『プロメテウス』感想:でかくて迫力あるなぁ、IMAXだもの みつを

普通にネタバレを含みますので本編をご覧になってない方はご注意を。
 
プロメテウスはビジュアルが圧倒的に凄かったです。デカイことは正義。わざわざIMAX3Dで観に行って正解でした。陰影の効いた映像で、流石リドリー・スコットといったところでしょうか。
一応「エイリアン」シリーズは1〜3作目までは観ていますが、正直1作目に出てきたスペースジョッキー(=今回出てくる宇宙人)のことなんて本作を観るまで殆ど忘れていました。シリーズの熱心なファンの中には、スペースジョッキーの正体が予想よりもショボかったとゲンナリしてる方もいるようですが、幸い(?)僕はそうしたところでマイナスに感じることはありませんでした。むしろ旧シリーズの記憶がおぼろげだったことにより、「仲間のはずのロボットが何やら悪巧みをしている」、「船員が一人またひとりと死んでいく」、「最後は女主人公が身ひとつで戦う」、「なんだかんだで頭がもげたロボットが助けてくれる」…といった、なんとなく過去作を連想させる要素をノスタルジーと新鮮さが入り乱れた状態で観れて大満足でした。
 

本作のテーマが「人類の起源」であると監督自身インタビューで答えてますが、それにまつわるモチーフが入れ子状に配置されているのも面白かったです。作品の冒頭で、他の船員がコールドスリープしている中、ロボットのデイヴィッドが一人で映画を鑑賞しているシーンがあります。デイヴィッドは映画を鑑賞しながら、登場人物の喋り方や髪型を真似て、人間らしさを学ぼうとしているように見えました。「映画」というのは言うまでもなく人間により人工的に造られたものです。それを、人工的に造られた存在であるデイヴィッドが、「人間性」というポイントに焦点を当てて観ている。いわば、人工物同士の化学反応で、人工物でしかなかった存在が、人間の感知しない所でいつの間にか人間の側に迫ってきているような感じです。
同時に個人的に面白かったのが、デイヴィッドの観ている映画が3D映画だったこと。「映画の中の登場人物が映画を観ている」というのはありふれた表現ですが、「3D映画の中の登場人物が3D映画を観ている」というのはなかなか新鮮でした。しかもデイヴィッドが観ているのは『アラビアのロレンス』なんですよね。劇中では平面的に描くこともできたのに、わざわざ3Dで描いていて、そこでセンス・オブ・ワンダーを感じました。
「プロメテウス」とはギリシャ神話において、人間に「火」を授けたことによりゼウスの怒りを買ったとされる巨神のことです。調子にのった人間に神が怒りの鉄槌を下すというのは超ポピュラーなモチーフですが、今作ではそこも入れ子状になっていますね。ロボット→人間→スペースジョッキー(→創造神?)という具合に。こうした構造を直感的に感じさせたのが冒頭の場面なのかも。

現実の観客の眼差し→劇中のデイヴィッドの劇中劇への眼差し→3Dで描かれた劇中劇『アラビアのロレンス

という具合に。
 

また、本作でなにより印象的だったのが、墜落してくるスペースジョッキーの宇宙戦から全力で逃げる主人公の姿。印象的だったというか、このシーンで涙が出そうになりました。本作で映し出される異星の風景はとにかく雄大です。スペースジョッキーの宇宙船も超特大で描かれます。それとは対照的に、人間はしばしば米粒大で映されます。
最後、主人公はぶっちゃけ絶望のどん底です。「宇宙の彼方で神様と握手!」と意気込んで来てみたら、待ち受けていたのは何やらアンチスパイラルみたいな悪漢。「人類の起源」には違いないんだけど、明らかに期待していたものと違ったわけです。しかも何やら人類を滅ぼそうとしているっぽい。直前に恋人は死んでしまってるし。気色悪いエイリアンを身篭って、セルフ中絶を経験したばかり。仲間が特攻を仕掛け、スペースジョッキーの宇宙船を撃沈してくれたのは良いですが、この時点で自分の星に帰れる可能性も絶たれてしまった(とその時点では思ってる)。もう絶望しかないですよ。一時的に難を逃れたとしても、宇宙服の酸素が切れればそれまでですから。人類が救えたのは良かったかもしれないですが、主人公の物語としてはそこで終わりに見えます。
ところが主人公は迫り来る巨大戦艦を背に、殆ど本能的に猛ダッシュするんですよね。多分、少しばかり生き延びたところで意味はないと頭では分かっているはずなんですけど、それでも全力で走る。この場面の背景の巨大感と、人間の無力さの対比。しかしそれでも生きようとする必死さに、何だかわからないですが、いたく感動してしまいました。
破滅しかないと分かっていても 前にすすんでしまうんだよなぁ にんげんだもの みつを
みたいな心境。この気持ちにさせられただけでもうお腹いっぱいです。