アニメ『HUNTER HUNTER』応援宣言

個人的にハンターハンターは「世界観の豊かさ」が作品の面白さに直結してると思ってます。
先日
ニコ生PLANETS 14 12月号 「徹底評論!『HUNTER×HUNTER』」 by feet_blood エンターテイメント/動画 - ニコニコ動画
↑こちらの放送で、出演者の方が冨樫漫画の傾向を「ハイブリッド性」という言葉で説明していました。これは非常に便利なので今後積極的に借用していきたい表現なんですが、とりあえずこの放送に出演されていたいずみのさんによるブログでのまとめが簡潔で分かりやすかったので引用します。

冨樫作品はハイブリッド、つまりキメラアントそのものであり、なおかつオリジナリティを保ち続けている

http://d.hatena.ne.jp/izumino/20111119/p2

宇野さんなんかは上記の理論に則って、相手を捕食・吸収して貪欲に変化を続ける「キメラアント」というのが冨樫自身を表していて、キメラアント編が「冨樫自身の物語」になっているのではないか、というような持論を展開していて面白かったですね。ともかく、冨樫漫画はこうしたハイブリッド性によって、数巻進むと登場人物が全く違う事をやっているという、先の読めなさ、ワクワク感を持っていると思うんですね。
 
毎度毎度やたら魅力的な物語の舞台が用意されるハンターですが(例:くじら島、バトルタワー、ゾルディック家、ヨークシンシティ、G.I.、NGL、東ゴルトー等々)、冨樫漫画はこうした極めて魅力的な土台が構築されるにもかかわらず、不思議と蛋白な形で展開が先に進んでいく事も特徴でしょう。キメラアント編は例外だと思われますが、それまでのハンター試験編、天空闘技場編、ヨークシン編、グリードアイランド編の進み方は、ジャンプの他の超長期連載作と比べると、実に異質なテンポだったと思います。こうした事について、ニコ生PLANETSで成馬零一さんが「省略の美学」という言葉を使って説明していました。違ったニュアンスも含んでいるので細かくはリンク先の動画を見て欲しいんですが、ここでは再度いずみのさんのブログから引用させてもらいます。

成馬「王宮突入以降は極端な時間の引き伸ばし(コンマ秒単位の詳細な描写)を取り入れ、これまで特技とされた省略の美学からも逸脱している」

http://d.hatena.ne.jp/izumino/20111119/p2

ニコ生PLANETSは時間が足りなかったのか、進行が苦しそうだったり議論が噛み合ってなかったり・・・な部分もありましたが、僕としては冨樫作品に対して以前から持っていた感想を端的に表現できる「ハイブリット性」「省略の美学」という言葉が聞けただけでもめっけもんでした。もちろんそれだけでなく、『幽遊白書』から振り返ってハンターに至るまでなんとか網羅的に話をカバーしようとしていて、そこかしこに見所はあったんですが。
 
こうした冨樫漫画の特徴というのは、作品のアニメ化にあたっては一長一短だと思います。省略の美学に基づいて描かれている原作には、描かれている部分と同じくらい、描かれていない部分に対する想像を膨らませる効果があるからです(おそらく、だからこそ「HUNTER×HUNTER強さ議論スレ」みたいな所が盛り上がるんでしょうけど)。
ハンター原作には「実際には描かれない部分」がそこかしこにあるため、アニメ化するにあたって、そうした「余白」を膨らますことができるようになるんですね。十年前にやってた旧アニメ版は良質なオリジナル要素(アニメ独特の味付け、オリジナル展開やバトル描写の膨らまし等)を盛り込むことによって、面白さを保ちつつも、休載癖を持つ冨樫の原作に追いつかないよう努力してて、それはかなり成功してたと思うのです。
しかし「省略の美学」は良い面ばかりだけでなく、アニメ化にあたってはマイナスともなり得ます。余白に想像を膨らませる「含み」を持たすためには、実際に描かれた部分に強固な説得力や面白さが必要となります。そして原作にはその面白さが十分過ぎるほど刻み込まれていて、一種の「絶対性」すら生まれていると思うのです。
そんな「絶対性」に満ちた原作であるため、「実際に原作で描かれていた部分」に手直しが入った途端、(その改変の良し悪しに関わらず)ファンの不評を買ってしまう場合もあります。新アニメ1話でカイトとの出会いが描かれなかった事への批判なんかはその良い例なのではないかと思います。
  
旧アニメと新アニメはかなり毛色が異なりますが、その違いの元となったのは、実は「原作ストックがどれくらいあったか」という部分ではないかと思います。旧アニメには原作の「余白」を膨らます余地が大いにあったのに対して、新アニメの方は「原作で実際に描かれた部分」からエッセンスを抽出し、活かす方向に心血を注いでいるように思えます。
どういうことかというと、例えば原作の1話ではパッと思い浮かぶだけでも

1. ゴンとカイトの出会い
  →ジンについて
  →ゴンとコン(キツネグマ)のエピソード
2. ゴンとミトとの関係→別れ
3. 旅立ち

といった事が描かれます。これだけの展開をアニメでやるとなると、なかなか1話では足りません。選択肢は三つ。ひとつは、全部のエピソードを駆け足でアニメ1話分に詰め込むこと(←これが最悪のパターン!こういうアニメ多すぎ。)。もしくは、旧アニメのように旅立ちまでを2話かけてやるパターン。そしてもう一つが、新アニメのようにどこかを端折る(取捨選択する)パターン。
旧アニメの時は原作ストックが少なく、全何話の作品になるかが分からなかったために、原作を尊重しつつ、かつ、余白を膨らます方向で行けた。そのため1話で情感たっぷりにミトさんとの別れを描き、2話でレオリオとの出会い(オリジナル展開)から船に乗り込むまでが描かれました。それに対し新アニメの場合は原作のストックが既に単行本30冊分程もあり、余白を膨らます方向でアニメを作ればかなりの長期シリーズになってしまう事が予想されます。それで、せっかく再アニメ化するのであれば、前作のように色々脚色するよりは、原作に忠実に行こう、という意識が働いたと思われます。
それに、「売り上げや視聴率次第では○クールで打ち切りになる」という条件が既にあって、その場合区切り良く終われるよう、大まかな枠組みをはじめから構成しておかねばならなかったというのもあると思います。例えば、「4クールで終わる事になった場合には、ヨークシン編までは終わらせるようにしよう」といった目処があったのではないか、って事ですね。今週の時点で既に旧アニメより5話ほど先行して原作を消化していますし、ヨークシン編までを70話かけて描いた旧アニメに対し、4クール(50話程度)を消化目処としているのではないか、というのはかなり現実的な予想ではないかと思います。そのペースで原作を消化しようと考えるた場合、原作の余白を埋めて独自色を出すための「あそび」の部分は限られ(せいぜいゴンがキルアのスケボーを借りて遊んでた場面を足したりとかになる)、むしろ原作を削らねばならない場面にすら直面する。
そんな中新アニメ1話でスタッフが選んだものとは、

2. ゴンとミトさんとの関係
3. 旅立ち

の二点だった。これを見て「カイトが出てこない」「コンとのエピソードが!」「旧アニメに比べて旅立ちの描かれ方が軽い」と批判するファンが出てくるのは、原作の人気、旧アニメの完成度から言って、正直しょうがない部分もあると思います。でも待って欲しいのは、これが決して原作をないがしろにした結果ではないという点。
 
前述したハンターの持つハイブリッド性についてですが、ニコ生PLANETSではハンター序盤が「まんま鳥山明で、読んだ当初はピンとこなかった」というような話が出ていました。そう、ジャンプで最近の話を読んでると忘れてしまいそうになりますが、ハンターは最初、超がつくほどの「王道設定」から出発しているんですよね。新アニメの1話の放送後、内容があまりに「軽すぎる」という批判を頻繁に見かけたのですが、その事にしても、実は原作からしてその傾向は非常に強かったというだけの話だと思うのです。原作が初期の王道展開から大きく逸脱していくのは恐らく旅団が出てくるヨークシン編あたりから。
そういう意味では限られた尺の中で、原作における「王道」の雰囲気を忠実に再現するために、「ゴンとミトの関係」と「旅立ち」に絞って描いたのは英断だったと思います。ハンターが原作に近い形で再アニメ化されると聞いたときに、原作の展開を無理やり高速で処理していくのではないかという不安がありました。しかし恥ずかしながら、僕はこの1話を見てちょっと泣きそうになりました。原作当初の「王道なゴンの冒険物語としてのエッセンス」を、1話の完結したエピソードのなかで描ききってくれたからです。しかもよく見るとアバンにカイトのシルエットが写ってたりする。決してカイトのエピソードを「無かったことにした」わけではなく、新アニメがキメラアント編までこぎつけることができたあかつきには、ゴンの幼少時にあったカイトとのエピソードも描いてくれるのではないでしょうか。
「このスタッフなら原作の魅力を損なうことなく再アニメ化してくれるんじゃないか」。1話で感じたその期待に、新アニメのスタッフは現時点ではほぼ完璧に答えてくれています。ぶっちゃけこれまでの不満点と言えば、メンチがサトツの事を「サトツさん」ではなく「サトツ」と呼んだ事くらいだったりします(それすらも最近の平野綾のウザキャラ、痛い子としてのイメージを利用したアニメならではのイカした改変演出だったのではないかと睨んでるくらい。あ、断っておきますが僕は彼女に対するネガティブな言説を目にする度に壁殴状態になるくらい、声優平野綾が好きだったりします)。
しょっちゅう目にする「呑気なBGMが気に入らない」という意見にも首を傾げたくなりますね。自分など新アニメ1話で初めてあのBGMに触れた際、こう来たか!と、思わず手を叩いてしまったほどなのです。あのBGMにしようというのは、原作を読み込み、初期の王道でのびのびとした雰囲気を理解していないと出てこない発想です。旧アニメのイメージに引っ張られることなく、あえてそちらの方向に舵を切ることは簡単ではなかったはず。また、ここまで原作の活かし方を心得たスタッフの事だから、あの「呑気なBGM」はどこかで一旦リセットされるだろうとも確信してます。このスタッフが原作の持つ「ハイブリッド性故の雰囲気の変化」を見過ごし、のほほんとしたBGMをこのまま延々使い続けていくとはとても思えないのです。早速先週や今週の放送回で緊迫感が増したBGMも増えてきましたし、今後この傾向はどんどん顕著っていくはずです。
 
ここまでで、「新アニメ企画時に○クールで打ち切る事も視野に入れてたかもしれない」、というような事も書きましたが、幸い今のところの視聴率はそこそこ好調。初回放送時は「低視聴率!」「爆死!」と、2ちゃんなんかでこぞって煽られてましたが、元々そこまでの低視聴率スタートだったわけでもなく、そこから

4.4%→3.8%→4.0%→4.5%→3.9%→4.1%→4.1%→5.0%→4.8%→4.3%

と、ぼちぼち上がったり戻ったりしつつ安定してるようです(ソースは2ちゃん)。是非このまま、「せめてG.I.編やキメラアント編まで・・・」なんてみみっちいこと言わず、現在連載中のアルカ・選挙編、そしてその先までアニメで観せてほしいですね。
個人的には特にキメラアント編こそやって貰いたかったりします。書きだすと長くなるのでほどほどでやめますが、最初の方で触れた通り、蟻編は『ハンター』においてかなり異質なエピソードで、原作者の中で色々なタイミングが重なった結果、「あの形」になったんだと思うのです。しかし、例えばグロさが少しばかり薄まった程度で、あの話の核となる部分が損なわれるとはとても思えない。いつだってハンターは余白を読ませる事に面白味があるのだから、描かれる部分が少し減ったり、入れ替わったりした程度では揺るがないものがある。だからこそ、より多くの人にその核の部分が届くよう、テレビアニメという媒体に合わせて再構成して提示して欲しいのです。
 
そんなわけでハンターの新アニメの今後が実に楽しみです。また、新アニメに合わせて旧アニメを見返してみるのも、なかなかオツな気がしますね。