『エヴァQ』感想 榎戸ガジェットとしてのグラサン

世間的にはクリスマスですが、そんなこと気にせず今日もエヴァの感想書きます。
前回ゲンドウのグラサンについて色々書きました。
『エヴァQ』感想 逆襲のゲンドウ、グラサンの秘密 - さめたパスタとぬるいコーラ
超平たく言えば、『Q』には“キャラが「大人」であればあるほどグラサンが立派になっていく”というシステムがあるのではないか、という仮説ですね(笑)。ああいった見方にいきついたのはそもそも「グラサン」というガジェットに猛烈な榎戸洋司を感じたからでもあります。今回のエントリーでは『Q』のグラサンで個人的にデジャヴった過去の榎戸アニメを振り返りたいと思います。
榎戸さんが脚本を担当したアニメではしょっちゅうキャラクターの内面が表面的な特徴として現れます。その分かりやすい例として、『忘却の旋律』に出てきた「ミッドナイトひよこ」が挙げられるでしょう。


彼女の本名は浜崎さん。日常生活において諸々の理由により社会的な束縛を受けているのですが、普段の姿ではそうした不満について本音で喋ることができません。しかし一度モンスターユニオンのエージェント、ミッドナイトひよこに着替えると、本音がズバズバ言えるひとに変身してしまう。つまり、コスチュームによって弱い心を武装しているわけですね。こうした描写は『スタードライバー 輝きのタクト』における綺羅星十字団にも当てはまる部分があります。というか、前回指摘した、グラサンをかけているキャラ達が存外ノリノリに見えるという側面は、綺羅星十字団ではより前面に出ていますね。

 
また、前回のエントリーでは「グラサン」というモチーフの他に、「大人」というあり方についても繰り返し触れました。そもそもこれは『破』の感想を書いていた頃から着目していたモチーフですが、それを抜きにしても、『Q』のアスカの「あれじゃ馬鹿じゃなく、ガキね」という台詞は強烈な存在感を放っています。これはタイトルロゴが出る直前という超印象的なポイントで出てくる台詞で、作品のテーマに関わる重要なものであることを伺わせます。そした何より榎戸臭がやばいです。
「ガキ」という言葉が強調されているだけに、その対語である「大人」というモチーフが浮かび上がって見えた、ということです。そこで前回は「大人」と「グラサン」を結びつけて考えたわけですね。
ひとつフォローを入れるとするなら、「ガキ」というワードには榎戸だけでなく、鶴巻臭も混じっている感じがします。鶴巻監督&榎戸コンビの『フリクリ』や『トップ2』はまさしく、子供が主人公のアニメでした。『フリクリ』では「子供は大人ぶらず、子供らしく振る舞うことがむしろ大人である」というひねくれた描写がありましたし、『トップ2』では「子供時代の万能感とどう向き合っていくべきか」といったテーマが扱われていました。キャラの心情変化はそれぞれ視覚的に描かれ、いくつか印象的なものもありますが、その辺はむやみにネタバレしても仕方ないのでここでは触れません。
 
で、グラサンの話に戻すと、"「大人度」が高ければ高いほど、グラサンが立派に”というのは、個人的には『フリクリ』のアマラオを思い出します。

ただ者じゃない感が漂っているこのアマラオというキャラですが、このぶっといつけ眉毛は本人の大人ぶった態度を象徴するもので、一皮向けば情けない性格が丸出しになります。

フリクリ』は登場人物の頭からロボットやらギターやらを取り出して戦うアニメ(言葉で説明するとなんのこっちゃという感じですね)なのですが、主人公のギターは超立派なのに対し、アマラオのギターはパチンコ大で情けなさ満点だったりするのです。

主人公のギター(左)とアマラオのギター(右)
例によって『フリクリ』ではこの「ギター」というモチーフに性的な意味合いが含まれ、主人公のギターを見た女性陣が鼻血をダラダラ流すシーンが出てきます。

そういえば『輝きのタクト』でも似たようなニュアンスのシーンがありました……。

 
これらと比べると、グラサンというモチーフの上品さが際立ちますね。
まあその上品さを中和する役割としてカヲルという猥褻物が投入されている気もします。いや、むしろカヲルを相殺するためにグラサンが取り入れられたのかもしれない。グラサンが先か、カヲルが先か。「鶏が先か卵が先か」に匹敵する不毛さを感じます。しかし卵は世界だ。世界の殻を破らねば、我々は生まれずに死んでいく 。世界の殻を破壊せよ、世界を革命するめに!(クリスマスの空気が僕を狂気へと向かわせる)
 
結論:グラサンは上品!オシャレ!