『エヴァ』テレビ版感想:最終話 旧劇場版と同じくらい実直

長かったエヴァ感想も今回で最後。……にしようと思っていたのだが、やはり次のエントリで旧劇場版についても少し書くことにした。テレビシリーズに関しては書きたいことが前回まででわりと消化されてしまって、おかげで少しきりが悪くなってしまったので。
 
26話、「世界の中心でアイを叫んだけもの」
 
自己啓発セミナーとしての側面
物語の着地点にどこを選ぶのか。通常であれば主人公は世界を救ったりするが、スケジュール的な問題などもあり、庵野監督は話をシンジの心の救済に絞ることにした。

テレビ版の最終二話はシンジ(とその周囲の人々)の心の描写に終始する。限られた映像素材で心の世界+α(シンジに自分の価値に気づかせること)を描くのは相当困難だったはずだが、それをああいったキャッチーな形で作れたのは凄い編集センスだと思う。
僕は最後の「おめでとう」「ありがとう」を見ると空々しさと晴れやかな気分が半々になるのだが、あれは一部からは「自己啓発セミナー」的と非難されもした。

「エヴァは、やっぱり、自己啓発セミナーである」 - 大塚英志のおたく社会時評
 
エヴァ」最終回のプロットは自己啓発セミナーのプログラムそのものである、というぼくの指摘に対し、庵野は『クイックジャパン』のインタビューでセミナーに参加したことはない、と否定している。だが、別にぼくは庵野セミナー参加云々を問題にしたのではない。「エヴァ」の最終回に於ける問題解決の方法が「セミナー」と同一であるというのは事実以外の何者でもない。
(中略)
 ここで誤解のないように言っておくが「エヴァ」がセミナーと同一構造だからダメだ、といっているのではなく、セミナーも「エヴァ」も問題解決の手段として間違っている、といっているのである。

 
これについて、インタビュー本『パラノエヴァンゲリオン』では、周囲のスタッフから衝撃の証言がされている。

貞本 うん。最終話で、結局、どうしたらいいって(庵野さんが)聞いてくるから、「逃げたらダメだ」っていう人が「逃げてもいいよ」って言われたら、たいていの人は楽になって、気持ちいいよって答えたんですよ。そしたら。
(中略)
貞本 いや、当時流行ってた、そのへんのセラピー物の小説とかっていうのを、僕が読んだ限りでは、たいてい最後のテーマは……。
竹熊 自己を受け入れるってやつ。今のままの自分を肯定するという。
貞本 そうそう。結局、逃げたければ逃げなさいとかですね。まあ、深く考えるなみたいな。ちょっとラテンに行きなさいとか……そんなテーマが多かったんですよ(笑)。たいていあの種の本は、いや、逃げていいですよって。そういったものになってんだよという話をしたんですね。庵野さんに。そうしたら……。
竹熊 素直に出しちゃった?
貞本 だと思いますよ。
佐藤 自分自身が、そこで癒された部分もあったんかな。
貞本 ウワーッと思いまいたけどね。脚本見たら、言ったことストレートに入れてるわと(笑)。
竹熊健太郎・編 (1997) 『庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン太田出版 p.153

あれ貞本さんの入れ知恵だったのかよww

今となっては自己啓発セミナーのようなものに薄気味悪さや滑稽さを感じる。そうしたものが精神的にプラスになる人がいれば、それはその人の勝手と割り切ることもできる。しかし個人的に大問題なのは、僕が『エヴァ』の最終回をはじめて観たときに*1わりと無批判に作品からカタルシスを感じてしまっていたことだ。いわゆる黒歴史というやつである。自己啓発セミナー云々の背景を知らなかったというのもあるが、それは大した言い訳にならない。あの最終回は頭を空っぽにして見ると、確かに気持ちの良かったのだ。
少なくとも庵野監督は作っている瞬間、「これしかない」という思いで、本気で作っていたに違いない。あの勢いはその迫力の成せる技だと思う。人が何かを本気で作り、とんでもない駄作になることはよくあることだが、『エヴァ』の場合は決してそうはなっていない。制作にあたっての熱意は、確かに作品に焼き付いている。

 
自己啓発の失敗
テレビ版の最終回自体、あれはあれでとても完成度の高いものだ。しかし本当のオチがつくのは、実のところ庵野監督の心がちっとも補完されていなかったことが露呈する旧劇場版だろう。シンジが「ここにいてもいいんだ!」と一瞬思ってみたところで、結局現実はメンヘラヒロインが待ち構えるコミュ障には辛い世界なのだ。
エヴァ』という話を本当に「成長もの」として完結させたければ、やはり最終話の舞台は現実であるべきだった。最終話でシンジは自分に「学園エヴァ」の可能性を垣間見る。しかし、垣間見るだけでは足りないのだ。成長ものとして描くのであれば、シンジは現実に「学園エヴァ」のような立ち位置を勝ち取る必要があった。
成長ものをきちんと描けなかった事自体が庵野監督の正直さの現れであり、当時の監督の精神状態の反映なのだろう。そんな当時の庵野さんのメンヘラっぷりを追体験するための媒体として、テレビ版の最終回は旧劇場版と双璧をなす、至高の作品と言える。
 
というわけでもう一つの終局、旧劇場版感想へとつづく!
・次回感想→『エヴァ』旧劇場版感想 悪趣味な快感
・全話感想もくじ→『エヴァ』テレビ版〜旧劇場版/『新劇場版:Q』全感想目次

*1:厳密には初見時はポカーンとしてただけなので、何度か観返して自分なりに納得ができた後