『エヴァ』テレビ版感想:6話 笑顔が持つ含み

みんな大好きヤシマ作戦回!
 
第5話「決戦、第3新東京市
 
ラミエルからの攻撃で速攻病院送りにされるシンジ。綾波が傍らで見守っているが、その手には碇司令のメガネが。


新劇場版『序』でも綾波はメガネを持ってるけど、控えめな演出に置き換えられている。

エヴァ用のポジトロンライフルではヤシマ作戦に耐えられないので、戦自研の試作機を拝借すると言い出すミサト。「戦自研」は「戦略自衛隊技術研究所」の略。

・作戦組み立てていく際の盛り上がりは素晴らしい。止め絵を多様して作画的にはそれほど重たいことはやってないと思うんだけど、お家芸のテロップもバンバン使っていて、印象的なシーンになってる。
・この回は「笑えばいいと思うよ」時の綾波の顔の作監修正の行き届いて無い感じがやけに印象に残っていたが、こうして見返してみると決めるべきシーンでは案外綺麗だったりする。勿論前回なんかと比べると相当ばらつきは感じるが。以下のキャプは「あなたは死なないは、私が守るもの」のシーン。

 
ただ並べて見てみると、やはり鈴木俊二さんが作画監督を務められている回(5話とか)は流石に良い。実は新劇場版に関しても、絵柄的には『破』よりも鈴木さんが総作監をやられていた『序』の(特にAパート)方が好みだったりする。『Q』の予告を見る限り、『破』以上にキャラデザが脱テレビシリーズという印象を受けるので、不安と期待がないまぜ状態。『Q』は「総作画監督本田雄作画監督林明美井上俊之」という素人目にも豪華な布陣だが、ただやはり、鈴木さんが作画監督ではないというのは少々意外ではあった。
 
・前回綾波に「乗るのが怖くないか」と尋ねたシンジ。今回は「なぜ乗るのか」と、より踏み込んだ質問になってる。それに対し、「皆との絆だから」「他に何もない」と応える綾波
ヤシマ作戦後、綾波の元へ駆けつけるシンジ。「自分には他に何もないって、そんなこと言うなよ。別れ際にさよならなんて悲しいこと言うなよ」と言って泣き出す。ここでシンジが泣くのは綾波が(あるいはお互いが)助かったことへの安堵感もあるのだろうが、綾波の境遇が自分に似ているが故に、自己投影してしまっている部分もあったのかもしれない。
・新劇場版『序』ではゲンドウの笑顔がカットインされなくなり、綾波の気持ちがよりストレートにシンジに向けられたものとして演出されている。ある意味、この場面は『序』において最も象徴的に差別化された部分だった。


テレビシリーズ版について、ゲンドウとシンジの顔が交互に映されていたことから、しばしば綾波の笑顔がシンジではなく、ゲンドウに向けられたものであったとする意見を目にすることがある。個人的には、どちらに対しても向けられていたと解釈している。僕は別にアヤナミスト(死語)ではないし、シンジくんを自分と重ね合わせ過ぎて、「あのとき自分に向けられたと思った笑顔が実はマダオに向けられていたことが受け入れがたい」ためとかそういうことではない。
綾波はシンジとの触れ合いなどを通して、エヴァに乗ることで発生する「絆」に、当初は感じていなかった豊かさを見出していくように思う。そうした心境の微妙な変化が重要なのであって、笑顔が誰に向けられたかというのはわりとどうでも良い気もする。
 
ところで、ここで一旦エヴァオタ必須アイテムであるフィルムブックからの一節を引用させてほしい。

CHECK POINT:嬉し泣きするシンジの行動と感情が理解できないレイ。シンジの微笑みにゲンドウの優しい顔がだぶり、微笑みに変わるレイの顔。シンジにとっては残酷かもしれないが、彼女はゲンドウしか見ていないのだ……。
ニュータイプフィルムブック 新世紀エヴァンゲリオン フィルムブック 2』(1996) 角川書店 p.66

エヴァ』のフィルムブックはビデオやLDの発売に数ヶ月先立ってリリースが開始されたので、番組を録画していなかった者などにとって、しばらくの間かなりの重要アイテムだったことが想像できる。特に21話「ネルフ、誕生」以降はビデオ化されるのに一年ほどの遅れが生じていたため、尚更である。そんな重要文献であるフィルムブックだが、ページ下部に添えられている「一言解説」のようなコーナーでは時折ライター(たぶん岸川靖氏)の主観が垣間見え、内容を押し付けがましく感じることがあった。今回の場合などはその典型だ。綾波が何を想って微笑んだかは、視聴者に想像の余地が残されるべき部分であり、公式の文献に断定口調のコメントが添えられるのは望ましくなかったのではないか。同様のことは23話「涙」において、ミサトが綾波の死に落ち込むシンジの手を握ろうとする場面の解説文にも言えると思う…が、そちらに関しては23話の感想で再度触れるとしよう。

 
・最後は「シンジの笑顔→綾波の笑顔→月→つづく」という、ベタながらも非常に洗練された流れ。『序』の記憶が薄れていたこともありスルーするところだったが、『序』ではこの流れが微妙に異なっているのだった。異なっている、というか、付け足されているシーンがある。

■『序』でのおおまかな流れ
シンジの笑顔→綾波の笑顔→シンジの笑顔綾波に手を差し伸べるシンジ→月→(月面のカヲル→)つづく

ここの変更については松原さんが担当したとされている。元々ラッシュ時点ではテレビシリーズを踏襲した流れだったが、庵野さん、鶴巻さん、松原さんが一様に物足りなさを感じていたらしい。そんな中、松原さんの改変案が庵野さんの耳に届き、採用されたのだそうだ(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 全記録全集』pp.464-465)。元々は綾波にスポットを当てたエピソードとしての側面が強かった「ヤシマ作戦」だが、このアレンジにより、シンジの物語としての側面が強調されている。
綾波の笑顔は『TV版』、『シト新生版』、『貞エヴァ版』、『新劇場版』と色々ある。


どれも思い入れがある素敵な笑顔だが、強いて序列をつけるとするならば、個人的には「新劇場版>TV版>シト新生版>貞本版」となる。
どうも『シト新生』の摩砂雪版はキモオタ視点のフィルターを通した綾波という感じで、コテコテし過ぎてて一瞬戸惑ってしまう。貞本版は失礼ながら、貞本さんのフィルターというのが嫌。テレビ版は単純にスケジュールの問題で作監修正が行き届かなかった感があるけど、それが逆に無垢な笑顔に見せているというミラクル。『序』は他三つのニュアンスをほどよく残しつつ、松原さんが見事まとめ切っているように感じる。
ちなみに、厳密には貞本版は雑誌掲載版と単行本版がある。僕は残念ながら単行本版しか目にしたことがないが、雑誌掲載版では単行本版よりもニッコリしていたらしい(『パラノ・エヴァンゲリオン』p163)。
どの笑顔が好きかで、その人が無意識に求めている綾波像が浮き彫りになりそうな気がするけど、これ以上この話題を深めると気持ち悪がられそうなのでこの辺にしておく。
 
・次回予告「迫り来る使徒に対し抵抗を試みる人々は、ネルフだけではなかった。だが、その民間の開発した巨大人型兵器は、公試運転中に制御不能に陥る。暴走を始めたジェットアローンへと向かうエヴァ初号機。果たしてミサトは、炉心融解を止められるのか。次回、「人の造りしもの」。さーて、この次もサービスしちゃうわよん!」
次回待望のジェットアローン回ですよ。キャー時田サーン!
・今回の予告でミサトがエヴァを「エヴァー」と、語尾を伸ばし気味に発音していることに改めて気づいた。初見時はこれが非常に気になっていた。しかしそれは必ずしもネガティブな意味で気になっていたということではない。イレギュラーな発音をするキャラクターが混じっていることで、作品に広がりを感じさせられたのだ。「そういう発音をする人」として、なんだかミサトというキャラクターに対し、とても人間味を感じた。これに倣って、僕もたまに気分でエヴァを「エヴァー」とか「エバ」とか呼ぶことがある。
稀に「エヴァ」を「エバ」と呼ぶことに強い反発を表明する人を見かけるが、「プラスチック」を「プラスティック」と発音する自由が担保されているのと同じように、「エバ」という呼び方も認めてくれてもよさそうなものである(どうでもいい話題に逸れてきた)。
 
というわけで次回につづく。
・次回感想→『エヴァ』テレビ版感想:7話 ミサトさんキャラ掘り下げ回
・全話感想もくじ→『エヴァ』テレビ版〜旧劇場版/『新劇場版:Q』全感想目次