幾原邦彦監督インタビュー文字起こし(2006年発行のムック『アニメーションRE vol.3』より )

今朝幾原邦彦監督のブログを古い記事から遡って読んでいたら『アニメーションRE』というムックの付録DVDに幾原監督のインタビュー映像が収録されているという記述を発見しましてね、(幾腹監督ブログ記事リンク→http://www2.jrt.co.jp/cgi-bin3/ikuniweb/tomozo.cgi?no=51)あー実際に喋ってる監督見てみたかったなぁと思っていたんですよ。で、その記事を読み終わり、次の記事を読もうとマウスに手を伸ばした所で、いやいやちょっと待てよと。うん?このムック数年前に見た気がするぞ・・・と、本棚に目を向けたら・・・あったよ!そのムックが!
そうだこのムック、なかなかボリュームがあったもんだから一通り読んだら満足しちゃって肝心のDVD特典は華麗にスルーしてたんだったw
というわけで朝っぱらから幾原監督のインタビューを見てたんですが、今まで氏の肉声を聞いた事が殆どなかったので非常に面白かったです。そしてあんまり面白かったものだから文字起こしまでしてしまいました(笑)
以下、そのインタビューの文字起こしです。2006年の3月頃に発売されたムックのインタビューで、この頃は幾原監督がちょうどファッション雑誌『KERA』で小説版『ノケモノと花嫁』を連載してた時期ですね。


Q:幾原監督にとっての表現とは?
幾原:表現とは何かっていうのを最初に意識したのは寺山(寺山修司 - Wikipedia)さんだったから・・・
 それは学生の頃ですか?
幾原:学生の頃だね。やっぱり表現というのを意識したのは寺山さんだったね。やっぱりその、中学生とか高校生がね、映画監督って何する仕事だろうって分かんないじゃない。なんとなくそのディレクターチェーアーに座っててね、カメラ覗いてね、役者に指示したりね、あるいはこうカメラマンと話し合ったり、ってみたいなのはなんかこうテレビのドキュメンタリーで見た事あるけど、具体としてその、ディレクションてどういう事だろうってよく分からないじゃない?「いやその芝居クサイよねw」って俳優に言うとか「この画角は違うんじゃないの?」ってカメラマンに言ったりね。そういう事がディレクターの仕事なのかなと思っちゃうじゃない。でも実際そうなんだけど。そういうのって、ちょっとなんか漠然としてて、もっと具体としてなんだろうと思った時に、寺山さんの仕事は凄く分かりやすかったんだよ。「あっ、つくるってのはこういう事なんだ」と。表現するってのはこういうこと事なんだと。「脅かす」んだ、とかね。
もうやっぱ凄い好きだったね。というかあれしかないと思ってたね。うん、俺ん中ではね。あれ以外っていうのはもう全然興味が無かったから。寺山さんであるか、寺山さんでないかっていう二極だったね俺ん中では。そう、それが好きだったね。
 
Q:『美少女戦士セーラームーン』を振り返って思うことは?
幾原:セーラームーン』はね、何段階かに分かれてるの。最初の6話で一回終わって、で11話でやって、で三人になって(※6話と11話はそれぞれ幾原さんコンテ回ですね)。で、三人・・・「ま、いっか!」っていう、それで三人で終わる予定だったのよ最初。26話で終わるみたいな予定だったから、最初はね。要するにみんな26話で終わりだろうと言ってたし、俺も「まあ26話くらいかなぁ」と思ってたんだけど、そしたら伸びるわけじゃない。伸びるって決まったら「人が増えます」って言われて。で、それ・・・その事の意味がよく分かんなかったの。人が増えるってどういう事だろうと思ってて。そしたら人が増えるってのは、まあもちろん登場人物、メインキャラクターが増えるって事なんだけど、ああ、人が増えるっていうのは違う作品になるっていう事だったんだなと。つまり、主人公が三人の作品と五人の作品って違うのよやっぱり。かなり、ムードは、作品のムードが違うのよ。だからまたそこで、変ったんだよね、作品がね。ただ後から考えると、それが良かったんだろうね。たぶん。作品が生まれ変わってるのよ何度も。三人になって、で、一人の時のスタイルと。・・・確か、亜美ちゃん出てきたの8話でしょ。だから1話から8話までって違う作品なのよ。主人公一人の作品で。で、8話から、あと、その、次のセーラージュピターまでの25話までだね、確か。
 そうですね。
幾原:だから25話ぐらいまで、まこちゃんが出るぐらいまではまた別の作品なのよ。で、まこちゃんが出てからまた別の作品になってんのよ。同じタイトルの中でもどんどん作品が何回も何回も、なんていうの、表面的に、変わっていったんだよね。そこが凄くスリリングだったと思うのよ。
二年以降、いまいちダメなのは・・・
 (苦笑)
幾原:それは単純にね、表面的な所だけ変えるのよ。敵が変わったとかね。新たな登場人物が増えたっていってもさ、サブ的な役だったりね。
作品自体がこう、ガラっと変わるような変革ってもうないのよ。最初の一年目だけなのよそれが起こったのは。要するに一人の主人公ものだと思ったものが、三人の主人公ものになって、五人の主人公ものになって。ってあれは相当な、現場からすると相当な変革だったのよ。これはもう全然違う作品だなっていう印象があったから。
 
Q:『少女革命ウテナ』を振り返って思うことは?
幾原:キツかったね。
 キツかったですか。
幾原:うん。やっぱりその、それまで東映だったじゃない。で、東映は制作(製作?)能力高かったから、やれるんだけど。で、これ最初にJ.C.STAFFっていう所で、初のテレビシリーズだったんだよね。松倉(松倉友二 - Wikipedia)っていうプロデューサーと会って、で、松倉と話した時に、「テレビをやった事がない!」って言って(笑) 気が遠くなったよね。大丈夫かなぁと思って(笑)
「一生懸命やりますよ」「幾原さんのために良いものにしますよ」っとか言ってて、それ聞いて俺「怪しいやつだなコイツ」って思って。一生懸命やるやつは、一生懸命っていう言葉を隠れ蓑にするじゃない。
 ああなるほど。
幾原:「駄目だったけど一生懸命やったからしょうがないじゃないですか」って言うから。俺はコイツ危ないって思って。で、俺はもう、「一生懸命やらなくていい」と。一生懸命やらなくていいから、何ができて何ができないのかっていうのを正直に言って欲しいっていう話はした。
 
Q:スタイルを生み出すことの重要性とは?
幾原:根幹はその、「どういうスタイルの作品か?」っていうのが、テレビシリーズだよね。そこが最も重要だと思っていたんで。だから1話をやった時に、もうJ.C.(J・A・シーザー - Wikipedia)さんの曲がかかるわけじゃない。そこでスタイルは完成したと思ったのね。
多分いろんな表現をコンテでやったりね、まあ後処理的にいろんな表現を演出がやったりしたとしても、J.C.さんの歌が絶対かかるっていうルールを定めてしまえば、もう、作品全体の印象はそれだろうと思っていたのよ。
だからよく、他の作品とか見てて、非常に優秀な演出さんがね、面白い表現とか奇抜な表現やってるけど、結局印象に残んないのよ。うんうん。結局やっぱりスタイルが、なんていうの・・・太くなかったり、バーンとこう、してなかったりすると、いくら良い仕事しても印象に残んないっていうのかな。
 
Q:今後作ってみたい作品は?
幾原:ファッションをちょっとやりたいなと思ってて。で、あの、BABYさん(※画面内注:BABY・・・ファッションブランド BABY, THE STARS SHINE BRIGHTのこと)とね、一緒に、ファッションをコラボレーションして、作品を作るんですよ。
で、やっぱりその、なんていうのかな。最近のアニメーションとかね、あんまり見ないんだけど、でもたまにチラっとね、たまに横目に見ててね、やっぱり気になるなぁっていうのは、「誰に向けてるんだろう?」っていうさ。いやあの、もちろん皆ウケたくてね、作ってると思うし、当てたくて作ってると思うんだけど。漠然とね、面白いものを作りたいって漠然と考えてるだけで、なんていうのかな。観客不在っていうのかな。「これ誰が支持するの?」。いや、もちろん良いもの作れば支持は後からついてくるって発想も分かるんだけど。要するに仕掛けてるわけじゃない。いろいろ分かりやすくなってさ、業界がさ、製作委員会とか組んでさ。で、そういうの見るたんびに、違うんじゃないのかなとずっと思ってたのよ。
BABYさんってホントにちゃんと売れてるんだよね。で、俺もやっぱりBABYさんのファッションが好きなんで。やっぱりその、十代の女の子に着実に、なんていうの、確実にコミットしてるんだよね。で、俺もだから、ちゃんと十代の女の子達にコミットした表現っていうのをやりたいって思ったんだよね。だから対象者を完全に十代の女の子達っていう風に自分で決めて、やれるのが良いって思ったんだよね。漠然としてないっていうの。ちゃんと、誰に向けてるか分かってるっていうの。だから俺も完全に今回は、その十代の女の子達に向けてるって分かってるから。そういう意味で勉強になるし、やりたい事だよね。漠然とやりたくないっていうのはね。
 
(インデックス・コミュニケーションズ『アニメーションRE』vol.3 付録DVDに収録のインタビューより)