『グッバイ、ドン・グリーズ!』ネタバレ感想 僕たちの電話ボックス

 傑作。しかし、『宇宙よりも遠い場所』(以下、『よりもい』)に比べ正当に評価されづらそうな作品だとも感じた。なので「誤解されそうだけど、あれはこういうことなのでは」というのを書いておく。鑑賞済みであることが前提なので、当然結末にも触れていく。

映画『グッバイ、ドン・グリーズ!』本予告


 本作の魅力は、まずなんと言っても3人がわちゃわちゃと遊んだり、旅をしていく空気感にある。『よりもい』は特に第2話で歌舞伎町を走り回るシーンが好きだったのだが、本作でも山中を駆け回る愉快なシーンがいくつかあった。この、どこにたどり着くでもない“横移動”の楽しさはいしづか作品の特色ではないかと思う。最後には上空から見下ろす“縦”の快楽も描いてはいるのだが、やはり旅の過程にこそ宝物がある、という実感の方が残る。

 田舎の山々という地味な舞台設定だからこそ、美男美女コスプレをしてクラスメイトたちの前を練り歩くシーンや、本物のクマに遭遇するシーンはコメディとしてのキレが秀逸だった。最近の作品では『アイの歌声を聴かせて』がそうだったが、コメディで滑らずに、しっかり笑いを取れているのがまずえらい。

 一方で、『よりもい』がTVシリーズという特性を活かし時間をかけてじっくりと“宇宙よりも遠い場所”に到達したのに対して、『グッバイ、ドン・グリーズ』の終盤はやや唐突に感じられるかもしれない。中盤過ぎまでのドローン探しパートでは、キャラクターが心情をセリフで説明しすぎるきらいがあり(これは『よりもい』にも見られた特徴だが、本作ではより顕著になっていると感じた)、それまでの説明的すぎるモードに慣れきっていたところに、いきなり飛躍した展開をぶつけてくるので観客が面食らってしまわないかと心配になる。
 そんな終盤について、自分なりの解釈を情緒もへったくれもなく書いてしまうと「電話のかけ間違い」「黄金の滝にある電話ボックス」などは映像的な比喩表現だろうと受け止めた。

f:id:samepa:20220219043518p:plain

『グッバイ、ドン・グリーズ!』予告編より

 確かに電話番号を用いたギミックは、シャマラン映画や映画『メッセージ』のラストを彷彿とさせる激的さがある。しかし冷静に考えれば、一介の中学生に過ぎないドロップが発信者番号の表示されない電話ボックスにかかってきた間違い電話を逆探知し、相手の居場所を割り出し、東京に転居済みのトト(電話はトトのスマホからかけられていた)ではなくロウマの方に接触するのは、それこそMI6もびっくりの諜報能力が必要になる。
 実際この点を「非現実的だ」と批判する声をいくつか見かけたが、あの場面はメタファーなのだから画面通り受け取らないほうが、作品をスッと楽しめる、というのが私見*1
 「画面通り受け取るのは間違い」とまでは言いづらいのは、いしづか監督があのシーンをなるべく観客に委ねたいと語っているためだ。いしづか監督はパンフのインタビューで、ドロップのロウマとトトとの出会いについて「こうだという答え」はあるのかと問われ、次のように回答している。

個人的に「こうあって欲しい」というのはあって、それも描写してはいるんですが……観る方なりに受け取っていただけたら嬉しいですね。偶然の奇跡が起きたという解釈が感動的ならそれで、ドロップはこの2人を探していて最後に辿り着いたというのが好みならそれで、いいのかな。ドロップたちをより愛せる形で解釈していただけたらと思います。
『グッバイ、ドン・グリーズ』パンフレット インタビューより

 

 というわけで、作品をより愛すための個人的解釈を続けさせてもらうが。3人が出会った場所は、実のところ重要ではない。ドロップがアイスランドから日本に帰省していた折に街角で2人の話し声が聞こえてきたのかもしれないし、SNS上でのメッセージのやり取りを偶然目にしただけかもしれない。

 重要なのは、ドロップが「電話ボックス」を垣間見るタイミング。彼はアバンで2人の親友に巡り合う予感を覚えた瞬間と、3人が「2人と1人」ではなく「3人一緒」の友情を獲得した瞬間(=ドローンを抱きしめ3人での旅に決着を付けた瞬間)の2度、電話ボックスと対面している。
 電話ボックスが受信/発信の双方を必要とするものであるのを踏まえれば、メッセージを受け取るだけでなく、2人にメッセージを遺せたことは「ドロップの旅」の区切りとして象徴的だ。電話の役割が誰かの言葉に耳を傾け、そして誰かに言葉を届けることだとすると、ロウマとトトはまだ「着信を受けた」にすぎない。そして、最後に鳴った電話はドロップからだったかもしれないし、はたまたまだ出会っていない、これから出会うかもしれない友人の“予感”であるとも解釈できる。

 
 ドロップは「ドン・グリーズ」2人の生まれ故郷での旅を通し、友情を深めることができた。ロウマとトトもまた、ドロップの故郷であるアイスランドを訪れることで、ドロップの見ていた風景に触れて、ドロップのことをより深く知り、世界の広さを目の当たりにした。こうしたことをセリフでなく映像で感じ取らせてくれたのが、本作で最も気に入っている点だ。
 贅沢(個人的な好み)を言えば、説明的すぎる中盤までのセリフをもっと削ぎ落とし、終盤の抽象度をさらに高めてくれたらもっと良かった。また、“2人だけの世界からより大きな世界に飛び出ていく”のは、テーマ上避けて通れなかったのかもしれないが(作品タイトルはまさにこのテーマを体現している)、友人の死に激昂し秘密基地をめちゃくちゃにする場面には少々引いてしまった。基本的な演出、アニメーションが十分雄弁なだけに、ああいったシーンはもったいない。

 映像の雄弁さでいうと、冒頭では無機質に見えた飛行機が、世界の広さを知るためのツールという側面が付与される最終盤においては、目に見えて凝った神々しさすら覚える描写になっていて大変グッと来た(『トップ2』1話の無機質なCG→作画に変貌するディスヌフを思い出しますね)。同じくCGを用いたシーンでいうと、ドローン撮影した花火の美しさはあまり見たことがない類のもので、サーカスを思わせるほどに立体的な軌道・カメラワークになっていて実に良かった。

 あと、3人の友情、旅、世界の声と、似たモチーフを扱った作品に『STAR DRIVER 輝きのタクト』があるが、この話は脱線が過ぎるのでここまでにしましょう(しかし年に数回スタドラ第16話を見返す者がこの幻覚を見ないのは不可能だろう)。

 ロウマに先んじて“外の世界”に旅立つチボリは、作中で重要っぽい雰囲気を与えられているわりに背景をぼかしすぎているようにも感じたが、見落としがあるかもしれないので次回鑑賞時の宿題としたい。インタビューを読む限り、企画当初からの設定遍歴のしわ寄せが行ってしまったのではという気もしているが……。見返したときにアバンシーンの印象がどう変わるかも、今から楽しみ。

 

f:id:samepa:20220219052923p:plain

これが僕の宝物……。冴えない男子グループは得てして集合写真を撮らない

 

追記:チボリとラストシーンについて

 チボリに関する重要な描写をいくつか見逃していた。1つはインスタでのメッセージのやりとり。ロウマはキラキラ星を歌った夜、“真っ赤”なてんとう虫を中心に捉えたチボリによる写真をインスタに投稿する。それを見たチボリは私信として、密かに撮影していたてんとう虫と対になる“真っ赤な上着を着たロウマ”が青い花畑に佇む写真を送る。

 入場特典に収録された石塚インタビューでは、実はチボリもクラスで孤立しがちだったことが触れられており、実際作中でも他のクラスメートの輪に入る描写は見られない。とすると、実は同じはぐれ者同士、チボリがロウマにシンパシーを覚えていたとしても不思議はない。

 飛行機の描写の力強さについては上でも触れたが、ここにもう1つ、面白い仕掛けがあったことにも気付いた。アバンで飛行機が映るカットはいくつかあるのだが、作品タイトルが出た直後、飛行機の進行方向は左方向から右方向への動きとなっている。アイルランドからアメリカという、世界の端から端を移り住むチボリについて、当初ロウマは引け目を感じるが、最後に黄金の滝から世界を見下ろすと、「こんなに近いんだ」と、それまでの視野の狭さに気付く。

 すると世界地図がぐるりと回り、ニューヨークで止まると、空にファインダーを向けるチボリが映し出された後、右から左へ飛ぶ飛行機で物語は締めくくられる。

 余談だが、左から右への重力を反転させるエンディングとしては、なんといっても『よりもい』の1話が思い出される。キマリは冒険を諦めるAパートでは左から右への電車に乗りそびれるが、南極を目指す決意をしたエンディングシーンでは新幹線で勢いよく右から左へと進んでいった。

f:id:samepa:20220219173736p:plain

『宇宙よりも通り場所』1話より、左から右に進む電車に乗りそびれるキマリ

f:id:samepa:20220219173810p:plain

宇宙よりも遠い場所』1話より、右から左に進む新幹線

 『グッバイ、ドン・グリーズ!』のエンドロールで、いしづか監督のクレジットと共に(今度は左下から右上に向けて)飛行機が飛んでいくのも、爽やかな後味を残してくれる。

*1:追記:ここは目に見えないものを“在る”ものとして描いており、感動的でありながらある種コミカルさのあるシーンとしても演出されている。現実とフィクションの垣根を行き来するアニメーションの良さが爆発したシーンだと言える。