プリキュアの映画はまだ観に行ったことがない : 今週のプリキュア感想

今週のプリキュアはなかなか面白かった。アクションがいつにも増して気合入ってたのも勿論ですが、観ていて脚本が良いなと。ポプリの失踪と家出少女の境遇を重ね合わせる部分も良かったですが、なによりポプリとイツキのすれ違いを演出するための観客への情報供給がさりげなく上手いのですよ!『攻殻SAC』や『東のエデン』を手がけた神山健治監督は著書の『神山健治の映画は撮ったことがない』にて、良い脚本の条件のひとつに「構造の構築」があるとしていますが、今回のプリキュアはまさにこの「構造」が上手に構築されたように思います。面白い話なので詳しくは上記の本を実際も読んでもらいたいのですが、それじゃあこの記事が進まないので、以下に神山監督の言う「構造」について、かいつまんで要約していきます。

神山監督は『ルパン三世カリオストロの城』を、「構造」を強固有する優れた作品の例に挙げています。神山監督によれば最近の作品におけるルパンには最早物品を盗み出すことになんらモチベーションはなく、もっぱらの行動原理は“女好き”に終始している。そして今やルパンが美女に弱いというのは既に観客も承知している「設定」になっており、ストーリーを進展させる「構成」でしかない。しかし、謎の美女の登場によりルパンのエンジンに火が入るというパターンの元祖に位置づく『カリ城』においてだけは、「設定」や「構成」とは別の動機付けがルパンに用意されている。その方法が、「構造」を構築する際に神山監督が最もシンプルであると考える、「過去」をキャラクターに持たせる、という方法。『カリ城』では“ルパンが過去にクラリスを助けたことがある”という「設定」が存在する。このエピソード単体では、それはやはり「設定」でしかないが、その「設定」が「劇中の特定の人物と観客しか知り得ない秘密(設定)」とされた場合に、「設定」は「構造」となるのである。このように劇中の特定人物(ルパン)と観客の間に“秘密の共有”という共犯関係が築かれたときに、観客はルパンにの同期に共感し、「只の女好きではなかった」と親身になれるというのだ。
このような「過去」を設定する以外に、もっと効率的に観客と登場人物との間に「構造」を築くことのできる方法として、神山監督は誤解による展開というものを挙げている。その一例に、ピーター・セラーズの『チャンス』が紹介されていた。この映画ではコメディーならではの「誤解」が次々に起こるが、この「誤解」はあくまで劇中の登場人物のみが誤解を知っているのであって、観客はその「誤解」を全て知っているという構造になっている。具体例としてはこうだ。身寄りのない、少し頭の弱いチャンシーは、財界人の妻の運転する車に弾かれ、大豪邸につれてこられる。ケガの治療をしてもらっている間、財界人の何気ない問いかけに、チャシーは庭師としての薀蓄を鸚鵡返しのように話して聞かせる。だが、その話が偶然にも財界人にとっては現状を打破するためのアイディアをメタファーとして語ったかのように聞こえてしまったことから、ことはあれよあれよという間に展開し、次は大統領のスピーチの草案を依頼されたりするようになる。そうしてチャシーは大統領やフィクサーたち、さらにはCIAまでもを動かしてしまうが、彼がいかに頭の弱い男かは観客と劇中の召使で同僚の黒人女性にしか知らされないので、観ている側には滑稽かつシニカルに映るというわけだ。それにより観客は、自分のほうが映画より遥かに賢い立場にいると感じるようになり、政治風刺の効いたこの作品に引き込まれ、かつ面白いとまで感じてしまうというのである。また、神山監督はこうしてみることで、「誤解による展開」によって築かれた「構造」も、観客と、ある特定の登場人物のみが共有しうる秘密の存在により獲得されたことがわかるとしている。
 
神山健治の映画は撮ったことがない』pp.16-21参照/要約(強調は引用者による)

うむ、思った通りかいつまんで要約するつもりががっつり引用&紹介してきてしまいましたが(笑)、僕が言いたかったのはこの「構造」が、今回のプリキュアでは確かに存在していたなということ。この場合、特に「誤解による構造」ですかね。今週のプリキュアで鍵になる展開を簡単に整理すると
1:イツキがかまってくれないのでポプリが失踪。公園で家出少女に出会い、楽しいひと時を過ごす。 →2:雨が振り出す。びしょぬれになりながらポプリを探し回るイツキ 3:ポプリ達、家出少女を探すお母さんを発見。(シュプレ&コフレにも遭遇。「イツキの代わりに探してたでしゅうwwww」) 4:ポプリ達、コブラージャ遭遇のピンチに、ずぶぬれのイツキが登場。
という風になると思います。元々子どもじみたわがままで失踪したポプリですから、観客には当然イツキがポプリを想う気持ちは分かっています。その補強的な意味で、イツキがびしょ濡れになりながらポプリを探すシーンが入るわけですね。そしてそのすぐ後、家出少女のお母さんが必死に娘を探し回る姿を発見するポプリ達。そこにシュプレ&コフレが登場し、「イツキ達は学校に行ってるから、代わりに探しに来たでしゅうww」という旨を伝え、ポプリは家出少女の母親との親子愛にくらべ、自分とイツキの仲に疑問を抱きます。で、ここで「誤解」が生じてるわけですね。そして観客としては、「そうじゃないのに!」と思ってしまうわけです。
その後、ピンチに陥いったポプリ達の下へイツキが颯爽登場し、ポプリはイツキが本当は自分を憂い、雨の中探し回っていたことを知り、自分のアホさ加減に気がつくわけです。しかし一度イツキがずぶ濡れで探し回ってる中、イツキを信じきれてなかったアホなポプリを知っているからこそ、最後に「ずっとそばにいることと、大切にすることは違うでしゅ!いちゅきはポプリのことを大切に想ってくれてるでしゅ。学校に行ったって、どこに行ったって、ポプリのことを想ってくれてるでしゅぅ〜!!!」と叫ぶ成長したポプリの姿に、全国の視聴者は涙ちょちょぎれてしまうわけですな!いや〜良くできたアニメだ!