『レッドタートル』の安直な感想 人生という冒険は続く

 『レッドタートル ある島の物語』を見てきました。予告編がネタバレに配慮した内容となっているので、作中のある出来事にとても驚きました。そこを起点にストーリーが一気に把握できた気がして、アハ体験的な気持ちよさがあった。あと蟹が可愛かった。
 以下ネタバレ感想になります。

 
 上で「ある出来事」に驚いたと書きましたが、正確には2つありました。まず「赤い亀」が人間の女性に姿を変えたこと。次に主人公に子供ができたことです。
 序盤で主人公が作るイカダがことごとく海の藻屑となるシーンで、あまりの理不尽さにイライラしました。しかし後に、それが赤い亀の仕業だったことがわかります*1。この段階で、「赤い亀」は「社会」を象徴したものだと解釈しました。
 やっとの思いで作った船を容赦なく破壊する憎たらしい赤い亀。しかし亀は、その後世話をされる内になぜか人間の女性へと変貌します。そして二人の間に子供が生まれます。ここまで見て、「赤い亀」が「社会」ではなく「他者」の比喩だったのだと、解釈を改めました。「社会」はむしろ「海」の方だった。


 

「ザメク本体が放つ王の柱に自ら飛び込んでくるとは、愚かな若者よ……
一面の青い闇の中で 自分の居場所も 進む方向も分からぬまま砕け散るがいい!」←要は『スタードライバー輝きのタクト』最終話にあったこれですね。思えば『スタドラ』も島に流れ着いた主人公のお話だった。
 
レッドタートル』が実質『スタドラ』であることを裏付ける証拠の数々

 

 

 

※『スタドラ』は現在dアニメストアにてテレビ版と劇場版が共に配信中。手軽に見れるので見てない人は是非見ましょう。

 
 つまり、映画の最初で主人公がボートに乗っていたのは、彼の人生において学校を卒業して会社に就職したあたり。しかし就職した先(あの島)は夢抱いていた仕事とは程遠く、孤独な日々を過ごすことになります。そして「もっと良い場所があるはずだ!」と、大したイカダも作れないのに、現実を直視できずに旅立とうとしてしまう。もしかしたらイカダは赤い亀が壊していたのではなく、主人公が認知できない社会の荒波に潰されていただけかもしれません*2。あるいは本当に赤い亀が壊していたのだとしても、「俺、会社をやめてHIPHOPで食っていこうと思うんだ!」と、ボロボロのイカダで無謀な旅に出ようとする主人公を、憎まれ役になる覚悟で止めてくれただけだったのかも。

 
 赤い亀の優しさが分からず、主人公は木片で赤い亀の頭を思い切り殴ってしまいます。ハリネズミのジレンマ、つまりATフィールドということです。ちなみに本作と同時期に触れた『怒り』や『聲の形』もATフィールドの話だったので、世の中の物語はだいたいエヴァンゲリオンに分類できます。……閑話休題
 結局主人公は海の向こうへの夢に見切りをつけて、あの島で生涯を終える道を選びます。家族と暮らす日々に幸せも感じていたようですが、死ぬ間際に水平線の向こうを見ていたのは、息子のことを案じたのか、あるいは自分にあり得たかもしれない他の人生に思いを馳せていたのか……。個人的には半々くらいだったのではと思います。
 
 赤い亀には「泳ぎが得意」という特技がありました。特技は子供に引き継がれ、子供はそれを活かして島の外へと旅立っていきました。「泳ぎが得意」というのは「専門職の資格」「絵や音楽の才能」「語学力」など、適当に解釈するとしっくりきます。つまり、「海=社会」を渡り歩く武器です。赤い亀だった女性は、最後に亀の姿に戻り、海へと帰っていきます。あれは結婚したことで家族のサポートや専業主婦の道を選んだ女性が、夫との死別をきっかけに再就職先を探しにいく姿……と考えるとあまり夢が無いですね。じゃあ、例え主人公が死んでも、いつの時代も社会には「他者」は存在していて、同時に様々な可能性も広がっている。とかそんな意味でしょうか。あのラストを見て、そんなことを感じました。

*1:本当に亀が壊していたのか? という疑問は残りましたが。

*2:10月6日追記:先日再度観てきましたが、やはりイカダに直接的に攻撃を加えるカットはひとつもありませんでした。赤い亀はただ主人公を見つめていただけ。 赤い亀が明確にイカダに体当たりする描写ってありましたっけ?