『京騒戯画』第0話は観なくてもいい

秋アニメ『京騒戯画』の放送が始まった。昨夜放送された第0話は“予習篇”と銘打たれている通り、以前ネット配信されたエピソードの再放送的な意味合いが強い。2011年に数十秒の予告を目にして以来の京騒戯画ファンで、1年以上PCの壁紙がハンマーを背負ったコトな僕はこの0話を大いに楽しんだ。しかしどう考えても、この0話の“予習編”というサブタイトルは嘘である。
0話が放送されて、あちこちから「わけがわからない」という悲鳴が聞こえてきているが、それもそのはずだ。あれは1話完結のエピソードでありながら、1話だけではあらすじを追うことすら困難なつくりになっている。しかし過去にネット配信された際には、その特殊なフォーマットゆえに、楽しみようもあった。
■単体で観ても仕方がない
そもそも『京騒戯画』とは2011年からネット配信で展開されてきたシリーズだ。まず5分間のPVが公開され、次に25分間の短編アニメ(テレビ放送された0話“予習篇”とほぼ同一のもの)が公開された。翌2012年には全5話の短編が順次配信され、2013年に満を持してテレビアニメ化、というのがこれまでの流れである。
最初に公開された5分間のPV

過去の感想でも触れたが、最初に公開された5分間のPVと、25分間の短編(≒0話)はコインの表と裏の関係にあたる。5分間のPVは一見その後の作品の予告映像に見えるが、よく見るとそれ自体独立したミュージッククリップのような内容となっているのだ。5分PVのおもちゃ箱をひっくり返したような楽しさに、セリフ回しの面白さなどを付け加えたのが25分版であると言える。
25分版クライマックスのキスシーンにおいて流れるBGMが、5分版で流れていた曲と同じであることは、両者が同質のものであることを象徴しているかのようだ。また、同質であるが故に、合わせて視聴することによって、より作品世界への没入度が増し、作品を楽しみやすくなるという好循環もあった。とにかく、わけがわからないまま凄い疾走感に身を任せるのが、初期『京騒戯画』2作品に共通する楽しみ方だった。
■BGMがちがう!!
ところが先日放送された“予習篇”は、映像が2011年公開の25分版と殆ど同じであるにも関わらず、BGMが(たぶん)全て入れ替えられている。クライマックスでのBGMはもちろん、導入から何から何まで撮り直しになっているのである。2011年版は音楽も含めて疾走感に身を委ねる感じのものだったのに対し、予習篇版は溜める所は溜め、盛り上げるところは盛り上げる……という、普通のテレビアニメの文法に沿った音の付け方をしているように感じる。映像はわけがわからないままなのに、BGMはまるで普通のアニメのプロローグのようなノリなので、なんだかおかしなことになってしまっている。
既にシリーズに親しんできた者が、あの狂ったテンションで突っ切る感じの短編がこんな風に変わるのか!と楽しむことは可能だが、全く初見の人間が突然これを観たとしてもあまり楽しめないのではないか、というのが、0話を観た個人的な感想である。その意味では、“復習篇”とでも命名して、これから観ようとする人たちに「あなた達すでに出遅れてますよ」感を漂わせてくれたほうが潔かったのではないかとも思う。元々単発で作られた作品なので、いくらBGMをプロローグ風に仕立てたところで無理があるのだ。……ただ、12月のソフト化に合わせてか、過去にネットで無料配信されてきた話数は有料無料問わず、全て視聴不可となっているので、仕切り直しを図ろうとした製作サイドの一貫性は感じる。だったら2012年版の1話と4話を流した方が良かったのでは、とも思うが……。
■次回以降への期待
いきなりこの0話を観て振り落とされそうになってしまった人にも、是非あと1話くらいは観てもらいたい。2011年に公開された初期2作の感覚をそのままシリーズ作品に持ち込むことが難しいことは、どうやら制作陣も承知しているようで、昨年配信された全5話の短編では、各キャラを掘り下げる比較的シンプルな構成が取られていた。おそらくテレビ版の次回以降も、そうしたバランス感覚の伴ったものになっているはずだ。また、まだ1話も観ていないけど気になってるという人は、これまで紹介してきた5分間のPVを観て、公式サイトなどであらすじを流し読み、次回以降の放送に備えればいいと思う。
『京騒戯画』公式サイト ストーリー
2011年版の暴走気味な『京騒戯画』2作に魅力を感じていた身としては、もうあれは観れないのかという複雑な気持ちもあるが、2012年版の情緒豊かな側面も大好きなので(特に1、4、5話の松本理恵演出回は素晴らしい)、今後の展開に期待したい。