『エヴァ』テレビ版感想:22話 人形になりたかったアスカ

アスカはこれまでシンジや綾波に対し、しばしば嫌悪感をあらわにしてきていた。この回では、それが実は同族嫌悪的なものだったことが判明する。
今回はテレビシリーズ屈指のギスギスした空気の回で、もしかしたら一番好きなエピソードかもしれない。テレビ放送版のほうが展開は粗いが、アスカのテンパッて行く感じが印象に残る。対してビデオフォーマット版には大量の修正・追加シーンがあり、見え方が随分違う。
今回は時間の都合上ビデオフォーマット版しか見返していない。ビデオフォーマットにしか無いシーンがどこなのかは具体的には思い出せないのだが、結果的に今回の感想では追加シーンに関する言及が多くなっている気がする。いずれテレビ放送版を見返すことがあったらその辺少し追記するかもしれない(※脚注に追記済み/2021年1月16日)
 
第22話、「せめて、人間らしく」
 
■演じられた自分への違和感
・加持に迫るアスカ。回想と深層心理が混在したような描写。ここはビデオフォーマット版の追加シーン。

加持「アスカはまだ子供だからな。そういうことはもう少し大人になってからだ。」
アスカ「えーつまんなーい。私はもう十分に大人よ!もう大人よ!大人よ大人よ!だから私を見て!」

周囲に認められたいがために大人ぶろうとするアスカ。
  
・継母からの電話に一見楽しそうに応対するアスカ。

電話を切ったときの嫌そうな顔が良い。「演じている自分」に嫌気がさしてきているように見える。すぐ後の風呂場でのシーンでもそれが悪い方に爆発している*1


「気持ち悪い。ミサトやバカシンジが浸かったお湯なんかに、誰が入るもんか。ミサトやバカシンジの下着を洗った洗濯機なんか、誰が使うもんか。ミサトやバカシンジの使ったトイレなんかに、誰が座るもんか。ミサトやバカシンジと同じ空気なんか、誰が吸うもんか。ミサトも嫌、シンジも嫌、ファーストはもっと嫌!パパも嫌、ママも嫌!でも、自分が一番嫌!もう嫌!我慢出来ない!なんで私が、私が!」

自分や他人に対する嫌悪感に生理痛という身体的な感覚が加わり、とても生々しいシーンとなっている。
 

ミサトをはじめ、こうしたときに心の支えになってあげられない周囲の人間のカスっぷりは目に余る。アスカがセガサターンに逃避してしまうのもやむなしである。
  
・エレベーターで綾波と乗り合わせるアスカ。

「あんたって人形みたいで、むかしっから大嫌いなのよ!みんな、みんな、大嫌っい!」
この台詞も、後にブーメランとなってアスカに返ってくる…。
 
・新たな使徒の登場。アスカは綾波のバックアップに就くよう命じられるが、プライドが許さず強行出撃。しかし出撃するなり使徒の精神汚染に遭う。
アスカの絶叫が響く中、プラグを強制射出するなりして助けてあげれば良いものを、あたふたするだけで何もしてくれないネルフの連中が実に使えない。

 
使徒の精神攻撃により、アスカの内面の矛盾が暴かれて行く*2

アスカの実母「だからお願いよアスカちゃん。一緒に死んでちょうだい。」
アスカ「うん一緒に死ぬわママ。だからママをやめないで!」
アスカの実母「ママ?知らないわ。あなた、誰?」

惣流・アスカ・ラングレーです。よろしく。あんたバカァ?チャーンス。だから私を見て!」
「違う!こんなの私じゃない!」


幼いアスカ「寂しいの?」
アスカ「違う!側に来ないで!私は一人で生きるの!」「誰にも頼らない!一人で生きていけるの!」
幼いアスカ「嘘ばっかり…。」
アスカ「(絶叫)」

幼いアスカが最後に人形の姿になっているシーンでゾクリと来た。アスカには承認欲求の強い、他律的な部分がある。それは、誰かの人形となりたい無意識の願望と言い換えることもできる。
アスカは表向き「私を殺さないで」と言いつつも、母親に「一緒に死んでちょうだい」と言われた際、「一人で生きる」ことよりも、母親の人形として共に死ぬことを望んだことがあったのである。*3ここのところアスカが苛立っていたのは、これまで意識してこなかった(封印していた)そうした部分に、段々意識的になってきていたからではないか。それを使徒に無理矢理掘り起こされ、精神をズタズタにされたというわけだ。
 
実はアスカのこうした苛立ちは、ミサトのそれに非常に近い。
以前12話の感想で、ミサトがシンジに自分の嫌な面(=他人に合わせて愛想良く振る舞うこと)を垣間見たことで苛立っていたと指摘した。その際、アスカがシンジに苛立った理由については、次のように書いていた。

ミサトは、アスカがシンジに怒ったのはシンジが「他人の顔色ばかり伺っているから(=嬉しくないにも関わらず愛想笑いしていた)からであるというのだが、僕はアスカが怒った主な原因はシンジに対する嫉妬としか思えない。嫌味を言われてもヘラヘラしているシンジに全く苛立たなかったとは言い切れないが、アスカが怒った主要因はそこではなかったはずだ。
狂ってるなと思うのが、直後に開かれるミサトの昇進祝いパーティーで、ミサトもちゃっかり愛想笑いしている点だ。つまり、あれが同族嫌悪による完全な八つ当たりにしか見えないのである。

ここは訂正しなければならない。僕はこのとき、「アスカが怒った主要因はそこではなかったはずだ」と、ミサトとは怒った原因が異なることを強調した。しかし22話を観ると、ミサトの言っていた通り、アスカがシンジのそうした(嬉しくないにも関わらず愛想笑いをする)態度に苛立っていた部分も大いにあるように思えてくる。それも、ただ苛立っていたというのではなく、実はミサトと同じように同族嫌悪により苛立っていたことが想像できる。*4
ミサトやアスカが抱えているのは、言ってみれば他者に求められたいがために、本来の自分とは違う自分を演じようとすることに対する違和感だ。シンジもこれにとても近い悩みを抱えている。キャラクターの性質がこのような形で共通してくるのは、キャラクターの根底に庵野監督の人格が潜り込んでいるからだと考えられる。
 
なお、『EOE』においてアスカは「死ぬのは嫌」という台詞を連呼する。これは母親の「一緒に死んでちょうだい」という言葉に対し、文字通り自分は死にたくないという意味もあるだろう。しかしそれに加えて、文字通りの肉体の死ではなく、他人の心の中から消されたくない(=「だから私を見て」)という意味も含まれているのではないか。他人に求めて貰いたいという気持ちに素直になれたとき、再び2号機とシンクロできるようになったのもうなずける。
 
■その他気づいた点
使徒の精神攻撃を受けている最中*5

「アスカはまだ子供だからな」という加持の台詞と共に、加持の傍らに佇むシンジを見るシーンが意味深。
「なんであんたがそこにいんのよ!何にもしない。あたしを助けてくれない!抱きしめてもくれないくせに!」
自分がいたい場所(=加持の側)を取られたというイメージは、シンジがシンクロテストでアスカに勝ち、アスカの欲していたものを奪っていったというイメージを重ねあわせたものだろうか。
また、シンジに対し「何にもしない。あたしを助けてくれない!抱きしめてもくれないくせに!」という台詞と共に、「ジェリコの壁よ!」や「キスしようか」のシーンを別の視点から回想しているのが熱い。

これは実質、ミサトが23話でシンジやペンペンといちゃつこうとして拒絶され、しょげていたのと同じことではないか。アスカ寂しがりやさん可愛い。
ミサトの場合、寂しさを紛らわすためなら誰でも良かった感が強いが、アスカも誰でも良かったのだろうか。この点については24話のカヲルの登場回で再度軽く触れたい。
 
・元の鞘に収まったシンジを見て嫉妬混じりに怒るアスカ可愛い*6


 
・空気が悪くなるシーンは大好物。

ミサト「もう限界かしらね、三人で暮らすのも」
リツコ「臨界点突破?楽しかった家族ごっこもここまで?」
ミサト「猫で寂しさ紛らわせてた人に言われたかないわね、そんな台詞。……ごめん、余裕無いのね私。」

この辺でミサトの株はストップ安。保護者失格というか、人間失格っぷりが板についてくる。
 
・次回予告。使徒に取り憑かれ、侵されていくエヴァ零号機とそのパイロット。だが彼女は心を、身体を侵食されながらも、自我を失うことはなかった。しかし、使徒からシンジを守るため、レイは自らの死を希望する。第3新東京市と共に、光と熱となり、彼女は消えた。記憶だけを人々の魂に残して。次回、「涙」。」
次回綾波爆死回。
 
今までなんとなく感じていたエヴァキャラの根暗な共通点が、これまでになく把握できるようになってきた気がする。
ただこのままだと個人的に大きな問題が…。僕がメンヘラアスカが好きであるということは、実質同一の性質を持つ他のキャラクターに対しても好きな部分があるということになる。しかし同質となるキャラクターのコアの部分には、必ず庵野監督が待ち受けている…。この関係性を念頭に置くと、アスカを好くということが、庵野監督のネカマ人格的なものを好きになることと同質な気がしてくるのである。そして、この後控えているカヲルのシンジに対するガチホモ的アプローチも笑って済ますことができなくなるのではないかとか…。
深く考え過ぎると超えてはいけない一線を超えそうになるので、この辺で次回にホイホイつづく。
・次回感想→『エヴァ』テレビ版感想:23話 ミサトはなぜ手を握ろうとしたのか
・全話感想もくじ→『エヴァ』テレビ版〜旧劇場版/『新劇場版:Q』全感想目次

*1:※風呂場~アスカの絶叫を聞くミサトまではビデオフォーマット版で追加されたシーン(2021年1月16日追記)

*2:※この一連のアスカの内面描写もビデオフォーマット版で追加されたもの(2021年1月16日追記)

*3:このときアスカは人形にすらなりそびれている。

*4:ただアスカの場合、「同族嫌悪」的意味合いはミサトに比べ、より無意識なものであったと考えられる。

*5:※以下の一連もビデオフォーマット版の追加シーン(2021年1月16日追記)

*6:※ここもビデオフォーマット版の追加シーン(2021年1月16日追記)