『フリクリ プログレ』感想 幾原邦彦はボテ腹ハル子の夢を見るか?

 1話アバンでもたらされる「もしかして楽しいアニメが始まってしまったか?」という錯覚は、残念ながら粉々に打ち砕かれる。
 仮題で『フリクリ2』を冠していただけあり、『フリクリ プログレ(以下、プログレ)』はハル子のその後を描いた作品だ。前日譚の番外編的位置付けだった『フリクリ オルタナ(以下、オルタナ)』に比べ、直接的続編としての側面が強いのである。
 原作の『フリクリ』を半端にトレースできている分、全体がピンぼけ気味だった『オルタナ』より褒める点がいくらか見つけやすいのは間違いない。しかしだからこそプログレ』は『オルタナ』以上に罪深い作品になっている。以下ネタバレなので本編鑑賞後に読むことをおすすめする。もう一方の続編『オルタナ』の感想はこちら。

切って落とされた宗教戦争の火蓋

 まだ気付いていない人もいるかもしれないが、事は作品の良し悪しを超えて宗教戦争的緊張を有している。確かに1話ラストでハル子(ラハル)*1が「ようやく本命登場だぜ」と姿を現し、エンディング映像*2に突入するシーンは盛り上がる。伍柏諭がコンテ・演出・作監を務めた映像はすばらしい*3
 だが、初めてこの映像を見たとき、嫌な汗が走り、一旦思考が止まった。なぜか? ……まずは『フリクリ』1話のラスト付近のこちらのカットを思い出していただきたい。マミ美にジュースを渡される、「酸っぱいのは嫌いなんだけど」の場面だ。

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フリクリ』1話の印象的な場面。

 で、『プログレ』のエンディングである。

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カメラに写っているのは、マミ美が立っていたあの場所。

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口にはタバコ。髪を短く切ったマミ美の成長した姿。

 果たしてこれを許容できるか? という話なのだ(ちなみにEDには成長したナオ太やニナモリと思しき姿も映っている)*4
 確かに『プログレ』は『オルタナ』に比べ口当たりが良い。それはピロウズの楽曲の使い方が少なくとも『オルタナ』よりはキマっていて(後述するが「大丈夫?」と素朴に訪ねたくなるほど雑な選曲も見受けられる)、画面の派手さとしても優れたシーンがわりとあるからである(後述するが話数によって画面の充実度に大きな差があり、こちらにも無視できない欠点がある)
 しかし、だ。今作で描かれるのは「歳を重ね変貌したハル子」の姿である。マミ美の例は画的に象徴的なため最初に紹介しているが、この問題は『プログレ』でのハル子の描写において本質的に不可分だ。
 『プログレ』でのハル子は、オルタナ』で上村泰監督が試みた「自分なりのハル子像を描く」アプローチとは似て非なるものでもある。『オルタナ』のハル子は新谷真弓の監修を持ってしても一挙手一投足が精神を逆なでする全く別の何者かになってしまっていた。だが、それは上村監督から見たハル子像であり、それがいかに誤読に基づいたものであっても、ハル子の本質を侵犯する行為ではなかった。一方の『プログレ』は、神聖不可侵に思える領域に驚くほど無配慮にずかずかと踏み込んでくる。

幾原邦彦が提案した「綾波の妊娠」

 象徴的なのはハル子(ラハル)がジンユを取り込み、腹を膨らませる5話目だ。
 『プログレ』でのハル子は身の丈に合わぬ欲望が暴走した結果、元の人格を色濃く残した「ハルハ・ラハル」と、彼女の理性的な側面が前衛化した「ジュリア・ジンユ」という2人のキャラクターに分裂している。
 子供の特権である「幼児的万能感」を下手に持ち続けると「宇宙怪獣」と同種の化物になってしまうのではないかと問題提起したのが『トップをねらえ2!』であったが、ハル子もまた、大人になっても欲望のままアトムスクを置い続ける怪物じみたキャラクターだ。
 怪物すれすれなのにちょっと憧れてしまう謎のお姉さんという余白が本来ハル子の魅力だった(と僕は思う)のだが、『プログレ』では徹底的にハル子というキャラクターを現実に結びつけ、正論による殴打を繰り返す。彼女のキャラクターの実在不可能性を強調するための一線を超えた描写が、分裂していたジンユを「食った」後の姿だ*5

 お腹が膨れたハル子を見て、かつて幾原邦彦庵野秀明に「(『新世紀エヴァンゲリオン』の最終回で)綾波レイを妊娠させてはどうか」と提案した事案を思い出したアニメファンは自分だけではないはずだ。

 

庵野 その辺が作り事だっていう事は、みんな、分かってるんだけど、逆にそれだからこそピュアな感じがして、よりのめりこみ度数が高くなるんですけどね。アニメのキャラクターは基本的には裏切らないと思い込んでいるんですよ。幾ちゃんが言ってたけど。「最終回で、綾波レイが妊娠して、腹がデカくなっているのをやってくださいよ」って。
小黒 テレビの放送中に?
庵野 だったかな? 「とにかく綾波ファンを裏切ってくれ」ってね。「君達が考えている綾波レイというのは、本物じゃないんだ。本当の綾波は妊娠して腹が」。
小黒 (笑)。あ、ホントに綾波がいたら。
庵野 「ホントだったら、妊娠して腹がデカくなって子供生んだりして、年を取ったりするんだっていうのを思い知らせてやってくれ」みたいな事を言われて。俺は「そこまでせんでも……」と思ったんですけど(笑)。
小黒 (笑)。幾ちゃんの方が悪人ですね。
庵野 うん。俺自身がそれを観たくなかったからね。でも、妊娠はさせなかったけど、大きくはしちゃったなぁ。
アニメスタイル第1号」pp.93-94 *6

 

 『プログレ』で行われるハル子の描写は、「少年の日の心の中にいる青春の幻影」のような強固なキャラクターとしての積み重ねなどではなく、ただ彼女の人間性を値踏みする行為に見えた。そのため、アトムスクの見た目も超常的なものではなく人形になってしまうのだ。
 『フリクリ』ではハル子の動機を安い恋愛感情と思わせないためにも、アトムスクはあえて異形の姿で描かれた*7。だが『プログレ』だとアトムスクは最後に人型になってしまうし、あまつさえ中学生に「変な鳥が好きなんでしょ? バカみたい。ただの恋する乙女じゃん」と言われ、ハル子はろくに言い返せもしない。
 庵野すら尻込みする領域に踏み込んだことを挑戦的だと評価するか、あるいは蛮勇と捉えるかは意見が分かれるところかもしれない。ただジンユの言葉を借りるなら、個人的には「不釣り合い」なテーマだったように思えた。

同じキメ曲を2話連続で使う蛮行

 冒頭でピロウズの楽曲の使い方が比較的良かったと書いたが、問題も大アリである。一体どんな判断があれば、5話と6話で「LAST DINOSAUR」と「I think I can」を連続で使うことになるのだろうか*8。おまけに6話では明らかに作画が息切れを起こしていて、画的な魅力が4話Bパートや5話に遠く及ばない。
 問題はひとえにリソース配分を不可能にした今回の制作体制にあるのではないかと思う。全体を俯瞰する総監督の不在により、適切な楽曲の割り振れなかった点。そして話数ごとに監督やスタジオが異なることで適材適所を徹底できなかった点は、作品として大きな欠点になったと言わざるを得ない。
 『フリクリ』も話数によって平松禎史の艶っぽい線を活かした絵から、今石洋之のとんがった表現まで振り幅の大きい作風だったが、決して『プログレ』のように質的な意味で振り幅が大きかったわけではなかった。
 特に笑ってしまったのは4話Bパートのハル子(ラハル)とジンユの空中戦だ。ここは見ごたえ抜群なシークエンスで、素直にとても良い。だがこんなにすごい空中戦(と板野サーカス)をやると分かっていたら、なぜ2話であんなにしょぼい空中戦(と板野サーカス)をやる必要があったのか。リソース配分もだが、アクション内容まで被っているのでは首もかしげたくなる。

海外で先行公開されファンを絶望の底に叩き落とした動画。とはいえこの動画では一部シーンが削られてるので、本編だとここまで酷い印象は受けなかった。

良いところもあった

 繰り返すが、決して光るものが無かったわけではない。冒頭でも触れた通りアバンは西尾鉄也と篠田知宏による師弟コンビが手がけた*9映像でわくわくするし、各所で話題の5話は全編意欲的な制作手法で『フリクリ』の名に恥じないものを作ろうという意気込みを感じた*10

5話のメイキング。なぜか別話数の映像が混じっているので要注意(編集した人は何を考えていたのだろうか)。

 また、新しいキャラクターたちもそれなりに魅力的だった。特にヒドミについては自分の身体への嫌悪感や、それに起因する捻れたマゾヒスティックな性癖は面白かった。2話アバンの意味もなく無駄にグロいスプラッターな夢も笑った。ただ、いかんせん井出との恋愛がベタすぎてつまらないのと、母親との確執がサラっと解消されるのが肩透かしだった。

 ちなみに同じ「ヒドミ」という名の登場人物が、脚本・岩井秀人の過去作『霊感少女ヒドミ』という舞台作品にも登場する。こちらのインタビューによると舞台版の登場人物名「ヒドミ」は岩井の妻「ヒロミ」にちなんでつけられたものであるとのこと。この辺とからめて、『プログレ』に込められた思いなどについてはいずれインタビューなどで語ってもらいたい。

 新キャラの中ではアイコが飛び抜けて勿体無く、設定の使い捨て感は『オルタナ』のペッツ以上。嫌悪の対象だった日常空間(レンタル彼女活動)をヒドミのそれ(喫茶店や身体的嫌悪感)とうまくシンクロさせていれば上手く描けたのではないかと残念でならない。

  Twitterで見かけて、これはなるほどなと思った。

【追記】とても悪いところもあった

 書き忘れていたので1点だけ追記する。初見時最も頭にきたのはこのシーンだった。

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ハル子の歯が折れるシーン。

 『プログレ』最終話での一幕である。いうまでもないが、鶴巻監督の代表作『トップをねらえ2!』最終話においてラルクの歯が折れるのは作品のテーマ的にも重要な演出だった。ところが『プログレ』ではギャグの一環としてハル子の歯が折られる。パロディでもオマージュでも作劇上の必然性もなく、ただ考えなしに挿入された描写のように見える。鶴巻監督作品の続編最終話でよくこうも無配慮な演出が入れられるものだと驚かされた。

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「それが努力と根性だ!」

 こんな雑な演出をするのであれば、ジンユが皿を割ってしまいがちという『トップ2』パロをファンへの目配せとして入れないでほしかった。

 本来こうした憤りの矛先は総監督に向けられるべきだと思うが、本広克行は名義貸しとしか思えないので、この不満を誰にぶつければよいのかも分からない。全体を見渡す監督不在の『フリクリ』の続編という状況そのものが悲しい。

(追記ここまで/8月30日)

 『プログレ』『オルタナ』を観終えて

 『オルタナ』の感想でキャッチコピーへの文句を散々書いたが、『プログレ』を観てずっこけた。まさかハル子先生の「立てよ青少年。どうでもいいから好きにしろ! 可能な限りテキトーに。ざっくり雑にボーン・トゥ・ビー・ワイルド!」というセリフから取ってきていたとは。

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オルタナ』の感想でさんざん文句を書いたキャッチコピー。

 このシーン自体はハル子が青少年たちに活き活きと悪影響を与えていて好きだ。これがキャッチコピーというのは、あの宣伝自体がハル子の催眠術的なものだったと解釈できなくもない……。が、本編未見では伝わらない上、であればなおさら『プログレ』を先に公開しなければ、『オルタナ』単体では意味不明なコピーである。

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オルタナ』単体では破綻しているのでは。

 ところで、ここまで意図的に声優陣に触れてこなかったのだが、プログレ』最大の功労者は林原めぐみと、林原にハル子役のバトンを渡した新谷真弓だった。分裂したハル子とは、いわばバグを抱えた、元のハル子からは変質してしまった存在であり、それをそのまま新谷が演じていたらとてもグロテスクなものになっていただろう。

 林原の教壇での早口やスロー演技は後から効果などを足したものではなく、林原自らによるものだったと、初日舞台挨拶で証言があった。4話でジンユに飛びかかる怪物じみた叫び声も、時折新谷が憑依しているのではと錯覚するのほどのハル子っぷりも、さすが林原めぐみだと舌を巻いた。
 声優の交代が誰のどのような演出意図に基づくものなのかは分からないが、発案者に感謝したい*11

 

 『プログレ』『オルタナ』両作鑑賞後に『フリクリ』をあらためて観てみた。あっけないほどに最高に面白かった。何があっても、どのみち『フリクリ』は『フリクリ』のまま、最高に面白いのである。これは幸福な発見だった。

 ついに目下最大のストレス源だった「『フリクリ』の続編が公開される」が終わった。「エヴァンゲリオン」が完結する2020年までは心穏やかに過ごしたい。

*1:【9月30日追記】Twitterでハル子、ラハル、ジンユの書き分けについてつっこまれたので、表記を修正。分裂した状態のラハルの表記を「ハル子(ラハル)」に統一した。

*2:海外のテレビ放映版ではエンディング映像として使われたが、国内の劇場公開版だとクレジット上は「オープニングアニメーション」とされている。

*3:「Spiky Seeds」はとても好きだし映像にマッチしていると思うのだが、星空を見上げるノスタルジックな内容を見る限り、歌詞的には『オルタナ』の「Star overhead」の方が合ってるように感じた。“遠い日の散らばった夢は 星になって頭上にあった”“写真には残せない場面 僕ら生きている 今を生きてるのさ”等。もともと「Star overhead」のほうが『プログレ』の曲としてアテ書きされていたという話だし、曲の変更がこの不思議なシンクロに影響しているのだろうか。

*4:キルラキル』の最終話でエピローグの絵コンテを任された鶴巻和哉は独断で(無論、最終的には監督なども承知の下)髪を切った皐月様を描いた。『フリクリ』の創造主たる鶴巻自信が(熟慮の末)独自解釈を作品に加えるタイプのクリエイターであるため、『プログレ』の扱いをより宗教性の高いものにしている気がする。気がするだけかもしれない。

*5:蜂の怪異のような姿にしたアイデアは秀逸だった。

*6:このインタビューは『この人に話を聞きたい 2001-2002』に再録されている。ちなみに『この人に話を聞きたい 1998-2001』には『フリクリ』6話のアフレコを終えた直後の鶴巻監督インタビューが収録されていて、こちらも必読。

*7:6話にて人形のイメージが流れるが、あれはアマラオが想像であり実際の姿とは異なる。【修正:初出時に「4話にて」としていましたが、「6話」の誤りでした(2020年8月25日)】

*8:パンフレットのインタビューで5話の末澤監督が「当初は違う曲にするつもりだったのを他のエピソードとの兼ね合いで変えた経緯があって」と説明していた。いや、どう考えても他のエピソードとの兼ね合いで5話か6話の「LAST DINOSAUR」を別曲に変えるべきだった。5話の方はハマっていたので、6話のほうをどうにかしたほうが良かったと思う。6話はヒドミの謎の変身曲の直後に「LAST DINOSAUR」をかけるセンスが驚くほど良くない。

*9:両名が担当したという情報はパンフインタビューの荒井和人の証言より。

*10:5話の技術面に関しては「CG WORLD」のインタビューが決定版。

*11:林原はブログで、ハル子役を打診された際の心境について「%&*@#£¢℃¥$???????????」と綴っている。また新谷からも会社を通してお気遣い含め、メッセージ的な、依託的なお手紙を受け取ったそうである。