『ヱヴァQ』感想 シンジ君は『Q』で底を打ちました

初日に二回観てきました。これは荒れるでしょうね。でも、このシンジ君像は画期的ですよ。
初見時は自分が何を観せられているのかよく理解できず、感想を保留としましたが、二回目を観ながら、これって実は凄いことをやっているのではないかと思うようになりました。
ネタバレを避けて感想を書くのは至難であると思いますが、あえて言うなら「全く違うことをやっている」ということです。ある意味旧劇場版くらい画期的なことをやっている。その点において大いに評価したい作品です。次回の完結編は凄いことになりそうですね。
以下ネタバレ

 

■どこが違うか
既存の「エヴァ」の「破壊」を目指して制作された新劇場版『破』ですが、鶴巻監督のインタビューでは、結局旧シリーズの構造に引き寄せられた部分もあったと愚痴る場面が見受けられました。それに比べ『Q』はよくもまあこれだけ「脱・旧シリーズ」できたものだと感動しました。
はじまってまず目につくのは、これまでシンジは「エヴァに乗りたくなかったのに乗せられていた」のに対し、今回は「乗りたいのに乗せてもらえない」というシチュエーション。この時点で、「今回は違うことをやりますよ」というメッセージと受け取りました。
今回見ていて一番「変わった」と感じたのは、シンジ君の立場です。ネルフ職員の容姿や性格以上に、シンジ君の描かれ方が変わっていたように思います。
これまで僕たちは、「不当に虐げられるシンジ君」をずっと見せられてきました。これはいわば前提のようなもので、彼は当たり前のように虐げられ、当たり前のように被害者ぶっていられました。ダメな大人に囲まれた不幸な現実の中で、いかに居場所を作り出して行けるかが物語の焦点でした。このミッションに対するテレビ版、旧劇場版、新劇場版のそれぞれの達成度は、僕の解釈ではだいたい以下の通りです。

テレビ版:最終話でシンジは現実で生きていくモチベーションを獲得した(ように見える)。その後現実でどう頑張ったかは描かれず。
旧劇場版:一旦モチベーションを獲得したものの、現実は思っていたよりもダメで、結局泣いてる内に終劇。
新劇場版『序』/『破』:着々と成長。シンジ君からシンジさんへ。リア充一直線。


このように、「不当に虐げられるシンジ君」は新劇場版『破』においてほとんどミッション達成という所までたどり着きました。ところが今回は、「不当に虐げられるシンジ君」像に亀裂が入ります。
それまでは「被害者としてのシンジ君」が描かれてきていたのに対し、今回は「加害者としてのシンジ君」が強調されます。これは驚くべき変化です。


■「みんな」ダメ人間
僕はこれは、『エヴァ』が「シンジ君が社会に認められるまで」を描く物語だったものから、「シンジ君が社会に認められた後でどう生きていくか」を描く方向にシフトしたためであると考えます。
これまでシンジ君を取り巻いてきた環境を見ると、周囲の人間はだいたいダメでした。ただ、社会生活を送る中で、他人だけがダメであるという保証はどこにもありません。往々にして自分にもダメな部分があったりします。他人を一方的にダメと糾弾し、自分は棚に上げようとするのはフェアではありません。
シンジ君は『Q』で、自分のしでかしたことについて「そんなつもりはなかった」と、何度も自己弁護に走ります。カヲル君は優しいので、「こうすれば挽回できる」とか、「僕が代わりに罪を引き受ける」とか、実に献身的に愛妻ぶりを発揮してくれます。ただ、これは果たして彼のためになっていたのでしょうか。
結局シンジ君は自分の過去の行為と向き合おうとせず、楽な方へと「逃げて」しまいます。「逃げろ」とは『巨神兵東京に現る』にあった言葉ですが、明確な目的を持って「逃げる」戦略的撤退と、現実から目を背けるための「逃避」は違います。シンジ君の場合は後者でしょう。
 
■やたら飲み込みが悪いシンジ君
今回のシンジはひたすら間抜けです。観ていれば開始十五分でサードインパクトがシンジ君のせいで起こったことに察しがつくのに、シンジ君自身はいつまでたってもそのことに気づかない。『Q』の綾波が『破』の綾波(=ポカ波)とは別人であることは一目で分かりそうなものなのに、シンジ君はいつまでもポカ波と思っている。カヲル君がやめたほうが良いと言っているのに、聞く耳持たずにロンギヌスの槍を引き抜いてしまう。
“追記(11月23日):この点について、二回目の鑑賞時にはメタ視点が前面に出すぎて、本作のもうひとつの特徴を見落としていました。
『Q』の本編について公開に先立って開示されていた情報は極めて少なく、初見時の観客は前半の状況が飲み込めないシンジ君視点へと誘導されます。それだけに、中盤以降で「被害」/「加害」の逆転が描かれたときの衝撃度は増します。前半で意識を共有していたからこそ、状況を達観できるようになってからは、シンジ君の行動がより滑稽に見えてくるのです。そして、二回目以降の鑑賞では冒頭の行動からして滑稽に見えてしまいます。初見時では中盤以降、どこに視点を置けば良いのかが分からなくなり、ただただ呆然とするばかりでした。
 
今回シンジ君は、身も蓋もない言い方をすればバカです。前回の『破』でシンジ君の活躍ぶりを観ていた者からすると、もの凄い落差に戸惑います。僕は観ている間、ずっとフラストレーションを感じていました。これはそれまで感じてきていたような共感とは全く異なる感情です。
一般的に、旧劇場版でのシンジ君は「何もしないこと」を貫いたことで、批判や共感を呼んだとされています。それが新劇場版の『破』までは、「何かをすること」に挑戦するようになり、健全な成長物語としてうまく行っていました。ここで強調したいのは、旧劇場版のシンジ君と、(『破』までの)新劇場版のシンジ君が、両方とも一定の共感を集める存在として描かれてきていたことです。そんなシンジ君をあそこまであんぽんたんに描くとは、完全に虚をつかれました。

 
シンジ君はこれまで迫害される側だったため、何をやるにもその行為は尊重されてきました*1(それが例え「何もしない」という選択であっても)。しかし今回のシンジ君に、それは許されません。
 
■「シンジさん」とはなんだったのか……
『Q』のシンジ君には、『破』での行動についての責任があります。「僕がどうなったっていい。世界がどうなったっていい。だけど綾波は、せめて綾波だけは絶対に助ける!」シンジ君は『破』において台詞ではっきりと、綾波>世界」という考えを表明しています。『破』を観た当初は、他の全てを犠牲にしてでも女の子を救おうとするとは、シンジ君も随分思い切った決断をしたものだと、感心したものでした。もしもシンジ君がこの考えを全うするのであれば、誰にも文句は言えなかったはずです。いえ、文句を言うことはできたかもしれませんが、シンジ君にとっては納得済みで行うことなので、誰から何を言われようと意に介さなかったことでしょう。
ですが『Q』のシンジ君は、「そんなつもり(世界を滅ぼすつもり)は無かった」と、責任転嫁を試みます。これでは彼の行いを劇中でたった一人支持してくれたミサトさんや、あの時胸を熱くした観客に対し、あまりに不実な気がします。

 
■自分のダメさにだけ気づかない
今回シンジ君が良かれと思って取った行動は、ことごとく裏目に出ました。しかし行動が機能していた『破』と、裏目に出た『Q』で、シンジ君には具体的にどういった違いがあったのでしょう。正直、個人的には二者に大きな違いが見当たらないのです。
唯一にして最大の違いは、“結果的に”間違っていたのが自分か周囲かという部分なように感じます。これまでは結果的に周囲の人間のほうがダメで、シンジ君が被害を被っていた部分が多かったです。しかし今回は、シンジ君の方がダメで、周囲が被害に合います。にも関わらず、等のシンジ君は自分がダメという自覚が無いので、いつものように他人に迫害されている=自分が一方的に被害者と思ってしまうのです。
ラストで「これまで周囲に愚痴言ってばかりいたけど、案外自分もダメじゃね?」と気づいてしまったシンジ君は茫然自失となり、一切の行動を放棄します。世界に全く価値が見出せなくなった状態です。

 
■『Q』のシンジ君の偉業
これまで見てきたような自分のダメっぷりを自覚したシンジ君は、今作のクライマックスで、ぶっちゃけ何もしません。活躍してたのはカヲル君とアスカとマリと綾波ミサトさん達です。シンジ君に比べれば、ゲンドウと冬月のほうがまだ活躍してたかもしれません。初見では呆気にとられていてこんな事にも気づきませんでしたが、シンジ君は本当に何も有意義なことをしていないのです。
これはある意味旧劇場版のシンジ君にすら達成できなかった偉業です。旧劇場版のシンジ君ですら、補完計画の最中、「でも僕はもう一度会いたいと思った。その時の気持ちは、本当だと思うから」と言って、補完計画を否定し、現実の世界に戻ろうという格好良い選択をしています。『Q』ではそれすらも無いのです。凄い!凄すぎる!!(ケンスケ)
 
■帰ってきたシンジさん
旧シリーズの終盤同様、何もやる気が起きない状況となっているシンジ君。ただ、今回の彼の傍には、旧劇場版にはいなかった二人がいます。ここで支えになってくれる(?)女の子が二人も残っているのが、これまで彼が頑張ってきた証拠な気がします。カヲル君も「とにかく何度も反復することが大事」みたいなことを言ってましたが、ここまで悩み、躓きながらも前に進もうとしてきた過程が、アスカや綾波との縁を育んだのです。
シンジ君の株は今回で地の底まで落ちました。これ以上は落ちようがないでしょう。ここからはもう、上がるしかないはずです。
次回の完結編が楽しみです。

*1:少なくとも一部の視聴者からは