『エウレカセブンAO』17話までの感想:ここのとこ『UN-GO』っぽい

すっかり視聴を怠っていた『エウレカAO』ですが、やっと本放送に追いつきました。正直前半はかったるかったんですが、10話あたりを境に一気に面白くなったように感じます。
前作『交響詩篇エウレカセブン』はどれだけグッダグダになっても「レントンエウレカのボーイミーツガールである」というのが主軸としてあり、最終防衛線として機能してました。ところが今作では最初からヒロインであるはずのナルが超絶地味で、おいおい大丈夫かよと思っていたわけですが。「エウレカを護る」という分かりやすいモチベーションがあったレントンに比べ、アオの目的の判然としなさは凄い気になっていて、「もう人が死ぬのを見たくない」というだけでは、少年がロボに乗って戦う理由として弱いよなぁと思いながら観ていました。
しかしここに来てナルのポジションは明確になってきていて、その上「弱い」と思っていたアオの戦う理由についてもこれから掘り下げられるようなので、楽しくなってきました。これまでアオのモチベーションがわりと曖昧だったのは、ある程度わざとそうして描いていたのかと安心しましたし。ナルについては、そうしたポジションに持っていくなら前半の内にもっと魅力的に描いておけよとも思いますが。
ところで、たまたま平行して観ていた『UN-GO』でなんとなく『エウレカAO』と繋がる部分を感じました。それは主に主人公の立ち位置についてなんですが。両作品でメインの脚本家として関わっている會川昇氏は『UN-GO』についてのインタビューでこんなことを言っています。

 今回の「UN-GO」では、最初は「オトナの主人公」を描こうと思っていて、複雑な過去はあるけど、それを飲み込んで飄々と大人として振る舞っているスタンスのヒーローならいけるかなと思って書き始めたんです。
―― そこで震災が起きてしまった。
會川 はい。震災を経て、その主人公自身が無責任に他人を……何ていうんだろうな、他人の罪を告発するとか、指を突き付けている感じが、今のお客さんには共感されないんじゃないかなという気がしてきて。弱さも出して、彼自身が真実を暴くという探偵の仕事の中で、ブレたり、悩んだりする。それが、我々が抱く今の気分にリンクするんじゃないのかなと思ったんです。

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このように、震災を経た視聴者の目線というのを非常に意識しているんですね。
で、『エウレカAO』なんですが、こちらは放送開始前に京田監督が震災を意識したポエミィなコメントを出してましたが(ココとかで読める→http://www.4gamer.net/games/000/G000000/20120217020/ )、やはり震災後に作られていることに自覚的な作品であるという印象です。そして、得にエウレカが登場してからのここ数話のアオの精神的な揺れ動きというのが、『UN-GO』の主人公、結城新十郎と被るように感じます。
それに関連してなんですが、17話でヨハンソンの言う所の「正しい世界」として、現実の(私達が生きている)世界が設定されているっぽいのは良かった。「正しい」と言ってもたかが知れてる感じが良い感じです。異物感のあるスカブコーラルを最大限頑張って取り除いたとしても、獲得できるのが所詮現実世界レベルってのが、なんともリアルに思えます。
これまでただでさえなんとなく戦っている感の強かったアオなのに、エウレカもあまり信じられないし、戦ったら戦ったで世界線飛び越えちゃうし。ここからどう、前に進むためのモチベーションを見出していくのか。何のためにニルヴァーシュに乗るのか。今回は最後に「母さんのために云々」な流れになったけど、エウレカのために戦うってのもなんだか正しいようで違う気がするんだよな。エウレカのために頑張るのはレントンの役だと思うの。