『告白』しとくけど、思考停止って便利だよね。

以下映画『告白』ネタバレ感想。本編見てない人は注意!と、普段なら言うところだけど、この作品に関してはネタバレはそんな痛く無いのかも・・・。そもそもそんなにネタバレしてないし。まあ気になる人は見ないでねってことで。
 
聞いていた通り迫力のある映画でした。松たか子の演技も評判通り良かった。松たか子が淡々と語りかけるシーンもだけど、やはり最後の“鬼の形相”としか形容できないような表情は凄かったですね。
ただ内容については勢いに圧倒されるばかりで、見てる最中も見終えた直後もなかなか頭の整理がつかなかねーなというのが率直な感想。あーだこうだと考える“余地”はあると思うんですが、途中から考えるのをやめてエンタメとして楽しむ方向へシフトしてしまいました。ぶっちゃけ僕の映像リテラシーはそんなに高くないので、映画を分解して楽しむには2回見るのが手っ取り早いんですが、なにより今は時間がない!それに今はトイストーリーとかも見たいし。
内容を鮮明に覚えていれば後からでもいろいろ内容分析できそうなもんですが、内容もその場その場で楽しんでしまっていて繋がりが思い出せないしなww。そのような深く考えていないグダグダの感想としては、映像がとにかくオサレでかっちょ良かったってのは第一に来るのかもしれません。映像美が重々しい話や演技にいい具合でプラスアルファを加えていたんじゃないですかね。ああいうかっちょいい構図って邦画だとあまり見れないんで、そこは面白かった(この監督さんの映画見るのはじめてでしたし)。でもこの画面が終始ゴテゴテしっぱなしだったので、映画というよりはオサレPVの連続みたいな印象も受けました。でもそれを映画全体の味と言ってしまえば、それはそれで良いんじゃないかとも思うけど。
終始→Sony BRAVIA - Balls (Hi-Res) - YouTube
こんな感じの映像なせいで、その映像で何を伝えようとしてるのかと考えるのが途中で面倒くさくなってしまってw。テスト期間中じゃなくて頭がもう少し冴えていればその辺違ってきていたのかもしれません。(テスト期間中こそ頭を冴えた状態に保っておけよというツッコミは現在受け付けておりません。)まあエンタメとしては本当に面白かったです。
というわけであと一週間もすれば夏休みですし、勉強もうひと踏ん張りしてきます。
 
そうそう、自分は映像リテラシーがそんなに高くないと言いましたが、そんな僕が作品を見る際にポイントにしている事を列挙しときます。
1回目の視聴
1:できるだけ作品を楽しむ。
2:できるだけ作品のメッセージや制作者の意図を読み解く努力をする。
3:二度目の視聴に値する作品であるかを見極める。
2回目の視聴(1回目の視聴で3番に該当してた場合に見る)
1:できるだけ作品にツッコむ。
2:メッセージや意図に注目する(家庭内視聴の場合は一時停止や巻き戻しを使いつつ)
3:飽きてしまわぬよう、一度目の視聴とは違う視点から見るようにする。
4:作品に対して自分なりの評価を(こじつけでも)下せるようにしておく。
 
この中で何が一番大事かというと、1回目視聴時の3番ですね。ここを見誤るととんでもなく時間を無駄にしてしまい、凄い後悔することになります(笑)
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<追記>
『告白』の批評や感想見てたら超イカすのがあったので二つご紹介。
一つ目がコレ→『告白』するけど、本当にバッカじゃねえの? - Lucifer Rising

(通常の)映画は、単なる印象の羅列とはまったく違うものだ。映画のカットや小道具、照明、アングル、それに特殊効果などは、すべて「そこで何が起きているか」を指し示すための彩りだ。ペキンパー映画のスローモーションは、伊達や酔狂で「なんとなく」スローな映像を入れてみたわけではないし、『ブルー・ベルベット』でローラ・ダーンが暗闇からすっと現れる場面は、「なんとなく暗闇から出てきたらかっこいいから」そうなっているわけではない。そこには文脈と関連した意味がある。まっとうな映画を作る人たちは、自分の映画を意味で埋め尽くす。小道具ひとつ、衣装の色ひとつまで監督がこだわるのは、そこに意味が、隠喩が、キャラクターを象徴するものがあるからだ。かっこよくいえば、映画は「意味の王国」なのである。ふだんなかなか意識しづらいことではあるが、カットが切り替わるタイミングにも、カメラがパンするスピードにも、クローズアップが挿入される瞬間にも、全部「意味」がある。こんな青臭いことをいまさらいうのは本当に恥ずかしいが、こういうアホみたいにわかりきった前提が共有されていない現状というものもある。だからここで一番バカみたいな例をあげよう。通常、映画で雨は絶対に「たまたま」降らない。映画で雨は心情表現として用いられるので、主人公が打ちのめされたり、泣きたい気分だったり、ストーリー上ものごとがどんづまりでどうしようもなくなったときに、象徴として降ることになっている。逆に言えば、雨が降っている場面はそれだけで人物の心情表現になり得るので、「雨が降っている」のに、加えて主人公がその中で泣く必要はなかったりする。最近の日本映画で、雨が降っている中で人物が号泣して、おまけに科白で「オレは悲しい!」というものがあったが、そんなにメガマックみたいに積み重ねる必要はまったくないし、逆にそこまで積んであると「もしかして、この映画を作った人は全然映画の表現の意味がわかっていないのでは…」と不安にかられ、いや、確信するのである。
さて、今回は本当は、中島哲也「監督」の「映画」というふれこみの『告白』という、CMもどきの単なるかっこよさげで意味を欠いた薄汚い映像の羅列について語るつもりだったが、もう面倒くさくなったからやめる。ここまで書いたことから、ぼくが言いたいことをくみとってもらいたい。

ここまで言い切ってしまえるのは羨ましいなぁ。先に記した通り、僕はここまでばっさりと悪口を言いきるほどに自分の見る目を信用してないんで。好きなものを好きという時より、嫌いなものを嫌いと言う時のほうが説得力持たせるのが難しい。
で、この「Lucifer Rising」さんの記事のトラバにあったこれまた素晴らしい記事がこちら→『自意識過剰な告白』2010-06-24 - THE KAWASAKI CHAINSAW MASSACRE

少なくともこの映画では「少年法」とか「いじめ」とか「子どもが子どもを殺す」とかの社会派的なテーマは見せかけだけであって、実際には松たか子の復讐物語でしかない。
『告白』における「ぱっと見かっこいい映像」とは、監督自身がかっこつけてるように見せかけて、実は登場人物の「中身のなさ」を表現しているのであり、そのような映像に安易に騙されてしまう観客や、そのような映像を安易に作る作り手(過去の監督自身を含む)までも否定しているのだ。
なんてね。

僕としてはこの記事読んでいてかなり共感を覚えましたね。スタイリッシュな上辺だけのカットに感じられる空虚さ自体、登場人物やストーリーの「中身のなさ」を体現してるっていうのは凄い説得力を感じる。それに他のブログとかの感想も色々読んだんですが、ここまでうまく「なんてね」を使いこなしてるトコは(小一時間探した限り)見当たりませんでしたw。「なんてね」で締めくくってるところは結構見受けるんですがね、それこそ上辺だけかっこつけている感じで(笑)
ちなみにこちらのサイト、チラリとのぞいてみたら『トイストーリー3』が大絶賛されてました→2010-07-14 - THE KAWASAKI CHAINSAW MASSACRE
曰く「私はピクサーヲタなので話半分に聞いてもらいたいのですが、とにかく文句ののつけようがないくらいの大傑作!!!!正直それなりに良くても『トイ・ストーリー』(以下『1』)『トイ・ストーリー2』(以下『2』)を超えることはないだろう、と思ってましたが、間違いなくシリーズ最高傑作!!!!」「絶対『3』を観る直前に『1』『2』をDVD/BD等で見て下さい。『3』は正当な続編であり完結編なので、『1』『2』のストーリーやセリフをふまえたネタが山のように出て来ます。各主要キャラの性格等把握していないと半分くらいしか楽しめません。例えて言うなら『ロード・オブ・ザ・リング』でいきなり『王の帰還』を観るようなものです。絶対に復習をお勧めします。
だそうです。というわけで来週の平日中には『1&2』そして『3』を見ると決意しました。先日1と2のBDアマゾンで注文しといて本当に良かった。