アンノファイト!「庵野秀明の世界 アニメーター・庵野秀明」レポ

東京国際映画祭で行われた「庵野秀明の世界 アニメーター・庵野秀明」の抽選に当たり、ウキウキで行ってきたのでレポ。

入場時には初号機がお出迎え。

でかい庵野監督ポスターがあって吹く。

お馴染み、庵野さんのキングのサイン。
 
今回の企画「アニメーター・庵野秀明」は、アニメーター時代の庵野さんの担当パートの映像を20分程度流し、それを受けて庵野さんご本人が氷川竜介さんとトークをする、というもの。ピックアップされた作品は以下の通り。

超時空要塞マクロス(1982)抜粋
風の谷のナウシカ1984)抜粋
超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか(1984)抜粋
メガゾーン23(1985)抜粋
王立宇宙軍 パイロットフィルム(〜リイクニの翼〜 製作発表時映像)(1986)
王立宇宙軍 オネアミスの翼(1987)抜粋
メタルスキンパニック MADOX-01(1987)抜粋
火垂るの墓(1988)抜粋
江口寿史のなんとかなるでショ!(1990)抜粋
ジャイアントロボ THE ANIMATION 地球が静止する日(1992)抜粋

第27回東京国際映画祭 | 『アニメーター・庵野秀明』

 
なんとなく察していたが、殆ど庵野秀明MADを大画面でみんなで鑑賞する会」だった。企画者は天才だと思う。ど真ん中の超絶良席だったのだが、今後の人生であれほど良い環境で『王立』のロケット打ち上げシーンを観ることは無いだろう。ほんと行って良かった。

 
上映終了後、記者の方々の入場を待ってから、トークショーが開始。氷川さんが聞き手役で、上映された作品にまつわるエピソードを庵野さんが語っていくという形式。イベント中、外国人向けに同時通訳が配信されていたようなのだが、基本的にロフトプラスワンのアニオタ向けイベントの勢いだったため、通訳の人がぶっ倒れないか心配になった。
以下メモった範囲でレポ。箇条書き気味で失敬。
 
◼︎アンノファイト!
「さっきまで上映されていた映像の原画をやっていた庵野と申します。あと、作監もやってました」という自己紹介で笑いを誘う庵野さん。「特撮の「ウルトラファイト」という、怪獣同士のバトルだけを集めた番組があったけど、今回の特集上映は「アンノファイト」という感じで楽しみでした」と、氷川さん。
氷川さんにアニメーターとしての特性を聞かれ。「人間を描くのが下手だったんです。人間を描いて作監に迷惑をかけるよりは、得意なものを描こうとは思っていました。『ナウシカ』では担当カットでキャラも出てきますけど、全部宮さんが修正してます。僕が描いたのを全部棄てて、宮さんが描いてました。」と答える庵野さん。氷川「それ、“修正”とは言わないですよね(笑)」
 
板野一郎との出会い。
庵野DAICON3でパワードスーツが動いてるのを見て驚いた宮武さんと河森さんが、「新しい企画がある」と誘ってきたんです。まだ学生で、プロで通用するとは思っていなかったので驚きました。岡田さんに誘われてちょくちょく東京に行っていたので、あるとき東京に出向いたとき、連絡を取ったら、スタジオぬえの近くのファミレスまで来てくれと呼ばれて。ご飯をおごってくれるのかな?と思っていたら、黒いスーツとバイクの板野一郎さんが登場して、そこではじめて板野さんの原画を見ました。あまりに凄くて、板野さんと一緒に仕事がしてみたいと思うようになりまして。アートランド(当時板野さんがいたスタジオ)に行ったら、また黒いバイクとスーツの板野さんがやってきて、『マクロス』2話の原画袋の山を机の上に山積みにして、「どれでも好きなのを直して良いよ」と(笑)
氷川:当時のムックなどを読むと、庵野さんは動画を飛ばして原画でデビューしたとありますけど……。
庵野本当は動画を飛ばして原画デビューではなく、作監でデビューなんです(笑)。最初は人の絵に修正を入れるなんて恐れ多いと言ったんですが、カットの中身を見てみたら「バルキリーというよりは飛行機のようなもの」レベルの内容で(笑)。設定を見ないで描いた酷い原画だったんですね。それで、その場で直したものがそのままテレビに流れたので、結構感動しました。それまではタイムシートも見たことなかったし、原画と動画の違いも良く分かってなかった。キーフレームというものが分からなかったので、最初は動画にあたる部分まで全部描いて、あとから中の絵を抜いてました。後々考えたら動画代まで請求しておけば良かった(笑)。
次に参加したのが、山賀が演出を担当した9話です。とにかく原画を撒かなければならない状況だったようで。当時は宅急便がなかったので、コンテや原画用紙が郵便で届きました。
氷川:宅急便と違って時間がかかりますね。
庵野送ってもらった分では原画用紙が足りなかったので、自分で買い足しました。領収書を貰わなかったので、代金自分持ちで、赤字です(笑)。新人だったのに、生意気にもコンテとは違うアングルにしたり、カット数を増やしたりして描いてました。苦手な構図で苦労して描いて失敗するのが嫌だったんですね。当時は自分のカットさえ目立てば、あとはどうでも良いというアニメーターが多かったし、自分もそっち側だった(笑)。ぬえにはドキュメンタリーや映画から爆発の映像だけを集めたテープがあったので、それをダビングさせてもらって擦り切れるほど見ました。
マクロス』の25話は日曜放送だったけど、最後のカットが上がったのは木曜日でした。間に合うものだなと(笑)。制作が1カット振り忘れていたみたいで、自分がやると名乗りでたんです。最後は動画をまく時間すらなかったので、動画まで自分でやりました(バルキリーがガウォーク形態に変形して、ブレーキ気味に止まるシーン?)。時間が無かったので、影まで描けなかったのが残念でしたね。
板野さんのそばにいて教わったのは、「空間」の描き方です。板野さんはガンダムの頃から凄いですけど、一番は『イデオン』のころですね。空間を出すためにはタイミングが重要なのだということを教えられた。直接教えてくれるわけではないので、原画やタイムシートを見て技を盗むんですけど。制作がいない時間に原画とタイムシートをコピーしたりして(笑)。こうした経験が活きて、一番勢いを持って描けたのが『DAICON4』ですね。
 
■宮粼駿との出会い
庵野『DAICON4』の頃にはガッコウを放逐されたので、いよいよ就職しなければならなくなった。最初は板野さんを頼ろうと思ったんですけど、前田真宏トップクラフトを受けてみないかと誘ってきたんです。無理だろうと思ったんですけど、高山さんを通じて、トップクラフトのデスクに繋いでもらって。そしたら即答で「来い」と。宮さんも追い詰められていた時期なので、いつものテレコムなら門前払いだったはずです。
最初に任されたのは、巨神兵がドックンドックンなってるシーン(クロトワが「まったく見れば見るほど可愛いバケモノだぜ」と言うシーンのあたり)。レイアウトは既にあったので、自分は原画を描いたんですけど、それがわりと気に入られたんですね。煙が気に入られたんじゃないかと思うんですけど。最初煙を中3で描いていたのが、宮さんにもっと増やせと言われて、中5、中11と増やしたり。劇場はこんなにやっても良いのか、ゆっくり動いて良いなあと。
終盤の巨神兵のシーンは、コンテだとめちゃくちゃ格好良かったんですよ。巨神兵がオームと格闘するんです。ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。でも「もうこれくらいしか尺も作る時間も無いんだ!」と、宮さん説得されて、今の形になりました。マンガ版の7巻で描かれてるので、今はもう溜飲は下がってるんですけど当時は残念でした。
ナウシカの終盤で、はじめて地面のあるレイアウトを描いたんです。それまでマクロスでは宇宙空間だったので描けてたんですが、それが地面になった途端、描けなくなった。宮さんはレイアウトを直すときにわざわざ呼んでくれたんです。修正の線一本なのに、砂丘の膨らみになるんですね。板野さんに教わったのがタイミングと空間なら、宮さんは地面でのレイアウトと空間ですね。
 
■『王立宇宙軍』について
今回上映された『パイロット版 王立宇宙軍』は特別仕様だったようで。
庵野人工衛星のリングがバラバラになるシーンは、パイロット版の方が綺麗なんです。本編を作ってるときには、この高度で地球が見えるのはおかしい、という理由で背景が地球ではなく宇宙になったんです。これを言ったのは岡田さんだったと思うけど。でも、背景が黒くなったおかげで、ばらばらになるパーツが黒くつぶれてしまった。パイロット版だと背景に地球の青があるから綺麗に見えるんです。今日はこれが一番見て欲しかった。
氷川:王立にはどのタイミングでどういうスタンスで関わったんですか。
庵野山賀に聞いたら、ロケットを打ち上げるという最後の見せ場がそもそも、「庵野を一番上手く活用するにはどうしたら良いか」という発想を元にしているらしく。そういう意味では最初からやれることは全部やる、というスタンスです。プロットが面白かったし、本来アニメーションではウケない内容だけど、やることにはとても意義があると。最後のほうのリテイクなんて、僕が制作の仕事までやってましたから(笑)。
アニメーターとしては『王立』の頃の仕事がピークでしょうね。今描こうとしてもできないでしょう。最近だと納得できる原画が描けたのは『ヱヴァQ』のアバンの2号機のまわりの爆発くらいですね。力が無くて、近々では本当にそれくらいです。
 
■『火垂るの墓』への参加
庵野トップをねらえ』が監督不在のため一旦凍結されたころ、仕事が無くなったので、宮さんに何か手伝えるものが無いか聞いたんです。すると『トトロ』のOPか、パクさん(高畑勲)が戦艦を描ける人を探しているぞと。戦艦の方をやると即答しました(笑)。
するとその場で宮さんが高畠さんに電話をかけてくれて、「人間は全然だめだけど、メカは描ける人がいるけどどうだ」と。するとそのまま直接会いにいくことになって、いきなりその場で作打ちすることに(笑)。参考資料が無かったので、自分で調べて描いてくれということになって、「わかりました!」と。資料をものすごく調べて描いたんです。梯子の数まで合っているという自負があった。それなのに……。
氷川&客席:(笑)*1
氷川:でもさっき上映されたのを見たら……。
庵野 結構見えてましたよね!*2テレビで見ると真っ黒ですけど、いま大きな画面で観ると結構残ってて嬉しかったです。あとは高畑さんには花火を褒められましたね。原画3枚しかなくて、動画も簡単なんですけど。あれは良い仕事だったなと思います。それだけの労力で空間が表現できているという。あれを褒められただけでも参加して良かったです。
 
■『江口寿史のなんとかなるでショ!』について
庵野:また爆発(笑)。他に頼めるひとがいないからと、頼まれてやったんです。わりと手を抜いて描いたつもりだったのに、今見ても良く描けてますよね。やはりそれまでの蓄積で描いているので。原画のコピーを取っておけば良かった……。
 
■アニメータとしての仕事を振り返ってみて
氷川:アニメーターとしての仕事を振り返ってみて、いかがですか。
庵野若いときじゃないとできなかったですね。そういう意味では良いタイミングで監督になったと思います。あのままアニメーターを続けていても駄目になっていたはずです。転職するか、田舎に帰るか。
氷川:逆に、いまアニメーターを目指している人へのメッセージなどはありますか。
庵野アニメーターは絵かきじゃなきゃいけないのと同時に、カメラマンであり、俳優でもある。一人で三役やる面白い職業です。揃ってないとできないけど、だからこそ面白い。アニメは省略する部分もあります。アニメーターは、観察したものを一回ちゃらにして、再構築するという部分も面白いです。これからはCGアニメーターもどんどん増えるでしょうけど、描かないで済むことのありがたさを思い知ってほしいですね(笑)。因果関係を知った上で描いてほしいんです。知った上で省略するのは良いけれど、それは、知らずに省略しているのとは違うんです。一番大切なのは、ものを見ること、観察することです。宮さんはそれが凄い。一度見たら忘れないんです。ときどき間違えてますけどね(笑)。
 
■ニコ生でも配信された「アニメ(ーター)見本市」の発表会
上映が終わると、壇上に川上量生さんが加わり、サプライズで新企画の発表が。この様子はニコ生でも配信されたが、劇場では発表会の後に「日本アニメ(ーター)見本市 第1話『龍の歯医者』」の上映が行われた。監督が舞城王太郎、アニメーション監督が鶴巻和哉という面白い組み合わせ。本編がネットで一般公開されるのは11月7日とのことなのでネタバレは自重するが……短いけど濃い作品。個人的にはマッキーの新作が大スクリーンで観れたので、棚ぼた感満点の大満足で帰ってこれた。
ネット公開された数日後には、メインスタッフによる本編解説も行われるとのことなので、そちらへのマッキー登場も楽しみである。庵野さんは舞城さんが監督としてかなり仕事をしていたと仰っていたが、内容を見ると鶴巻色も自重してないので、マッキーファンは楽しみに待つと良いと思う。ことあるごとにマッキーのオリジナル新作が見たいと唱え続けてきた身としては、例え5分程度のショートでもめちゃくちゃ嬉しい。『シン・エヴァ』が終わったら是非また何か作って欲しい。
エヴァと言えば、庵野さんのエヴァばっかやってると人間駄目になる」という発言は心にしみた。至言。

*1:有名な、せっかく描いたところが黒く塗りつぶされてしまったというエピソード。

*2:キャピキャピはしゃぐ庵野さん。