改めて、出崎統監督について。

昨日の記事について、グダちんさんからこんなコメントを頂きました。

僕が感じた「意図不明」への違和感は、「出崎統を持ちあげないから」というより、武一さんやヤマカンさんの部分はちょっと濃さが薄い。富野が濃すぎるだけなんだが。あと、ネットバトルより出崎統が重要 / “ヤマカンvs會川昇 motto☆派手に…” http://t.co/FHOqh2N7Thu Mar 29 11:56:42 via Hatena

 
ネットバトルより出崎統が重要というのは、もう本当にその通りだと思います。
昨日はエントリを書くにあたり、ひとつ心苦しい点がありました。出たばかりの本からがっつり引用してしまったこと…は、題材を選んだ時点である程度避けては通れない部分と割りきっていたのです。しかし「出崎統監督について」を主題としなかったこと。このこと自体に強い心苦しさを感じていました。
本来であればより出崎監督にスポットを当てたエントリを別途書くか、紹介した人たちの出崎観について「ヤマカンの言ってることの妥当性は判断しかねますが」などとは流さずに、最低でもの部分を広げるくらいはするべきでした。しかし昨日も書いた通り、僕は近年の出崎作品を殆ど観ていないため、あの先を書く事が現実的に不可能だったのです。
こうしたもどかしさは出崎監督の訃報が伝えられた時にも感じました。あの時点で僕は既に出崎監督の作品が大好きでしたが、しかし、観ている作品の「量」が絶対的に足りていませんでした。『ガンバの冒険』と『宝島』を合わせて10話程度しか観ていないのに、無理に追悼文を書いても、大仰で薄っぺらなものになっていたと思います。
そんな自分にこれからできることと言えば、やはりとりあえずは氏の作品をどんどん観ていくことで、出崎監督について何か書くとしたらその後に、というのが筋だと思うのです。なのでこの場では、ちょうどグダちんさんがその部分をカバーしてくれる記事を書かれていたので、その紹介に留めておきたいと思います。

僕のスタンスは山本寛、新房、富野3監督の中では実は新房 - 旧玖足手帖-日記帳-

僕にはできなかった、ヤマカンや新房(そして富野由悠季監督)の「出崎観」を受けての立場表明が明確にされています。
現在僕は『宝島』のDVDを買って、ちょうど10話ほど観たところなのですが、これがもうめちゃくちゃ面白いのです。今のところ『ガンバ』の最初の数話がマイ出崎ベストだけど、『宝島』でも同系統の密度を感じています。グダちんさんによるとそんな密度や熱が晩年の作品にまで息づいているらしいので、これはもう、楽しみで仕方ないです。本当は『宝島』、『ガンバ』を観終えたら『ジョー』あたりを観るつもりでしたが、その前にあえて近年の作品をつまみ食いするのも良いかもしれません。…あ、でもその前に『おにいさまへ…』のDVDも買ったので、そちらも観なければ。
 
こうして好きに作品を後追いできるのはある意味幸せなのかもしれません。改まった追悼文は嘘くさくなってしまう気がして上手く書けませんが…、なのでせめて偽らざる謝意を。魅力的な作品をこんなに残してくれて、出崎監督本当にありがとうございました。