アニメーター見本市の『I can Friday by day!』が公開されました。監督が鶴巻さん、原案・脚本がウエダハジメさん、キャラ原案に竹さん、キャラデ作監にすしおさん。なんだこの豪華スタッフ。キャラクターや小物のデザイン、メカニック、質感、色味、どこを切り取っても可愛くて仕方ない。
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「I can Friday by day!」:日本アニメーター見本市 第19話
お話としてはいわゆる失恋ネタですが、甘酸っぱさより切なさが強い。なぜこんなにも切ないのか。
主人公の少女Aは、ラストで少年を橋から突き落として爆発四散させます。初見時、ボロボロになった主人公の頭の中で、通信兵がポロポロ涙をこぼしている理由が分かりませんでした。
ロボットアニメの最終回とかで主人公機がボロボロになってるのを見ると無条件で感動してしまうのですが、その感情をこんなキャラデザインの女の子で呼び起こされようとは。
問題のシーン。通信兵が泣いてる理由が初見では分からなかった。
加えて、スタッフロールが流れた後に鞄を燃やしている意味もよく分かりませんでした。なんとなく、少女Aが気持ちの整理を付けるために必要な儀式であるとは分かったのですが。
結論から言ってしまうと、ラストの鞄を燃やしているシーンは、手紙と共に曹長が火葬されているということではないでしょうか。
よく見ると鞄の真ん中に膨らみのようなものがあり、鞄の開け口から、足のようなものが伸びているようにも見えます。
まず前提として、僕はこの頭の中の宇宙人たちを、少女Aの感情の象徴として具現化されたものと受け取りました。『レベルE』の着ぐるを着て地球人に化けるコンウェル星人ではなく、『SHIROBAKO』のミムジーとロロってことですね。
公式で公開されている設定にて、脳内の宇宙人たちの名前を確認することができます。
感情を具現化した存在である曹長がラブレターと共に火葬されたと考えると、ラストの切なさの意味が見えてくる気がします。
ラブレターを焼くだけなら単なる失恋に見えますが、ラブレターと共に自分を構成する一部であった曹長を弔っているということは、失恋自体の切なさというより、少女Aが少年や少女Bと仲良し三人組だったころから、自分自身が変わってしまったことの喪失感を表しているのではないでしょうか。
話を通信兵が泣いていたシーンに戻します。
上記の話を踏まえれば、通信兵が泣いているのは曹長が死んでしまったから、ということになります。ですがここで、曹長の体勢に注目てみてください。曹長は少女Aと同様、右手を少尉の方に伸ばしています。
僕には、落下しそうな少尉を助けるため、曹長の意志が、様々な感情の集合体としての少女Aを後押ししたように見えました。
曹長を“少年のことが好きだったころに存在した感情”と言い換えて考えてみましょう。
最後に少女Aが敬礼をしている時点で、曹長は少女Aの中からいなくなっています。ですが、少女Aを構成する曹長以外の感情(=少尉の命)は、曹長の手によって繋ぎ止められていた部分もある、ということになります。通信兵のあの涙は、悲しみだけでなく、感謝の涙でもあったのではないでしょうか。
これを踏まえて本編を見返してみると、宇宙人本部から撤退を命令された後、少尉が曹長と目配せして、独立愚連隊として死地におもむくシーンがよりグッときます。
好きだったあのころの気持ちは無くなってしまって戻らないけど、あの頃の気持ちがあったから今の自分がある。という言葉にするとめちゃくちゃありきたりなテーマを、こんな計算尽くされた勢いまかせのキラキラした映像で見せてくれるクリエイターはそういないです。ここ最近観た中で特にお気に入りの作品となりました。ありがとうありがとう。
最後に余談。
言及するか迷いましたが、やはり観ていて『フリクリ』を思い出したことには触れておかねば。
『I can Friday by day!』だと、少女Aの感情が揺れ動くポイントとなる箇所で、写真(や写真が添付された携帯のメッセージ)が印象的に使われます。この写真やメッセージというアイテムの使い方が、とってもフリクリに感じました。
『フリクリ』の1話。ナオ太がマミ美に、マミ美の好きだった兄の話をしようとするたび、兄からの手紙や手紙に入ってる写真が映るカットがインサートされる。写真や手紙というアイテムを使うことで、画面では直接描かれない登場人物たちの過去や、それに伴う葛藤が存在することが瞬時に伝わってくるとても好きな演出です。
ちなみに、『I can Friday by day!』のラストのメディカルメカニカのアイロンは5回観ても気付かず、偶然他の人が指摘してるのを見て気がつきました。これを機にあのアイロン商品化してくれないですかね。ずっと待ってるんですが。