絶対退化革命前夜

 僕は基本、惚れた腫れたをメインでもって締めくくる作品に条件反射で拒否反応をしめしてしまう傾向がある。マクロスFにいまいち乗れずに、裏のギアスR2に夢中になってたのは多分このせい。旧エヴァが大好きなのも多分これ。「破」に直感的にポカポカできなかったのも多分これのせいだ。
 この事を初めて強く意識したのは去年「ウテナ」を観てた時。終盤に近づくにつれてウテナが段々自分の中の「女」を意識し始める、あのドロっとした感じは相当堪えたし、ウテナが暁生とイチャイチャしてた問題の「あの回」は歯を食いしばりながらみてた。「ウテナ」に限って言えば「惚れた腫れた」に終始する物語りでは決して無いし、むしろ最後に惚れた腫れたの次元を超えた所にいったので物凄く大好きな作品なんですが。あくまでもこの事に気付くきっかけをくれたのが「ウテナ」という事です。
 これはなんだろうね。僕はEOEのアスカの「ホントに他人を好きになった事ないのよ」という台詞がある種のトラウマとして残ってるんだけど、もう、惚れた腫れたを主題にされてしまうと世界の運命なんかよりもよっぽど手にあまるテーマに思えてくるんだよね。童貞力極まった人間として許容できるラインはせいぜい「フリクリ」の悶々とした青春までです。バットを振ろうにも振れない、あの距離感。あれですね。裏庭で上手に素振りができただけで照れ笑いしてるくらいのあの感じ。主人公らしき人物が試合でフルスイングしてるのをみても、それが三振だろうがヒットだろうがホームランだろうが、自分の立っているステージとは無縁の事に思えてなんだか興味が持てない。妬ましくはは思えても羨ましくは思えないし、特に前向きな気持ちにもならない。あ、ハチクロがダメでライオンは大好きなのもこれのせいか。
 正直十年後の自分を想像しても「まともな大人」になっているビジョンが持てません。