ハチワンダイバー 15巻 読んだ

ハチワンダイバー柴田ヨクサル大先生の素晴らしい漫画。
今日その最新巻を読んだ。今とてつもなく幸せなので、以下作文『私と柴田ヨクサル大先生』。中二病ポエムを許容できる心の広い人が読むの推奨。
後半ハチワンダイバーの考察。
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思えば私とヨクサル作品との出会いはたまたま深夜放送されていたアニメ版『エアマスター』の1話目であった。
エアマスター谷仮面ハチワンダイバーと並ぶヨクサル大先生の代表作で、哲学激熱マジキチ超常ストリートバトルが繰り広げられる本格派青春ラブコメ純愛漫画だ。私が最初に魅たのはアニメ版だったが、やたら気合の入った戦闘描写やビルから落下しながら戦う女子高生はまさに鮮烈なる衝撃であった。
YouTube(英語字幕がついてしまっているが、エアマスターのOPとED。OP曲である「烈の瞬」は今でもよく聴く超名曲。EDもインパクトは凄い(笑)。)

テレビで1話目を見た次の日、早速古本屋に行き原作の単行本を手に取ったが、表紙が妙に色っぽかった。いや、エロかったと言ってもいい。
「samepa君その本なにー?(ニヤニヤ)」
「い、いや、たまたま手にとっただけだから」
学校帰りに友人と本屋に入ったのがまずかった。そそくさと単行本を本棚に戻してしまったあの愚行は我が人生ワースト5に入るくらいの大失敗だったと、今では自認している。いや、次の日に一人でコソコソと内容を確認しに戻っていれば、その時の行動を激しく後悔するまでには至らなかったのかもしれない。(当時私は中学2年くらいだったと憶えているが、学校帰りに古本屋に通うのは殆ど日課のようなもので、中学を卒業するまでの3年間、そこで数百冊にも及ぶ漫画本を買った。)だが不幸にも次の日に風で学校を休んでしまい、さらにその次の日の学校帰りに再度古本屋に立ち寄った時には、私はエアマスターの事などすっかり忘れてしまっていたのだった・・・。
その後アニメ版に触れる機会もなく、再度エアマスターに出会ったのは1年後、中学3年時であった。学習塾の帰り、受験勉強に辟易しながら入ったブックオフで、ふとあの独特な絵柄の表紙に目がいった。
「ああ、あの時の」
帰ってやることもなかったので(あの頃素直に勉強していれば・・・いや、言うまい!)100円で売られていた6巻までを一気に買った。
「空(そぅら)を飛ぶ」「街(まぁち)が飛ぶ」「雲を突きぬけっ・・・」「星になる」
坂本ジュリエッタ」という衝撃。彼との出会った時に感じたのはまさに、「まるで雷(イナズマ)がビルにつきささるよう」な衝撃だった。そして彼の目線はどこも見ていなかったのである。
坂本ジュリエッタというキャラクターは奇人変人揃いのエアマスター内でも屈指の変態キャラで、屈指の名キャラクターだ。当時の私にとって『エアマスター』の衝撃とは『ジュリエッタ』の衝撃と同義であったと言っても良い。それだけ私はあのキャラクターに魅力を感じ、また、影響された。
一晩のうちに買った6冊全てを読み終え、次の日には発売済みだった単行本はすべて揃えた。その後は新巻が出れば必ず発売日に買った。良い、とてつもなく良い作品だった。エアマスターの連載が終わった時、私の足は自然と本屋へと向かい、私の手は自然とヨクサル大先生のデビュー作『谷仮面』へと伸びていた。柴田ヨクサルとは何者なのか。それをもっと知りたかった。『谷仮面』もやはり激熱バトルはあるものの、「本格派マジキチ青春ラブコメ純愛漫画」であった。その日のうちに全巻読み終え、私は完全なるヨクサリストとなっていた。
そして現在連載されているヨクサル大先生の作品が、『ハチワンダイバー』である。これもバトルが殆ど無く、将棋漫画であることを除けば「本格派マジキチ青春ラブコメ純愛漫画」だ。いや、断定してしまってもどうかとは思う。『本格派マジキチ青春ラブコメ純愛漫画「に違いない」』というほうが正確かもしれない。
ヨクサル作品で「愛」がテーマとなっていることはよく見受けられる。しかしそれが常に作品の主題であるとは言い切れないのも事実だ。私は『谷仮面』と『エアマスター』の最大の共通点は、主人公の年齢設定が低い点にあるのではないかと考えている。確かに両作品では「愛」が重要なテーマとして出てくるが、それはどこか自心に「欠陥」を感じている主人公達が自分探しをする過程で、「アイデンティティーの確立」に到るまでの重要要素として出てくるのではないかと私は思う。しかしハチワンでは違う。
ハチワンの主人公は、前の2作品とは違い高校生ではなく、20歳過ぎた兄ちゃんである。確かにいろいろダメな所が目立つ主人公なのだが、彼は前2作の主人公達とは違い、「自分とは何なのか」などと言った哲学的問いに溺れることは殆どしない。彼は挫折することもあるが、困難を乗り越えるために次に何をすべきかを自分で見つけ出せる、一定の自立性を持ったキャラクターとして、作品内で描かれているよう思う。主人公の初期設定が前2作とこのように違うことが意味することは何か。
恐らくハチワンではエアマスターの終盤で見られたような主人公のドロドロな哲学的自問自答が見られることはないだろう。主人公は中二病患者ではないのだから。前2作で特に私の印象に残っている要素は「愛(ラブコメ)」と「エンタメ(バトル)」と「自分探し」の三つだ。そしてハチワンの重要要素としては、自分探しという項目が減って、「ラブコメ」と「エンタメ(将棋)」が上げられると思う。
作者であるヨクサル大先生は前2作で愛とエンタメを描き、主題である主人公のアイデンティティーの確立をも見事に描ききったと思う。そして連載中のハチワンでは「ラブコメ」と超激熱将棋バトルという「エンタメ」が見事に融合されたストーリーが毎話続けられている。しかしここで気がつくのは、ラブコメの描写が現在はまだラブコメでしかなく、「愛」の域に達していないということだ。ヨクサル大先生が得意分野であると思われる「主人公の自分探し」という要素を作品から抜いた理由は何か?それはずばり、ラブコメ部分により力を入れるためであろう。ここまで考えると、ハチワンの今後の方向性というのも見えてきそうだ。抜群のエンタメに、超弩級のラブコメ
柴田先生、俺に愛って何か教えて下さい。

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なんか最後俺のヨクサル大先生に対する愛の告白状態になってるw
読み返し無しの書きなぐりなので見苦しい点が多々ある作文(笑)だとは思うが、ぶっちゃけ読み返す気力は無いのでご容赦をw
つーかライティングソフトで文字数計算したら2500字オーバーとか頭悪いな俺。来週提出のレポート(2000字以上)が手付かずだってのに何やってんだw
そうそう、ハチワン最新15巻、表紙がガイナ立ち過ぎて笑えるww
15巻の表紙
作者のアニメの素養がどの程度かわからんからホントのとこはどうか分からんけど、個人的にはパロ説を押したい。