先月(6月22日)に『おおかみこども』に備えて細田監督の『デジモン』映画2本を観てメモを取っていたことを思い出したので、ちょっとだけ手直しして備考録として残しておきます。
肝心の『おおかみこども』ですが、初日に観にいったものの、ちゃんとした感想を書くかは分からないです。初見の感想としては…一定以上の価値は誰が見てもあるんだけど、果たしてそれが自分のストライクゾーンドンピシャなものかと言われると、全然そんなことは無いなぁ…という。しかし観終えて1〜2日経っても不思議と余韻が抜け切らない(というかぶり返してきてる)のも事実で、劇場公開中にもう一度観ておきたい気持ちが沸々と湧いてきてます。「冷却期間を置いたら再見したくなる映画は名作の法則」(俺理論)が発動しつつある…?
ちなみに『おおかみこども』関連の細田監督へのインタビューは、読んだ範囲では『アニメスタイル001』(http://www.amazon.co.jp/dp/4896103963)がぶっちぎりで面白かった。今度感想書くとすれば何らかの形でこのインタビューを参照した上で、ということになると思います。細田ファンの方は読むと幸せになれると思います。
2012/06/22 DVDで鑑賞
ぼくらのウォーゲーム観たー。凄い。登場人物の関係性がリアリティありすぎて怖い。先見性ありすぎ。
「インターネット」という素材があったときに、それをどう料理するか。その嗅覚が凄い。個人的に連想したのが新海誠の『ほしのこえ』。あちらは「携帯メール」への着眼点が面白かった。
「いつでも連絡できるようになった」ことではなく、「相手からの返信を待ってる時間が辛い」面を強調したのが『ほしのこえ』。「ウラシマ効果」だけでは『トップ』の縮小再生産になってたかもしれないけど、そこにケータイメールの肌触りを加えたことで、『ほしのこえ』にはオリジナリティを感じた。
「メール」と同じように「インターネット」も漠然と便利に感じるけど、当然様々な切り口から語れる。『ぼくらのウォーゲーム』ではそうした別の切り口を、必ずしも「ネガティブな面」として描いていないのが面白い。
映画の中でデジモンバトルをしてる最中、世界中から送られてくるメッセージ。あれって凄い自己中心的で、励ましのメッセージなら良いけど、中には自分勝手な悪口もある。「後少しで勝てそうだったのに何やってんだ!」みたいなやつ。
人間って結局自分の都合で動くので、実生活でもネットでも、ボタンのかけ違いみたい具合で人付き合いに摩擦が生まれることがある。『ぼくらのウォーゲーム』からは、そうした「摩擦」をことさらネガティブに描いても仕方ないという割り切りを感じた。というか、むしろコミカルに描いてる。これが細田監督の人間観なのかな。
主人公が仲間に電話をかけてもなかなかつかまらない。田舎の親戚の家に行ってるやつ、ハワイに旅行中のやつ、受験中のやつ、ケンカ中のやつ。それぞれ各自の都合で動いていて、自分の都合に合わせて動いてくれるわけではないので。そうした積み重ねもあるから、「核ミサイルを止めたい」「やられそうな自分達のデジモンを助けたい」という共通の目的のために最強の合体デジモンが生まれるシーンは素直に燃えるという。
世界中から押し寄せる大容量のメッセージのせいで自分のデジモンの反応速度が遅くなり、「頼むからメッセージを送るのをやめてくれ」と言ってみても誰もメールを送るのをやめてくれないのは超リアル。 2000年3 月公開の映画なのに。現在のネットの情報拡散とか炎上とか、だいたいこんな感じよねw 無責任なメッセージが溢れるネットの現状に対して「それはそういうものとして置いておく」というスタンスが説教臭くなくてとても良かった。むしろそれを利用して相手にぶつけてしまおうという、最後の一発ネタも前向きな発想で良いよね。一発ネタのはずが『サマーウォーズ』で再利用されてしまったけどw
『ウォーゲーム』の前に細田監督の初代デジモン映画も観てたんだけど、こちらも非常に良かった。20分程度の短編で、『ウォーゲーム』とは全然別モノだったけど。
DVDの特典映像で監督は、「デジモン」を兄妹それぞれの視点で見た時に現れるズレを通して「デジモン」の存在を浮き上がらせるのがポイント…みたいなことを言ってたけど。妹が巨大化したデジモンが暴れるのを見て泣き叫んでる横で、主人公が「すげぇ…」と呟くあのシーンがゾクゾク来た。「子供のころに自分だけに見えた凄いもの」の記憶…的な何かを呼び起こされる感じというか。