“やり直す系アニメ”の系譜 - 勝つまで槍る!『ヱヴァQ』から『安堂ロイド』まで

“やり直す系アニメ”の激増
― 『ヱヴァQ』、『ハーロック』、『009』、『ガッチャマンクラウズ

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』以降、「やり直す」ことを物語の主軸に組み込んだアニメが増加の一途をたどっている。*1
『ヱヴァQ』では主人公・シンジは過去の失敗を帳消しにしようと躍起になり、重ねて失敗を犯す。あのストーリーをワンフレーズで現すのに「槍でやり直す!」ほど適切な表現は無いだろう。こうした“やり直す系アニメ”の特徴として挙げられるのが、一度起きた(あるいはこれから起ころうとしている)悲劇的な出来事の原因が主人公側にあり、主人公が劇中で罪の清算を求められていくことだ。
 
先月公開されスマッシュヒットを記録した映画『キャプテンハーロック』はそうした作品の代表格だろう。『ハーロック』でも、過去に犯した誤ちとどう向き合うかというテーマが、二人の主人公、ハーロックとヤマを通して描かれていた*2

ハーロック』の脚本を担当した福井晴敏は、映画のパンフレットに掲載された対談で次のように語っている。

ハーロックは反権力とか反骨とかの象徴なわけだから、それを現代風にアップデートすれば自ずと物語の基本線は決まってくる。(中略)いまアンチテーゼとして響くのは、「こんなダメな世界、ぶち壊してやらねえか」ってことじゃないかと。だから今回の話は、人類そのものが行き詰まった先のない時代に、強烈なカリスマを持った男(=ハーロック)が自信ありげに「世界をやり直す」って言うんだけど、ついて行ったら……というふうにしたんです。言わばアノニマスみたいな連中ですよね、この映画におけるアルカディア号の面々は。ネット依存のひきこもりたちが、強烈な負のオーラを放つネットキングに惹きつけられていっちゃうみたいな。その過程で、ハーロックを含む全員が別の可能性に目を向けられるようになる物語を構築できれば、現代における反骨のありようを示せるんじゃないかと。
 
『キャプテンハーロック』パンフレット「TALK 脚色/脚本│福井晴敏 × 脚本│竹内清人」p.37

これを読めば、ハーロックのプロットがいかに『ヱヴァQ』と親和性の高いものであるかが改めて分かる。アルカディア号のクルーはハーロックの唱える「やり直し」案に素直に従うが、終盤になり、これがとんでもない問題を抱えた方法であることが明らかとなる。ハーロックの案を鵜呑みにするクルー達は、さながら槍でやり直せることを盲信するシンジのようだ。
ハーロック』が『ヱヴァQ』と異なるのは、作品の最後で「安直なやり直しとは違う可能性」が提示され、一応のハッピーエンドを迎えているところだろう。『ヱヴァQ』ではこの部分を続編に託してしまっているので、シンジが「安直なやり直し」を試み、再び失敗を犯すところで幕を閉じている。
 
また、この「やり直す」というモチーフを『ヱヴァQ』や『ハーロック』などに先駆けて描いた作品として、神山健治監督の『009 RE:CYBORG』が挙げられる。
神山版『009』では、進化したヒトの脳には無意識に自らの種を滅亡(=「やり直し」)させようとするプログラムが宿っているという設定があり*3、これによる世界滅亡を主人公らが食い止めるため奮闘する姿が描かれた。主人公の島村ジョー自身、一度はそのプログラムに従って行動してしまうが*4、すんでのところで思いとどまり、別の可能性の模索を試みた。

備考
神山版『009』感想:「お客様は神様です」 - さめたパスタとぬるいコーラ

 
あるいは、先日最終回を迎えたテレビアニメ『ガッチャマンクラウズ』も“やり直す系アニメ”として見ることができるかもしれない。

ガッチャマンクラウズ』では人の心の暗部を利用し、人類を滅ぼさんとする悪役・ベルクカッツェが登場した。終盤でベルクカッツェに乗せられ、安易に革命を試みたネオハンドレッドのリーダー・梅田光一の行動は、シンジやアルカディア号クルーの安直さを連想させる。
ただし、ブロガーの海燕氏などが指摘しているように、『ガッチャマンクラウズ』では、近年のアニメにおいて重要とされてきた文脈を網羅していくこと自体が作品の大きな魅力となっており、「やり直す」という要素も含め、個々の文脈は必ずしも主題と呼べるレベルで深められていたわけではないように感じた。そのため、『ガッチャマンクラウズ』は“やり直す系アニメ”としては亜種的な分類をすべきではないかと思う。
 
とにかく、“やり直す系アニメ”ムーブメントはとどまることを知らず、僕は日々色々なアニメを「槍でやり直す……!槍でやり直す……!」とぶつぶつ呟きながら観ている。そしてそんな症状に見舞われているのはきっと僕だけではないはずだ。
 
 
― “やり直す系”としての『安堂ロイド
庵野秀明鶴巻和哉前田真宏という『ヱヴァQ』のメインスタッフ三名が参加したことで話題のドラマ『安堂ロイド』もまた、“やり直す系”作品としての側面が目立つ。とうとうアニメに留まらず、実写にまで“やり直す系”の波が来た。
安堂ロイド』では、「勝つまでやる」という決め台詞が出てくる。開始早々キムタク演じる沫嶋黎士教授は死んでしまうが、遺された恋人・安堂麻陽を守るため、未来から派遣されてきたキムタク型ロボットが発する台詞である。キムタクがいきなり死亡(=負け)して、未来から自らの分身を召喚し、勝利のためリベンジを挑むという展開は、否が応でも「やり直し」の物語を連想させる。
しかし、これまで挙げてきた“やり直す系”作品では「安直なやり直し」は批判され、熟慮の末により良い解決法を模索することが良しとされてきた。これに則れば、安易に「勝つまでやる」と言って歴史を改変しようとする行為は、一旦は否定されるべきものだ。実際、敵アンドロイドのラプラスは、それが許されない行為であると主張している。

ラプラス あなたが何者かは知りませんが、歴史を曲げることは重大な違法行為です。
ロイド   俺は俺の任務を遂行する。邪魔するものは全て殺す。
ラプラス 歴史をねじ曲げたのは沫嶋黎士です。私たちは彼が破壊した歴史を修復しなければなりません。そのために、その安堂麻陽を殺す必要があります。警察の公務にご協力下さい。
ロイド   そのリクエストには答えられない。
ラプラス では、公務執行妨害として現行犯逮捕、もしくは射殺します。
 
『安藤ロイド』第1話より

死ぬ運命にある麻陽が救われることで、世界にどのような影響が出るのか。よくない影響がある場合、それはどういった類のもので、回避可能なものなのかどうか。こういった部分が、今後明らかになってくるのだろう。そこ踏まえた上での「勝つまでやる」という台詞なら、さらに凄みが出るはずだ。
 
また、現時点で『ヱヴァQ』と『安堂ロイド』で決定的に異なるのが、『ヱヴァQ』では「やり直し」の原因が明確にシンジに求められるのに対し、『安堂ロイド』ではそこが曖昧にされているという点だ。『ヱヴァQ』では、世界の滅亡はシンジのせいだが、『安堂ロイド』では、黎士の恋人が死亡するという運命が誰のせいであるか、今のところ明らかにされてないのである。
今後この辺りがどのように描かれていくのか。そして、“やり直す系”の作品として、どのように位置づけられる作品になっていくのか、注意深く見守っていきたい。
また、『安堂ロイド』以外にも現在放送中の作品は“やり直す系”だらけなので*5また何か気づいたことがあればその都度言及していきたい。
 
追記
“やり直す系アニメ”じゃ語呂が悪い。やはり“槍アニメ”と呼ぼう(提案)。*6

*1:ソース:俺

*2:ハーロックは過去にうっかり地球を滅ぼしており、ヤマもまた、うっかり実兄の恋人を全身麻痺に追いやってしまった過去を持つ。衝撃的な内容なので、観てないひとは是非本編で確認してみてほしい。

*3:作中では「彼の声」と呼ばれる。

*4:映画冒頭でビルの爆破テロを計画していた。

*5:なにせ最近は観る作品全部だいたいこの系統に見える。

*6:こっそり追記しちゃうのもなんだか槍アニメ的ですよね!