劇場版『ハンターハンター』感想 目に見えた地雷を踏む勇気

ネタバレありの感想。
突然だけど、『コロッケ!』というマンガをご存知だろうか。

コロッケ! (1) (コロコロドラゴンコミックス)

コロッケ! (1) (コロコロドラゴンコミックス)

コロコロコミックで2001年から6年間連載され、アニメ化やゲーム化、小学館漫画賞受賞等、児童向けマンガとしてわりとヒットした作品だ。『学級王ヤマザキ』などでも知られる樫本学ヴ先生の代表作である。
読んだことが無い人のために簡単に説明すると、主人公の少年コロッケが死んだ父親を生き返らせるため、『ドラゴンボール』でいう神龍的な存在を召喚するための冒険を繰り広げる物語である。この作品では神龍的な存在は「バン王(キング)」と呼ばれ、「貯金箱(=バンク)」を「金貨」で一杯にすることで呼び寄せることができる。そして、金貨を追い求める者達はバンカーと呼ばれる。
主人公のコロッケは背中に釣竿ならぬハンマーを背負っており、レオリ……ウスターという、アタッシュケース状の貯金箱を携えたヤツや、ゾルディック家的な髪の色をしたライバル的存在のキャラなどと共に冒険を繰り広げる。伝説のバンカーであった父親のかつての弟子なども登場する。リゾット、フォンドヴォー等、キャラ名は食べ物縛りとなっていて、なんとなく『トリコ』を先取りしてる感が無いでもない。

レオリオっぽい

キルアっぽいと言えなくもない
優勝すると金貨が沢山もらえるという「バンカーサバイバル」なるイベントでは、参加者のバンカー達がプレートならぬ風船の奪い合いをするというシチュがあり、『ハンターハンター』のような創作性に満ちた作品を好むコアな人達からも確かな支持を集めていたにちがいない。

 
そんな『コロッケ!』だが、今回注目したいのは主人公の必殺技である。

ご覧のように、「ハン・バー・グー」という掛け声と共に放たれる強化系のパンチである。『ハンター』のゴンが「ジャン・ケン・グー」を初披露したのが2002年のジャンプ(単行本15巻145話に収録)だ。連載開始年は『ハンター』の方が3年早いが、技の正式なお披露目は『コロッケ』の方が先というのは今回調べてみて意外であった。

コロッケの「ハンバーグー」というシンプルな技だが、実は2巻において大きな進化を遂げている。それまでどう見ても強化系の技だったのだが、カイト的なキャラが殺された怒りにより、コロッケのハンバーグーは放出系要素を帯びるようになるのだ。

『ハンター』劇場版をご覧になった方にはもうお分かりだと思うが、これはまさに劇場版ウボォーギンのビッグバンインパクトそのものである。漫画版やテレビアニメ版のビッグバンインパクトは「念を込めただけの右ストレート」(マチ談)であったが、今回の劇場版ではなぜか拳からビームのようなものが照射されていた。

原作版は凝を使ってもビームなど見えない
 
『ハンター』の原作は新旧アニメ版を見比べても分かるように、強固な土台がありつつも、自由に脚色ができる余白を多く持った作品だ。ただそれにしても、「ただの右ストレート」を放出系の技として再解釈してみせた劇場版のスタッフの想像力の豊かさにはただただ感心するばかりである。
鑑賞後しばらくして、完全なる斜め上と思われた設定の改変が運命的にも『コロッケ』と繋がっていたと気づいたときには不思議な高揚を覚えた。あるいはあえて『コロッケ』の設定を流入させることにより、00年代前半〜中盤にかけて相互に影響を与え合っていたと思われる両作品の切磋琢磨を思い起こさせようとするアニメ映画版スタッフの粋なはからいだったのだろうか。
いずれにせよこれまで培われてきた様々なものの上で成り立っている映画である。ネテロの台詞ではないが、この映画の制作に関わった方々には感謝したい。偶然にも劇場版第二弾ではネテロがフィーチャーされるようである。まさしくここでも運命的なシンクロが起こってしまったかたちだ。原作の連載やアニメ化の情報が途絶えていた頃に比べ、現状のなんと恵まれたことか。同様のクオリティでの劇場化が期待できるとは、ハンターファンもしばらくは安泰である。
今回の映画はたまたま「冨樫とエミネムを応援する日記」のkingworldさんと観に行く機会に恵まれた。kingworldさんと言えば僕なんかよりずっと前からハンターの超良質な感想を書き続けている方である。上映終了後、脳をいじられたポックルみたいな表情をしてたkingworldさんの感想を読むのが今から楽しみでならない。

追記 アップされてました
2013-01-16

 
■その他、劇場版『ハンター』についての雑感
さて、これまで限定された視点を元に感想を書いてきたが、ここからはもう少し俯瞰的な感想を書いてみたい。そろそろ疲れたので文体を変えてしまうが、そこは劇場版『ハンター』を観ていたときのような寛大な心でご容赦願いたい。
まずキルア関連の描写は全部いらないですよね。しかしキルアの葛藤描写は映画の半分程度のウエイトを占めていたので、僕の個人的な感想としてはその時点でこの映画の半分はいらなかったという結論に。葛藤の内容が殆ど原作の焼きまわしって、お話を作ったひとの神経が知れないです。劇場版は時系列的にヨークシン編とグリードアイランド編の中間に位置すると思われますが、このタイミングでイルミの「お前は絶対友達を見捨てる」云々を無理矢理映画に使おうという発想はどこから来たのでしょう。
しかしたちが悪いのが、映像的に一番気合いが入ってるのが冒頭のキルアの暗殺シーンだという点。振り返ってみると無駄だったキルアパートが映像的には一番リッチというなんとも本末転倒な感じ。キルアが線路で自殺をはかり、盲目のゴンが助けにくるというシーンが噴飯ものの面白さだったので、そこでキルア関連のダレ場をプラマイゼロと考えられるかどうかで本作の評価は大きく変わってくるでしょうね。
誰得といえば、なぜかやたらノブナガが活躍してたのには笑いました。三段跳びで壁を格好良く登ったりしてましたね。全ノブナガファン垂涎のアクションです。陰獣が復活してたのも陰獣ファン感涙です。このスタッフならきっとブシドラをきっちり描いてくれそうで大いに期待してます。
「なんでもアリな世界でどう生きるか」が重要な『ハンター』の世界観において、「人形にされてしまうこと」(=他者に自由を奪われる代わりに永遠の命が云々……)といったものをテーマに据えようとしたのは悪くない線とは思いますが、肝心のパイロ(クラピカの幼馴染)復活のドラマが淫獣やパクノダやウボォーギンといった死亡キャラ復活のバーゲンセールによって完全にスポイルされていたのは流石と思いました。映画として作るのであれば、お話をクラピカ一本に絞るべきだったのではないかと思います。とにかく色々中途半端で、ゲストキャラのレツの存在感などもかなり微妙でした。レツは登場シーンで「珍しい名前だね!でも覚えやすいよね!」と、ゴンと談笑してましたが、確かに覚えやすいですね。レッツ&ゴンですもんね。
 
この記事の冒頭から触れてますが、ウボォーギンまわりの展開の酷さには目を見張るものがありました。そもそもゴンとキルアがウボォーギンと交戦した際、彼らはウボォーギンを人形とは知りませんでした。となれば、旅団がどういった力量の集団かはヨークシン編で身にしみてる二人です、ひと目見て逃げ出すのが常識的な思考ではないでしょうか。それをノブナガとの密室状態でもないのに、「なんとか倒さねば」と突っ走る二人からは狂気しか感じませんでした。本来あそこでキルアの葛藤など起こり得るはずがないのです。キルアがああいう場合にゴンを止める役であることは、ヨークシン編で一旦結論が出た問題だったはずです。それを二人して「力量を図るためにまずは攻撃を受け止めてみよう」と言い出すのだから手におえません。ホンモノのウボォーさんならバラバラの肉片にされていてもおかしくない状況です。
ビッグバンインパクトが放出系っぽい描かれ方をされて強さ議論スレ民が困惑しているところに、破岩弾を操作系っぽい描写で追い打ちをかけてくるところとかは面白かったですけどね。

ただ、ウボォーギンがゴンを噛み殺そうと岩をバクっと頬張ったシーンはいただけません。あのシーンは噛み付き攻撃を描くことで原作再現になり、原作ファンが喜ぶという判断で入れられたのでしょうか。常軌を逸したセンスでなかなか衝撃的でした。
 
本作は『ハンター』にあるまじきイヤボーン感がそこかしこにあって、特にラストバトルはキレキレでした。まさかクラピカが「うぉぉおおお!!ジャッジメントチェーン!!!!!」と叫びながら敵に突っ込んでいくとは。ウボォーギンを倒した際の隠を駆使したしたたかさはどこへやら。「エンペラータイム」を技名のごとく口に出していたのも結構面白かったです。エンペラータイムはテレビ版でも言ってた気がするけど。
散々苦戦していたイルミとの戦いはキルアがその気になった途端ワンパンで終わってまうという脳筋っぷり。人形を吸収して完全体となった元旅団メンバーとの最終決戦も、とりあえず全員で突っ込むという一周回って画期的な作戦でしたし。でも悪役が「ふははは人間め!腐った林檎のように崩れ落ちて死ね!」的死亡フラグびんびんな台詞を吐いた直後に案の定返り討ちにあうシーンなどは笑えたので好きです。
 
私的にトップレベルで不満だったのが、冨樫の「クラピカ追憶編」を劇中で再現していたパート。クラピカが緋の目となり、町の人から石を投げられる箇所。原作だとまずは最初に優しかったおばあちゃんが「赤目の化物」、「悪魔の使いめ」とクラピカ達を罵ります。僕はそれを見て、その町の高齢者にはクルタ属にまつわる昔の迷信が残っているのか、と思ったわけですが、その後付き添っていた若い女性が「おばあちゃんやめてってば!!これ以上怒らせたら皆殺されちゃうよ!!」と言うことで、そうしたクルタへの偏見が根深いことが分かって、絶望感が増しました。

ところが劇場版ではただ目が赤くて不気味というだけで、おばあちゃんをはじめとする周囲の人々が石を投げ始めたようにしか見えなかったのですよね。些細な改変ですが、著しい知能指数の低下を感じました。
つーか「緋の目」というのは映画にとって重要なポイントとなるはずだったのに、劇中でろくに説明が無かったのもどうかと思いました。確かに原作付きのアニメで、実際観にいくのも原作ファンが殆どでしょうけれど、あの辺の設定は劇中でもう少し分かりやすく提示しておかないと。クラピカがクルタの「外の世界」に出るため口述試験と筆記試験をパスして、残るは目薬が云々という話も「クラピカ追憶編」を読んでない人からしてみると不親切だったんじゃないかなとか観ていて気になりました。
 
このように、不満を並べていくとキリが無いのですが、入場者特典の0巻に掲載されている冨樫のコメントはとても貴重なので、ファンはそのためだけにも劇場に行く価値があると思います。冨樫の価値観や作品制作に対する姿勢を作品外で知れる機会はなかなかありませんからね。また、冨樫が原作でクラピカと旅団の因縁に決着をつける気まんまんであることが知れたのも大きな収穫でした。期待して待ちたいと思います。