『メアリと魔女の花』感想 本当に“いらない”のか? 大きな主語に違和感を覚えたという話

 「大丈夫。“ここ”ではあなたは、もともとそういう顔なのです。あなたの声やスタイル、それから細かいことを言えば指紋などもおそらくほんの少しだけ変化している。しかし“ここ”は、もともとあなたがそういう特徴をもつ人間だった世界なのです。厳密に言えば、あなたが変身したのではなく、ほんの少しだけ違うあなたが生きている世界に、あなたの心を移しかえたのですよ。これまでの自分にこだわりをもたない冒険心に祝福あれ」
 そして男は、小さなプレートを差し出した。
 「今夜の“遊び”の記念です。あなたが違う世界に来た、その勇気の証ですよ。みなさんは制服の胸に飾っておられるようですが」
 そのようにA子は“他人”になったのだった。


―― 榎戸洋司『少年王』より



 一部で中だるみを感じるシーンはあったものの、基本的には水準以上の作品になっていておおむね楽しめていた……だけに、最後に「そりゃないだろう」となりました。ネタバレしてますので本編未見の方はご注意ください。


 だいたい楽しく観れていただけに、最後の「魔法なんていらない」には大変がっくりきた。
 スリリングでわくわくするアバンから始まり(『アリエッティ』でも思ったけど、米林監督は普通の冒険活劇をやらせると本当に上手い)、退屈な日常からガチャガチャした魔法大学へ行くところも素直なわくわくがあった(サンリオの『ユニコ 魔法の島へ』とか大好きなのでああいうガチャガチャした異空間に弱い)。大学内を見回るシーケンスについては一昔前の三文RPGかよというくらい段取りくさく退屈極まりなかったものの、動物実験など「魔法」が秘める負の側面もチラ見せさせ、不穏さの仕込みとしては悪くなかった。
 メアリの嘘がバレて大学側に拘束されてからは、魔法の極意が詰まったチート本を持っているわりにホウキに乗って飛ぶか「魔法無効化」の魔法しか使わないという地味さはあったものの、愉快な動物たちの活躍もあり退屈はしなかった。無効化魔法にしても発動時にギュルギュル回転する見た目はこれまであまり見たことがなく、なかなか新鮮だったし。それだけに、最後の人体実験をめぐるメアリと大学側の対立構造には納得がいかない。

 実験失敗時にメルトダウンを連想させる描写や、ひとの手に余るエネルギーへの警鐘が突然始まり(そういえばわざわざ「電気も魔法」というセリフまであった)、あれれ、そっちに行くの? と不安を煽られたところで畳み掛けられる「魔法なんていらない」というメアリのセリフ。いやちょっと待ってくださいよと。


 作中でメアリは自分のドジな性格や、周囲から奇異の目で見られがちな「赤毛」をコンプレックスにしており、これを手っ取り早く解決する装置として「魔法(≒変身魔法)」のモチーフが据えられている。しかし魔法界でおだてられ、増長しまくっていた描写を見れば明らかなように、実が伴わない魔法ではメアリの成長には繋がらない。つまり、安易な魔法には頼らないという意味で「いらない」というのであれば納得もいっていたのです。しかしこれまで魔法についてなんら学んでこなかった彼女に、突然クソデカ主語で「魔法」を全否定しほしくなかった。
 魔法大学側には一応それまで研究を積み重ねてきた歴史や、魔法によって大きなエネルギーを得ようという理想がある。こうした価値観ごと否定するには、作中での描写は一面的にすぎるように感じました。大学側の倫理観や実験プロセスは明らかに狂っていたので、順を追って、まずはそちらに対する批判をやってくれていれば納得しやすかったのかもしれません。ですが、運営を改善させようというアプローチも特に見られずいきなりの全否定。
 この辺は安易な反原発要素にしか見えなかったのですが、3.11を経た後で作られたとは思えない雑さを感じました。どうせやるならより共感が得られる描き方があったのでは。そもそもスタジオポノックではジブリからの技術継承をひとつのテーマにしているにもかかわらず、同じ技術の結晶である「魔法」をそんな無神経に否定してしまって良いんですかと。漫画版の『ナウシカ』は言うに及ばず、『風立ちぬ』でも「美しい飛行機が作りたいから」と自己矛盾しまくりなサイコパスをさらりと描いてみせた宮崎駿の偉大さをあらためて噛みしめてしまいます。