『エヴァ』テレビ版感想:2話 ミサトと大人のキスに至るまで

1話が書いていて疲れたのでサクサクサクサク行きたい2話「見知らぬ天井」感想。
 
・リツコ「今は歩くことだけを考えて」→「歩いた!」
歩いただけで喜んでしまうくらい実用性に疑問アリアリなメカにいたいけな少年を無理矢理乗せてるんだよな、この人達。絶対に働きたくない職場ですね。
・初号機の痛みがダイレクトにシンジに伝わっている様子や初号機が頭から血を吹くシーンは、使徒有機的な形状と合わせて作品に生々しさを与えている。Bパートの初号機の目がギョロっとなるところとかも。
・戦闘パートから突然「知らない天井」へと繋ぐ構成がトリッキーで面白い。Bパートでサキエル戦を回想するところも同様。
・ゼーレ登場。中間管理職的なポジションのゲンドウが面白い。キール議長に「後戻りはできんぞ」と言われ、通信が切れた後に「分かっている、人間には時間が無いのだ」と独白するゲンドウ。本当はユイさんに会いたいだけなんだけど、大義名分で自己洗脳かけてる感がして良い。
・病院のシーン。1話の作戦会議室に続き画面が格好良すぎる。綾波がミステリアスな雰囲気で再登場する。
・戦闘で折られた腕を思い返してると思われる。これも1話で出てきた「手」のモチーフの変形と捉えることができる。「手」はシンジにとって自分が現実と接続されているのを実感させるための触媒として機能しているのだろうか。直前の病院のシーンがどことなく幻想的だったのも偶然ではない気する。非現実的に見えるほどの現実に無理にでもコミットしようとしたとき、身体的な何かがきっかけとして必要なのかな。

・シンジを引き取ることにしたミサト。この行動は前回の予告で既に「大人の傲慢な思い込み」と切って捨てられてるわけだけど、個人的にはそこまでミサトを責める気にはなれない。
・ミサトのアパートでの一幕。ミサトさんが素晴らしく可愛い。けどパッと見の可愛さの裏で「チトわざとらしくはしゃぎすぎたかしら。見透かされてるのはこっちかもね」とか考えてる根暗可愛い。シンジは「葛城ミサトさん、悪い人じゃ無いんだ」程度にしか思ってないから、特別見透かしてる風でもない気がする。しかしミサトがここでこぼしている後ろめたさのようなものはなかなか根が深い(後述)。
・ペンペンに驚いたシンジが風呂場から飛び出て股間が見えそうで見えないというギャグ。2話にして早くもシリアスな部分に比べてギャグの浮いてる感じがヤバイ。『序』公開時に放送された竹熊健太郎宮台真司のラジオ番組で、宮台真司エヴァ序盤のギャグの滑ってる感を取り上げて「あれは逆に制作者に興味が出た」というようなことを言っていて共感した覚えがある。こうしたコミカルさの空回りが、その他の展開におけるコミュ障な登場人物達を際立たせ、テーマを浮き彫りにさせている面もある気がする。
・ミサト「(あのとき私はシンジくんを自分の道具として見ていた。リツコと同じか。あの使徒を倒したというのに……)嬉しくないのね。」

1話において、欺瞞に満ちた説得でシンジを初号機に乗せようとしたことに自己嫌悪してるミサトさん可愛い。それにしてもこの思考の袋小路感。現状、「乗れ」と言うのはシンジを利用してるのと同じ。かと言って「乗るな」とも言えない。罪悪感の埋め合わせとして、シンジを引き取る。しかしそれすら自分を正当化しようとしてるだけの傲慢に過ぎない。
でも、はじめは傲慢に過ぎなくとも、これをきっかけとした関わりあいの積み重ねでEOEのシンジとミサトのやり取りが可能となるんだよね。
ミサトはシンジやアスカを預かる者として、「子供を導く良い大人」的な役割を求められるんだけど、それは旧シリーズでは達成できなかった(その分新劇場版ではその方面での成長が見られる)。でもミサトが旧シリーズで抱えていたドラマとしては、そこが本題ではなかった気がする。
シンジとミサトに関して、当時庵野監督は次のようなことを言っている。

そこにいる14歳の少年は、他人との接触をこわがっています。
その行為を無駄だとし、自分を理解してもらおうという努力を放棄し、閉じた世界で生きようとしています。
父親に捨てられたと感じたことから、自分はいらない人間なんだと一方的に思い込み、かといって自殺もできない、臆病な少年です。
そこにいる29歳の女性は、他人との接触を可能な限り軽くしています。
表層的なつきあいの中に逃げることで、自分を守って来ています。
二人とも、傷つくことが極端にこわいのです。
二人とも、いわゆる、物語の主人公としては積極さに欠け、不適当だと思われます。
だが、あえて彼らを主人公としました。
「生きていくことは、変化していくことだ」と云われます。
私はこの物語が終局を迎えた時、世界も、彼らも、変わって欲しい、という願いを込めて、この作品を始めました。
 
貞本エヴァ1巻 「我々は何を作ろうとしているのか?連続アニメーション『新世紀エヴァンゲリオン』がスタートする前に」より

エヴァ』をシンジの物語として考えた場合、旧シリーズ(テレビ版+旧劇場版)が行き着いた所というのは結局玖足手帖さんが言うような、「ここにいていい、なんてオタクの癖に増長しやがって」「あんたとだけは絶対に死んでもいや」「いつかは裏切られるんだ。ぼくを見捨てるんだ。でも、僕はもう一度会いたいと思った。その時の気持ちは本当だと思うから」っていう3重くらいの矛盾した感情の吹き溜まり*1だと思うんだけど、そんな中ミサトというのはわりと勝手に完全燃焼したキャラという印象を受ける。EOEにおいて、「大人のキス」の直前のミサトの言葉というのは明らかに「他人との接触を可能な限り軽くして」いた頃とは違っていて、だからこそ迫力がある。
まあそんな感動的なシーンを経ているにも関わらず、シンジがエレベーターを降りると特殊ベークライトで固められた初号機が待っているあたりにEOEの素晴らしさがあるんだけど。
・再び初号機とサキエルの戦闘シーン。ひたすら格好良い。左腕が復元する描写はテンション上がるんだけど、本当は装甲まで復元しちゃうのはおかしいんだよね。ノリ重視でいきますよという宣言とも取れる。
サキエルとの戦いは回想形式で挿入されるわけだけど、回想に突入する直前にシンジの瞳の揺れが描写されているのが印象的。回想から元のシーンに戻るのも初号機とシンジの瞳が交互に映されてから。前回参照した摩砂雪さんのインタビューが思い出される。
・最後のミサトさんの「頑張ってね」のシンジと咬み合ってない感じ。相手の立場に立って考えるってのが無いんだよね、この人達。この点新劇場版のミサトさんは大人になったな。
 
結局長くなってしまった。次回からはもっとサラっと書いていきたい。
・次回感想→『エヴァ』テレビ版感想:3話 既にネガティブオーラ増大傾向
・全話感想もくじ→『エヴァ』テレビ版〜旧劇場版/『新劇場版:Q』全感想目次