『トイ・ストーリー4』感想 完璧なストーリーを超えて

 『トイ・ストーリー3』は完璧な完結編で、誰もがあの後を描く必然性に大きな疑問を感じていました。特段テンションの高まらない予告編もそれに拍車をかけました。しかし『4』はそんな不安を軽々と飛び超え、あの『3』の続編に恥じない、圧倒的な説得力を持った作品に仕上がっていました。以下ネタバレしてますので、本編を見てから読んでいただけると幸いです。

テンションが上がらない予告編

 公開初日の朝に観てきました。

 

「and beyond.」のストーリー

 アンディからモリーの手に移り、すっかりお気に入りのオモチャの座を降りて久しいウッディ。映画冒頭では後輩への助言を与えるポジションになっているものの、新しい状況に適応しきれず、煙たがられていたりもする様子がうかがえます。
 ウッディはそれまで、特定の子供を幸せにすることを自分の使命と信じていました。ところが、ボーとの再会が徐々に彼を変えていきます。今の自分にできることは何か? 模索の果てに、ウッディは持ち主の元を離れる選択をします。かつて「迷子」と呼んだ境遇を自ら選び取るわけですが、彼の目にもはや迷いはありません。
 ここで思い出すのが、放送が終了したばかりのアニメ『文豪ストレイドッグス』です。「迷い犬」という作品名の通り、過酷な運命に悩むキャラクターたちを描きつつも、不確かな未来に希望を見出す最終話は胸を打ちました。

 『文豪ストレイドッグス』は漫画や小説を原作としていますが、アニメ化にあたっての脚色で重要な役割を果たしたのが、脚本家の榎戸洋司です。

子供が大人になる過程を描くのが“物語”。予定していた物語から踏み外した人生を送る大人を救うのが“文学”。
『文豪ストレイドッグス 公式ガイドブック 開化禄』p.117「榎戸洋司’s After Comment」より

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アニメ『文豪ストレイドッグス』最終話オリジナルの場面に、トロッコのレールが徐々に水没していく演出がある。たどるべき道筋を失ってもなお歩みを止めないキャラクターたちの生き様を暗喩した名シーンだ。

 子供のため大人への成長過程を描いてみせるのが「物語」なのに対し、物語を踏み外した大人の救済となるのが「文学」。この視点に則って考えると、トイ・ストーリー4』は完全に「文学」の領域に踏み込んでいるといえます。

 オモチャにとっての幸せとは何か? という問いは、シリーズで作品を重ねるごとに深められてきたテーマです。しかし、これまでオモチャの幸せとは常に特定の子どもの幸せと紐付いて語られてきました。それこそがウッディのオモチャとしての「物語」でした。
 ところが『4』ではついに、特定の子供とは結びつかない、ウッディの側に立った幸せが探求されるようになりました。そして、かつて一度はボーとの旅立ちを諦めたウッディが、最後には新しい生き方を選びとります。それは決してオモチャとしての役割を放棄した生き方ではなく、彼はモリーの元を去ってなお、新たな仲間と共に目の前の子供やオモチャの笑顔のために奮闘し続けるのです。

 オモチャが子供を笑顔にし、オモチャもまた笑顔なのであればそれ以上に幸せはなことはありません。これはウッディにとってのセカンドキャリアであると共に、『トイ・ストーリーフランチャイズの現状にも符号します。『トイ・ストーリー』はもちろんたくさんグッズ化もされていますが、物質的なカウボーイ人形やスペース・レンジャーに限った形ではなく、あらゆる媒体を通し世代を超えて愛されている作品です。
 結末は一見切ない別れのようでもありますが、僕らは無限の彼方へと続く道を通じて、いつでもウッディやバズたちとつながっている。そう感じさせてくれるラストでした。これほど「大人っぽい」映画を子供が見てどう感じるかはとても気になりますが、きっとこのテーマを扱ってなお、見る人みんなを笑顔にしてしまうのが『トイ・ストーリー』とピクサーのすごさなのでしょう。