『エヴァ』テレビ版感想:20話 鬱陶しい母性

明日は時間が無いので、感想書く時間が実質今日と明後日しか無いんだにゃあ♪(精神不安定)
 
第20話、「心のかたち 人のかたち」
 
リツコ「拘束具が今自らの力で解かれていく。私達にはもう、エヴァを止めることはできないわ。」

リツコが説明口調の台詞を始めると即座に太鼓を叩いているように見えてしまう病気。あのコラは本当に罪深い。


・シンジが初号機に取り込まれ、ミサトがリツコにフラストレーションぶつける。このときのギスギス感がたまらない。おもいきりリツコを引っ叩きつつ、「なんとかなさいよ!あんたがつくったんでしょ!?最後まで責任取りなさいよ!!」。かなり冷静さを欠いた言動。周囲のオペレーターの「うわぁ…」という雰囲気も良い。このいたたまれなさは23話「涙」でリツコ泣き崩れながら綾波のダミーを壊しまくる場面でのシンジの浮きっぷりに通ずるものがある。


……見ようによってはマヤは「よくも私の先輩の顔を引っ叩きやがって…」と怒りに燃えているようにも…w
 
・初号機に取り込まれたシンジの心象風景。
「心も体もひとつになりたい?」
初号機に乗っていれば皆が褒めてくれる。その事実に喜びを見出そうとすると、いつものように「初号機に乗らねば必要とされない」ことで悩みだす。
しかし今回は場合、初号機(=ユイ)がシンジと融合したままイチャイチャしていたいがために、わざと「初号機に乗らなければ必要とされない」という思考に誘導して、「私とひとつになりたい?それはとてもとても気持ちの良いことなのよ」と迫っている感がある。

追記(11月15日):「私とひとつになりたい?」という呼びかけがユイによるものだというのは庵野監督自身言っていたことだと後から思い出した。『パラノ・エヴァンゲリオン』pp.148-149において、貞本さんと摩砂雪さんからそうした証言が出ている。ちなみに元々貞本さんはここでの表現を誤解していたようで、リツコが組んだプログラムがシンジにああした幻覚を見せているのだと解釈していたようだ。庵野監督から元の意図を聞いてショックを受けたらしい。

最終的にシンジが幼少期の母親との記憶を思い出したところで解放してくれる。*1

 
次回予告。「ゼーレにより拉致される冬月副司令。その脳裏を横切る過去の記憶。邂逅。別離。再開。死別。1999年の京都から全てが始まった。他人と歩む現在の積み重ねが、碇と冬月の歴史を作っていく。彼らが全てを費やす組織と共に。ネルフは果たして人類の砦足りうるのか?次回、「ネルフ、誕生」。」
次回回想回。
 
雪だるま式に空気が重苦しくなってきていて楽しい。しかしトウジの一件以来ある程度積み重ねられてきていたシンジの話は、今回で一旦おしまい。シンジに焦点が向くのはカヲルが登場する24話「最後のシ者」から。
次回につづく。
・次回感想→『エヴァ』テレビ版感想:21話 迸るおっさん達のリビドー
・全話感想もくじ→『エヴァ』テレビ版〜旧劇場版/『新劇場版:Q』全感想目次

*1:そのきっかけとなったのが、初号機の傍らでシンジのことを想っていたミサトらしいことが、後にリツコによって示唆される。…しかし基本的に保護者としての仕事を放棄しているミサトに母性がどうとかと言われるともの凄い違和感がある。