映画『バズ・ライトイヤー』を観てきた。メカのあらゆる質感がすばらしく、真っ直ぐな活劇・成長譚として楽しめた。予告だとギャグが滑り気味に見えたけど、ネコ型ロボのソックスが思ったより良いキャラで劇場で何度か笑いが起こっていた。
後述するが、とにかくフルIMAXの恩恵が凄まじいので、足を伸ばせる人はぜひグランドシネマサンシャインかエキスポでの鑑賞をおすすめしたい。
以下、ネタバレ感想。
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— グランドシネマサンシャイン 池袋 (@cs_ikebukuro) 2022年6月15日
1.43:1
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7/1(金)劇場公開
🚀『#バズライトイヤー』
IMAX画角を含む、初めてのピクサー作品!
最大40%増の映像!!!
“ビルの高さが6階分”
IMAX®フルサイズで堪能できます!
みんな大好き12階案件です🥰
さあ、IMAXで無限の彼方へ pic.twitter.com/mOLu8LxKTu
おおむね楽しんだけど、腑に落ちない点が大きく2つあった。
1つは本作のコンセプトが発表され、予告映像が流れ出したときから懸念点として結構言われていた「1995年にアンディが見た映画」と思えない点。
冒頭で「これがアンディが見たあの映画だ」という主旨のテロップがバーンッと表示され、確かにその瞬間それなりにテンションは上がったのだが、本編が進むにつれやはり齟齬が増大するばかり。
映像のルックが2022年水準になっている分には「1995年の映画を現代人フィルターを通して見たもの」と好意的に解釈できなくもないが、同性夫婦が当たり前に登場したあたりで「1995年にそんな手つきの大衆映画はまずなかっただろう」と、ツッコミが抑えられなくなった。
ディズニー自身が同性愛シーンを積極的にピクサー作品から排斥していたことが暴露された直後なのもあって、「1995年時点でそのような描写があった」とのifを見せるのが、(たとえ1995年がディズニーのピクサー買収前で、作り手がこれまでディズニーに抑圧されていた側であっても)ある種の歴史修正のように見える違和感が拭えなかった。
難しいのは、単にノスタルジックな現代的でない作品を作ればよかったのかと言われると、それはそれでつまらなかっただろうこと。ではどうすればよかったのか? Twitterでも見かけた意見だが、「1995年にアンディが見た映画のリブート」という建付けにすべきだった……というか、そうするしかなかったのではという気がする。
腑に落ちなかったもう一点は、最後のバズの選択――すなわち惑星脱出を諦め、現地に残る決意をしたこと。
バズは当初、惑星脱出任務の初志貫徹にこだわるが、イジーたちとの共同作戦を通じて個人主義的な考え方から、仲間の大切さ、ひいては彼女らが移住先で築いた新たな社会を尊重できるまでに視野を広げることになる。
ピクサー作品では初期の頃から、スタッフや観客の身近な問題が作中テーマに反映されることが多かった。これは近年の作品でも顕著で、ウッディの選択が現実社会における転職やセカンドキャリアを思わせる『トイ・ストーリー4』、オタク少女が心身の変化や人種的ルーツと向き合う『私ときどきレッサーパンダ』などはその典型だろう*1。
この潮流に照らし合わせると『バズ・ライトイヤー』のバズは、仲間(家族、隣人)を顧みなかったワーカホリックな仕事人が、社会生活の在り方やワークライフバランスを見直すのがテーマに思えてくる。
その象徴として、仕事上の絶対無二の成果としてこだわっていた“ハイパースペース燃料”をすっぱりと諦め、無限の彼方への象徴ともいえる両翼を背に仲間の元へ駆けつけるシーンはなんとも感動的だった。
とはいえ、燃料の配合方法はソックスが編み出したわけで、再現可能なものに見えたのはノイズにもなっていた。惑星政府の新たなルールに(結果的に)従う形になったラストもどこか釈然としない。
定住と移住を選択肢として提示した上で、バズやあの惑星の住人らが選び取るのならよかったのだが、残念ながら本作の話運びはそうなってはいない。あの惑星の次世代の人々の中にだって、『機動戦士ガンダム』のホワイトベースに乗り合わせた民間人のように、祖先の生まれ故郷への帰還を夢見ていた人はいたのではないか?
せめてソックスが再起動時に配合方法を忘れてしまい、手元にある燃料が唯一の希望であるとの補助線を引いたり、惑星での生活が豊かになり住民らが心底そこでの人生に満足しているかのような描写が必要だったように思う。
加えて時節柄、バズが前半で抑圧された環境に閉じ込められ、元いた場所に戻ろうと奮闘するのが、コロナ禍の生活に被って見えたのも微妙に後味が悪かった理由かもしれない。「新しい生活様式に慣れ親しんで、この生活にも良いところがある(リモートワーク、広々と使える映画館etc...)のが分かったのだから、コロナ禍以前に戻るスイッチがあっても使わないでおこう」と言われて、はいそうですかとはならないのでは、という。いや、コロナ禍以前に戻した上でリモートワークを選択させてほしいのだが……みたいな。
と、いろいろ不満を書いてしまったが、カラッと楽しめるSFアクションとして堪能したのは間違いない。ラストの選択についても、「男のロマン」的な終わり方が良し悪しだった『インターステラー』との対比で考えるとまた面白い気もする。何より映像クオリティーのひとつひとつがずば抜けているので、良い上映環境で観るとそれだけでかなり満足度が高い。
できればグラシネかエキスポIMAXで観てほしい
ここからはだいぶ余談。あまり喧伝されてないが、冒頭でも触れた通り本作は「1.43:1」のフルサイズのIMAX規格で制作されている。これは異例のことで、この規模のアニメーション作品では初じゃないかと思う。日本で体験可能なのは東京の「池袋グランドシネマサンシャイン」と、大阪の「109シネマズ大阪エキスポシティ」だけ。
実写でもフルIMAXに対応した作品は年にそう何本もあるわけではなく、今回はたぶん昨年公開の『エターナルズ』以来約8カ月ぶり。去年だと他に『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』『DUNE』もフルIMAX対応だったけど、これらはいずれも一部の見せ場のみでの採用だった*2。
対して『ライトイヤー』では本編の約1/3ものシーンがフルIMAXで制作されている。『DUNE』などはアスペクト比がこまめに切り替わるせいでかえって見辛く感じる場面まである始末だったが、『ライトイヤー』ではあくまでもシーン単位や視界が広がる演出としてフルIMAXを使いこなしていて、映像集団としてのピクサーの底力を感じた。
ここからはさらに余談。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』以降、日本の大作アニメ映画では横長のシネマスコープに挑戦するのがちょっとしたトレンドで、縦にデカくなるIMAXとは逆行する流れができていて、ちょっと面白い。
近年では『竜とそばかすの姫』『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』『劇場版 呪術廻戦 0』、公開が控えている作品だと新海誠の『すずめの戸締まり』、スタジオポノックの新作『屋根裏のラジャー』もシネスコ。
特報がシネスコだった『すずめの戸締まり』
最近のソースが見つけられなかったのだが、2001年に書かれた「WEBアニメスタイル」のコラムでは、当時最後に作られたシネスコ作品が「おそらく1979年春公開の『龍の子太郎』」とされていて、近年のシネスコアニメ映画ラッシュがアニメ史的にも珍しいことだと分かる。
ちなみに『ヱヴァQ』のシネスコは庵野監督が『ヤマトよ永遠に』のワープディメンション方式(スタンダードサイズの画面が上映中にシネスコに切り替わる)に倣い、艦隊戦をシネスコでやるとカッコいいと思ったから採用したらしい。業界を巻き込んだムーブメントが個人のオタク的感性に端を発しているようなのはなかなかすごい話だ。
カントクの記憶が目覚めました。「ヤマトよ永遠に」のワープディメンション方式採用理由の故事に倣い、戦艦向きの画面にしたかったのと、劇場でビスタの予告の後にシネスコ本編が始まる時にスクリーン幕が左右に広がるのがカッコいいなと思ったからです。 https://t.co/GEcgyzsFox
— (株)カラー 2号機 (@khara_inc2) 2017年12月7日
紙に描く手描きのアニメでは、シネスコのように横長だと単純にパラパラしづらく描きづらいというハードルもある。『ヱヴァQ』ではこうしたハードルを、横に大きい用紙ではなくビスタ用紙を上下狭めたフレーム上に描くことでクリアしたらしい。
(細田:なぜ過去作でシネスコ採用を見送ってきたかというと)現場がどうやりやすいか、ということが大事だったから。具体的には、アニメーターが原画や動画を描く「動画用紙」という紙のサイズの問題です。単純にビスタのほうが紙が小さいから、絵が描きやすいし、パラパラ紙をめくってキャラの動きをチェックしたりする作業もやりやすい。
シネスコ用の動画用紙って、すごく横に長くいんです。スタンダード(縦横比3:4、地上デジタル化以前のテレビの画面サイズ)、ビスタ、シネスコと順に比率が横長になっていく時、動画用紙は天地の長さが変わらずに、横に長くなっていく。だから、シネスコだと紙がすごく大きくなってしまう。現場のアニメーターがそれをパラパラめくったりするのが大変だ、ということです。
でも歴史を振り返ってみれば、僕らの先輩である昔の作り手たちはそれをやっていました。僕や作画監督の山下高明さんが在籍していた東映動画(現・東映アニメーション)には、「東映長編」と呼ばれる長編アニメーション映画の歴史があり、それらはすべてシネスコで作られていました。一番最初の『白蛇伝』(1958)から最後の『龍の子太郎』(1979)まで全部シネスコです。
序・破よりQの方が作画用紙上の紙面積は狭いのですよ、為念 https://t.co/I7dvUlPg1Y
— 大波コナミ(輩) (@moja_cos) 2017年12月8日
こんばんは。
— てつ (CV:丹下桜) (@tetsu145) 2017年12月8日
昔、貧乏ビスタというのを聞いたことがあるのですが、それをビスタサイズの作画用紙の上で同じような要領で描いたってことでしょうか?
だいたいそんなところです
— 大波コナミ(輩) (@moja_cos) 2017年12月9日
特に『シン・エヴァ』の第3村パートでのレイアウトなどはすばらしかったので、あれを見た後にこんなこと言うのは気後れするが、個人的に画面の見栄えとしては実はシネスコやビスタよりも旧来のテレビのスタンダードサイズ(4:3)の方が好みだったりする。そろそろそれに近いフルIMAXの「1.43:1」にフォーカスしたアニメが出てきてくれると嬉しい……のだが、限られた上映館のためだけに他のフォーマットでは切り捨てられる範囲まで描かねばならないため、現実的に難しいことも理解できる。
などと達観していたところ、ピクサーからまさかのフルIMAXアニメが出てきたので、今回は思わぬ棚ぼただった。実写ではカメラを狭い室内で回しにくいという物理的制約からも採用シーンが作中の一部パートに限られがちだが、アニメではそういうことが無いので、『ライトイヤー』以降こうした作品が増えてくれるとうれしい。