボワゼしたダレトスを、僕の好きにさせてくれないか?」や「セクレタリィ、僕を君の中へ・・・!」といった発言、凄く・・・性的です・・・・w
 ・灯台付近の例の場所でヘッドに会うスガタ。ここではテーマ的に重要っぽい会話がされてましたね。ちょっと引用してみます。

ス:「もしかして絵を描く人?」
ヘ:「そう。でも描きたいものが無くなって、それでしばらく絵筆を持たなかったんだが、やっぱりだめだね。」
ス:「だめ?」
ヘ:「うるさいんだよ。もう描くのをやめようと考えて頭で納得したつもりでも、まだ描かれていない、これからかくべき絵が早くこの世界に出してくれって騒ぐんだ。」
ス:「出たがっているなら、出してやれば良い。」
ヘ:「そうだね。才能は何か意味があって、神様が与えてくれたものだからねぇ。使わないのは罪かもしれない。」

 ここでテンションが上がりまくりました。1話の時点で僕は

大した感想書けないというのはネタが網羅的に提示されているものの、現時点ではどれもチラ見せ程度なので、ということです。

「巫女」、「仮面」、「異空間」、「銀河美少年」、「みそぎ」、「学園」、「青春の謳歌」、「やりたいこととやるべきこと」、「アプリポワゼ(星の王子様)」

思いつくまま適当に羅列しただけでも今後もりもり掘り下げられそうなキーワードが見白押し。

と書きましたが、今回ではっきりとテーマに一本線が引かれたような気がします。思い出して欲しいのが1話でタクトが言っていた「やりたいこととやるべきことが一致するとき、世界の声が聞こえるってのはこういうことかい!」という台詞。「やるべき事」に縛られて青春を謳歌し切れていないスガタ(島を出れない)、ワコ(島を出れない→歌手になれない)、ヘッド(絵描きの才能。サカナちゃん関連のお話。眠れない。)達を見ていると、やりたい事とやるべき事が一致している状態というのが青春の謳歌に必要な条件なのではないかと思えてくるわけです。「神に与えられた才能」というものを「ノーブレス・オブリージュだから」と無理やり自分に納得させて行使しても(自分は)幸せにはなれない。
 スガタとヘッドの会話の直後にカナコが世界平和のために綺羅星十字団に所属しているという衝撃的な(笑)事実が明かされますが、ここでのカナコの台詞も上記のテーマに乗っかったもの

カナコ;「サイバディを管理するのは、全人類に対して重い責任を追うことを、正しく理解する者でなければならない。
シモーヌ「この女が只者では無いと思うのは、こういうときだ。どうやら彼女は本気で世界平和の事などを考えているらしい。」
マリノ:「言うわね。でも、大人銀行の頭取が、随分前からそのサイバディを私的利用している事実を耳にしているのだけれど?」
シモーヌ:「サイバディの私的利用?それは始めて聞いた。もしそれが本当なら、私は彼女を過大評価しているのかもしれない。」

ここでシモーヌが「過大評価しているのかもしれない」と幻滅するのは、睡眠時間をすり減らしてまで世界平和のため粉骨砕身していると思っていたカナコが、実は「世界平和」とは別に「自己の利益」という小さな理由にも自身の才能を使っているらしいと思ったためですね。別にサイバディを私的利用しているのがミドリ先生であれば軽いツッコミで済むんですが、それがカナコであった場合、シモーヌ的には幻滅の対象になってしまう。それはシモーヌがカナコを「高貴なる義務を全うできる人間」であると考えていた裏返しなのではないでしょうか。才能を持った人間は往々にして重たい義務を負う事がありますが、その義務を全うできなかった場合には地位や名誉、そして信頼といったものを失ったりするわけです。しかしこの話数の最後でカナコのサイバディの私的利用が「自己の利益」のためではなく、シモーヌを助けるためであったことが明かされ、上記の世界平和云々といったものがカナコの心から出た言葉であるらしい事が分かります。つまりカナコは「やりたい事とやるべき事」が一致している状態なわけですね。ここはスガタとは対照的な描かれ方だと思います。
 さらにスガタの話に戻すと、「与えられた役割を演じるのは得意だから(キリッ」といった発言もこのテーマに沿ったものなわけです。役割を「演じる」という事は自分の「やりたい事を封印しながら」という事なので、上記の青春謳歌の必要条項をクリアできてない=幸せな状況じゃないという事なわけですよ。しかしまあ、せっかくテーマに沿った台詞だというのにただの中二病患者にしか見えないあたり、スガタさんの「王の資格を神より与えられし男の苦悩」が見事に体現されてますねw
他にも

スガタ:「余計な事をしたかな?」
タクト:「いや。けど、もし目覚めない眠りに落ちたら・・・。」
スガタ:「気にするな、才能は神様に与えられたものだ(キリッ」
ワコ:「スガタ君・・・。」

といった会話も個人的に要チェック。ここでワコが「スガタ君・・・。」と言ってるのは別に「スガタ君・・・(中二病こじらせちゃって可愛そうに^^;」と思っているからではなくw 9話でスガタと殴り合う中でタクトが言ったように、ワコは歌手の夢を諦めていないから。「巫女」という与えられた「やるべき事」とは別に、歌手という「やりたい事」を諦めていないワコからすれば、いちいち自嘲気味になるスガタの姿(ダジャレぇ・・・)に共鳴できない何かを感じているのではないでしょうか。
 カナコがシモーヌに対し、「タカシの身が心配で戦いをやめたのね。それでいいの。あなたに戦いなんて似合わない。」と言った通り、人には向き不向きというのがあるわけです。そしてスタドラワールドにおける「学園」という場は生徒がそれぞれ、「一致したやるべき事とやりたい事を」を見つけるための場なのではないか、というのが現時点での僕の考えです。こうした「自分探し」に一区切りがついたためにサカナちゃんは(一旦であれ?)物語から退場したのではないでしょうか。というか綺羅星十字団の言う「旅立ちの日」というのも人類補完計画的な「良かれと思って世界中の人々の自分探しを一括して手助けする計画」に思えてきた。そうであるならタクト達側からの反論としては、「自分探しは自分で探してこそ意味があるのであって、人から押し付けられたのでは意味が無い」とか?まあここらへんは妄想入りまくりなので聞き流してくださいw
 
といった所で今回言いたかった事は大方語りつくしたかな。予告を見た限り来週はロボアクションが凄そうなのでこれまた期待ですね。