ゴティックメード、なんて美しい映画・・・。

先日永野護監督の『ゴティックメード』を観てきました。

公式サイト: GOTHICMADE
 
なんとも風変わりなアニメーションでした。決してアクションでゴリゴリ魅せるタイプの映画ではなく、あくまで静かな展開が主。キャラの表情や動きが独得で、異国情緒溢れていました。特に冒頭部分のキャラの口パクは独得で、「ああ、この人たちは自分が聞いたこともないような言語で会話しているのだな」と感じました。もしかしたら異国情緒というより異世界情緒と言った方が的確かもしれません。
このような「なんだか異質なものを見せられている」という感覚は終始一貫していて、それはヒロインやロボットに対する印象にも影響を与えていたように思います。
今作のヒロインであるベリンは一歩間違えば宗教にアテられたお花畑脳のヒトです。実際旅に付きそうトリハロンは当初、ベリンに対して小馬鹿にした態度を取り続けていました。ところが物語中盤において、トリハロンはベリンのお花畑さを全肯定するようになります。正直、トリハロンが考えを大幅に転換するにあたいする行動をベリンが取っていたようには思えないのですが、僕の主観的にはそこに大きな違和感を覚えなかったところが逆に面白かったです。
この映画、ひたすらのんびりした展開が続きますが、それがなんとも心地良いんですよね。戦乱を好まないお花畑なベリンとは、映画で描かれるのんびりとした世界観を肯定する者であると言い換えることができます。であれば、観ている僕がのんびりとした世界観を是としたのであれば、お花畑なベリンを肯定してしまっても特に矛盾はないんですよね。これがトリハロンの転換に違和感を覚えなかった理由ではないかと思います。巧妙な仕掛けですね。
 
しかしそこで一つ問題が。のんびりとした世界観がいくら心地よくとも、これは一応ロボットアニメなので、どうやったってロボットによる戦闘は描かれざるを得ないわけです。ロボットアニメなのに、ロボットによる戦闘を純然たる消去法で描いてしまったら、ロボバトルにおける快感をスポイルしてしまうのではないかという不安がありました。ところがこの問題も、ゴティックメード、なんて、美しいロボット……。」という台詞で巧妙にクリアしてしまっています(劇中では厳密には違った言い回しでしたが忘れてしまいました)。

予告編の最後では「殿下のゴティックメード。氷の女王、カイゼリン。なんて美しい、ロボット……。」とあります。
テーマ的にのんびりとした世界観を肯定してしまったら、ロボット=ゴティックメードによる戦闘が蛇足になりかねません。しかしこの台詞によって、ロボットのデザインや動きも含めて永野護ワールドなのであると宣言しているのですね。
ゴティックメードは劇中において、悪の大量殺戮兵器であるとして、ベリンに一度めたくそに悪口を言われていました。ところが実際に登場してみると、これまでの心地良かった永野ワールドに見事に溶けこんでしまうわけです。率直な感想として、台詞の「美しい」という形容詞がぴったり合っているかは微妙ですが、永野デザインのメカにはやはり魅力があると認めざるを得ません。
本来であれば「お花畑」なものや「殺戮兵器」でさえも、永野ワールドにあっては心地良いファンタジー要素となる。それを前面にうち出しているのが、この映画が成り立っている理由ではないでしょうか。僕はこれまで永野さんが携わった作品に殆ど触れたことがありませんでしたが、この映画を観たことで、もっと色々みてみたいと思うようになりました。とりあえず近々『ファイブスター物語』読んでみます。