間主体性の消失、世界の自動販売機化。 : 仮面ライダーOOO 2話 感想

仮面ライダーオーズ、2話目でひとつ大きなテーマが見えてきましたね。欲望、金、モノ。モノに溢れた現代の社会は欲望の連鎖によって成り立っている。
欲望!なんて純粋で素晴らしいエネルギー!ケーキも、テーブルも、家もビルも、街も国も!全て人の欲望の塊・・・!そうだろう後藤くん!!!
赤ん坊は生まれたとき、欲しいと言って泣く!生きることは、欲することなんだ!
この鴻上会長の演説がすごく良かった。欲望というのは普遍的に誰でもどこでも持っているもので、それ自体は悪いものじゃない。モノだって、お金だって、単体では悪いものじゃない。でも劇中で鴻上会長はちょっとヤバイ人として描かれてますよね。
ちょうどこのあいだ『トップをねらえ!2』を観返していて、DVD特典の脚本の榎戸洋司のインタビューが面白かったんですが、そこで語られてた内容と鴻上会長の演説内容がなかなかリンクしてました。榎戸さんによれば、彼は以前、おはなしを組み立てていく中で「絶対悪」というものを描く際、「万能感」というのをキーにしてたそうです。この「万能感」の説明に榎戸さんが用いた説明がまさに「欲しいと言って泣く赤ん坊」でした。赤ちゃんはお腹がすいておっぱいが欲しいと思った場合、泣きさえすれば、願い通りご飯にありつけるわけです。そしてこのときの感覚を大人になっても持ち続けたときに、「万能感」は悪いものとなるというのです。『トップ2!』において、「悪い万能感」を象徴する場面として、登場人物がヒロイズムに酔い、「特攻」を行おうとする場面が出てきたりします。初代『トップ』でも「特攻」のような場面は出てきますが、『トップ2』とは明確な違いがあります。即ち、誰かのためのヒロイズムなのか、ヒロイズムのためのヒロイズムなのか、ということです。
他者の存在を抜きに、インスタントに快楽を得ようとすることへの批判というのはどこかで読んだな、と思ってたんですが、ここまで書いて思い出しました。別のエントリーでも何度か参照してる東浩紀の『動物化するポストモダン』に出てくるコジェーブという哲学者が、アメリカ的消費社会を批判する際、そんなことを言っていたのでした。確か書内では、消費社会が発展するにつれて、消費するためのプロセスはどんどんシステマティックになっていき、他者の介在はどんどん不要となり、間主体性が無くなる、といった事が書かれていたはずです。
「悪い万能感」、「間主体性の欠如」。今回のエピソードで、アンクがアイスバー売りのオジサンを無視して、直接アイスバーを取ってしまうシーンは象徴的に感じました。こういった価値観に対して、「コインより人命を優先させる」主人公が、今後どういった活躍をしていくのか楽しみですね。
しかし前回の感想でも書いた通り、僕はオーズが始めてまともに観る仮面ライダーなんですが、早くもファンになってしまった感が。気がついたら変身ベルトとか買ってそうな自分が怖い。