世の中に不満があるなら自分を変えろこのばかっつらー!

ふと思いだして攻殻ネタ。


「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ。それも嫌なら…」

言わずと知れた攻殻機動隊の主人公、「少佐」こと草薙素子の名台詞です。「SAC」シリーズ第1期の1話冒頭で、テロリストを追い詰めた際に飛び出した強烈な台詞ですが、ネットで様々な攻殻ネタを目にする際、これが本編とは異なるニュアンスで引用されていて、なんだかなーと思うことがたまにあります、
感想として「少佐かっけぇ…!」や「もっと罵ってください!ハァハァ」的な無害なものは構わないのです。しかし、「少佐も言っていただろ!世の中に不満があるなら自分を変えろよ」的な使われかただとかなり危うく感じます。なぜなら少佐はあの台詞、括弧つきで言っているはずなんですよね。1話を観て「シビレました!私も自分を変えようと思いました!」みたいな感想もわりと身構えてしまう。なんかめちゃくちゃ消極的なメッセージを勝手に受け取ってね?みたいな。
しかしそもそもこの台詞ってめちゃくちゃ有名ですが、あまり解釈を語っている人って見かけないんですよね。とりあえずググってみて、あの台詞について解釈を書いてくれているところはここくらいしか見つからなかったです。

「お前ら警察が・・・もはや体制に正義はない!」
とほざかれ素子が言い返しました。
意味(妄想);
小さな物差ししか持たないものが世界を自分のサイズに合わせようなんて5億年早いのよ
文句があるなら見える目を獲得してからいらっしゃい
そのままの自分でしかいられないなら何からも影響されない、何にも影響しない処へ行ってしまいなさい
そうすればStand Aloneなら誰にも迷惑かけずに、誰からも干渉されずに生きられるわ
どうせその目は見えていないし耳も聞こえていないんだから、なくたっていいでしょう?
らちもないことばっかり言う小うるさい口もついでに噤んだらどう?
それもいやなら・・・本当に何も見えず聞こえず話せないところにいく?*1

世の中に不満があるなら・・・: そうだ!バトーさんに聞いてみよう!

 
そんなわけでここからはあくまで自分なりの解釈ですよ…と断っておきます。
素子の台詞をよく見ると、「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ。それも嫌なら…」このように、文末に「それも嫌なら」とあります。この部分もの凄く重要だと思うのです。これに続く言葉というのはおそらく、「死になさい」でしょう。
*2
これは逆に言えば、「死にたくなければ、黙って捕まれ」という事ですね。しかしこれは、「それも嫌」という考えを全否定しているわけではなく、無言で拳銃を頭に突きつけていることが象徴するように、素子的には「よろしい、ならば戦争だ」というだけのことな気がします。お互い穏やかでいられない「次のフェーズ」に行ってしまいますよ?という警告。
有名な話ですが、あの台詞はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』に出てくる一節が元ネタとなっています。

I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes(僕は耳と目を閉じ口をつぐんだ人間になろうと考えた)

上記の日本語訳は劇中でトグサが意訳していたものですが、実際の小説ではこんな感じの流れで出てきた一節です。

どこかのガソリン・スタンドに雇ってもらって、ひとの車にガソリンを入れたり、オイルをつめたりして働くことを考えた。でも、仕事の種類なんか、なんでもよかったんだ。誰も僕を知らず、僕のほうでも誰をも知らない所でありさえしたら。そこへ行ってどうするかというと、僕は唖(おし)でつんぼの人間のふりをしようと考えたんだ。そうすれば、誰とも無益なばからしい会話をしなくてすむからね。誰かが何かを僕に知らせたいと思えば、それを紙に書いて僕のほうへおしてよこさなきゃなんない。そのうちには、そんなことをするのがめんどくさくなるだろうから、そうなれば僕は、もう死ぬまで誰とも話をしなくてすむだろう。みんなは僕をかわいそうな唖でつんぼの男と思って、ほうっておいてくれるんじゃないか。彼らは自分の串のガソリンやオイルを僕に入れさせて、それに対する給料やなんかをくれるだろうから、僕はかせいだ金でどっかに小さな小屋を建てて、そこで死ぬまで暮らすんだ。

http://www.geocities.jp/penelopeknight/review/raimugibatake.html

この色々諦めてしまっている感じと、トグサが持っているような青臭い正義感を併せ持っているのが素子だと思うんです。素子の「諦め」の理由としては、彼女が「個人の力の限界」を感じている事が関係してると思いますが、その裏返しとして、「スタンドアローンコンプレックス」のような現象や、カリスマ性を持ったクゼのような男を見ると、つい目を輝かせてしまうんですよね。そういう意味では、「SAC」1話のテロリストに対しては、そもそも「心身ともに凡人であるところのお前が一人でいきがったところでどうにもならないんだよこのばかっつらー!」という素子の個人的な苛立ちが入っていた気もします。
なので、そんな場面を見て「かっけー!」なり「もっと罵って!」と興奮するのは正解だと思いますが、「自分を変えろ」というのを積極的に受け入れるような解釈はどうなのかなと。また、引用して誰かに対して使うとなると、どうしても純粋な悪口として「このばかっつらー!」的になってしまうので、自分はなかなか使えないですね。
 
神山監督あたりがこの台詞の意図を語ってくれているインタビューでもあれば凄く読みたいんですが、自分が見た限りだとチラリとは触れていても、突っ込んだ事は語ってくれてなかったですね。もはや紙媒体だったかインタビュー映像だったかも覚えていませんが、「素子を象徴するような台詞をしょっぱなに持ってきたかった」みたいなことは言ってたと思います。
 
〜オマケ〜

*1:引用したこの記事、タイトルが「世の中に不満があるなら・・・」となっていますが、引用元のサイト名が「そうだ!バトーさんに聞いてみよう!」なんですよね。で、引用してみたら、記事名とサイト名が並んで、「世の中に不満があるなら・・・そうだ!バトーさんに聞いてみよう!(タチコマVoice)」という奇跡の一文に!w

*2:この動画編集した人はなぜ場面を時系列順に並べなかったのだろう…