『ファイナル・ジャッジメント』見たよー

先日アップした『ファイナル・ジャッジメント』&『仏陀再誕』布教エントリが好評だったようで、当ブログの一日あたりのアクセス数が普段の四倍程度に膨れ上がっており少々引いております大変嬉しく思います。

先日のエントリ→『ファイナル・ジャッジメント』を100倍楽しむ方法 - さめたパスタとぬるいコーラ

さて、前回のエントリは『ファイナル・ジャッジメント』公開前に本編未視聴で書いたものでしたが、少なからぬ反響を頂いてしまった手前、鑑賞後に何も書かないのもアレかなと思いましたので、ここに感想エントリを書き散らしておくことにします。前回は映画を観に行くかどうかは名言せずにお茶を濁しましたが、実際にはちゃんと初日に観に行ったんですよええ。
 
■で、ぶっちゃけどうなの?
まず率直な感想を述べますけど、ぶっちゃけむちゃくちゃ面白かったです。
…が、『仏陀再誕』ほどポップではなく、あちらより上級者向けな印象。実写作品であり、現実の日本に起こり得る(と制作側が考えている)事件(=中国っぽい国からの侵略)について、宗教要素てんこ盛りで描かれているだけに、軽い気持ちで映画館に足を運ぶと「えらいところに来てしまった…」と後悔することになるかもしれません。
仏陀再誕』は良い意味で間の抜けた感じというか、「憎めない」ふいんきが全編漂っていてとっても好きだったのですが、『ファイナル・ジャッジメント』は政治思想や宗教要素がオブラート無しで全力投球されてくるため、ネタとして消費するにはなかなかカロリーが高かったです。いや、実際のところ『仏陀再誕』でもオブラートは殆どはがれかけていたので、体感カロリーの差は媒体がアニメか実写かの違いによるものかもしれません。
 
■本編感想(ネタバレ控えめ)
で、本編についてなんですけど、
2009年の選挙結果がそこまでショックだったのか(´;ω;`)ブワッ
というのがまず思うことです。選挙でボロクソに負けた際に溜まったルサンチマンがいたる所でバーストしてます。
  
映画の冒頭、舞台は2009年(幸福実現党が頑張った年)。一生懸命選挙演説する主人公が映し出されます。主人公の所属政党は未来維新党(どうみても幸福実現党がモデル)。ひたすら「隣の国がヤバイ!平和のためには憲法を改正して軍備の増強を!」と主張するのですが、道行く人から相手にしてもらえません。
「一生懸命正しいことを言ってるはずなのに(´・ω・`)」
切なそうな表情を浮かべる主人公。観客は映画館に入る際、入り口付近で懸命に街頭演説を行なう幸福実現党の人たちを見ているので、この描写はなかなかキます。
主人公がルサンチマンを溜め込んでいる一方、劇中に出てくる民友党(どう見ても民主党がモデル)は無邪気に憲法9条の素晴らしさを謳い、平和ボケした民衆はそれを大いに支持します。結果、民友党はその年の選挙で勝利を収め、長年の目標だった第一党の座を射止めてしまうのです。
そして数年後、案の定隣国であるオウラン国(どう見ても中国がモデル)に攻め入られた日本はあっという間に占領され、自治権を奪われてしまいます。そうです、ギアスで言うイレブン状態です。
そんな最悪の状況から宗教パワーで民衆を啓蒙し、オウラン国の支配から抜け出すことが主人公、鷲尾正悟の目標となります。また、正悟には中岸憲三という親友がいますが、彼等は共に政治家を父に持っています。鷲尾哲山&中岸雄二郎、民友党の立ち上げに関わった世紀の大悪党です。この辺もなんとなくギアスのルルーシュとスザクを連想させます。
本作はこうした元ネタ探し的な面白さや、ストーリー本筋のトンデモっぷり奇想天外な展開が面白いのは『仏陀再誕』譲り。見ていて何度も吹き出しそうに感嘆の声を漏らしそうになります。…しかし周囲に座っているのは熱心なファンの方々である可能性が非常に高いため、迂闊に声を上げることは許されません。完全に自分との戦いです。というか、映画の終盤にいたっては場内のあちこちからすすり泣く声が聞こえてきて、なんだかよくわからない脳内物質が放出されるのを感じました。余計なプレッシャーから開放された状態で鑑賞した方は平日の観客が少なそうな時間帯を狙って行くか、ソフト化を待つのが吉でしょう。
 
具体的なストーリー展開に関しては、「カゲヒナタのレビュー」さんがなかなか詳細な記事をアップしてくれていますので、興味のあるかたは是非目を通してみてください。

無宗教者にはキツい「ファイナル・ジャッジメント」ネタバレなし感想+ネタバレレビュー カゲヒナタのレビュー

ヒナタカさんが「ネタバレ」部分でツッコミを入れられているのは、ことごとく僕が鑑賞中に笑いをこらえるのが困難だったシーンばかり。しかし、どこがツッコミ所であるかまでは殆ど意見が一致しているのに、作品そのものへの評価が真反対なのは興味深いですね。
私的には終盤の「敵本部からの脱出」前後のシークエンスは最高でした。それまでそれなりにドラマが築かれてきていたのに、突然週刊少年ジャンプの打ち切りマンガみたいな速度感へと変貌するのでエキサイティング。あのカーチェイスのジェットコースター感は並の演出力で出せるものではなく、それまでの積み重ねとがあってこそだと思います。
 

追記(6月7日)
みんな大好き「破壊屋」さんによる『ファイナル・ジャッジメント』の記事がアップされました。
日本を支配した中国を宗教で倒せ!『ファイナル・ジャッジメント』 | 破壊屋
 
どこを取っても簡潔に面白く書かれていて、とても読み応えのある記事になってます。
本編未見でネタバレを気にされない方は、先に破壊屋さんの記事を読まれたほうが色々理解しやすくなるかもしれません。

 
■その他の雑感(普通にネタバレ)
・今作で感心したのが、他の宗教の信者や無神論者などへのすり寄り歩み寄り。『仏陀再誕』では他の宗教は敵、あるいは初めから無いものであるかのように扱われ、無神論者は問答無用で地獄に落とされていました。ところが本作では悪逆非道なオウラン国の支配に耐えるため、あらゆる宗教者が仲良く一箇所に集結し、協力しあうのです。死後の世界を信じないひとにも主人公が優しく説教してくれますし、実に寛容になったものです。
仏陀再誕』のように「宗教を信じる/信じない」、「良い宗教/悪い宗教」という対立軸で物語を転がすのではなく、予め分かりやすい仮想敵国を設定してから、「父と子」のような普遍的なテーマを核心に近い所に据えて、一般観客へのフックにしようとしてるところも実に巧妙でした。・・・が、そのせいでお祭り映画的な爽快感が減ってしまっている気もします。エル・カンターレ池田大作が野球場で卍解して戦うアニメを知っている身としては、少し物足りなさも感じてしまいました。仏陀再誕サイコー!
 
・正悟が心の中の悪魔とバトルを繰り広げるシーンはCGバリバリで燃えました。悪魔の造形が巨神兵的!それと、主人公が必殺技を放つときのキメポーズやキメ台詞はつい真似したくなりますね。「お前が悪魔と呼ばれるものか!」「立ち去れ!」
 
・序盤〜中盤にかけては「平和ボケした民衆には現状の日本のヤバさが分かるわけないんだよ!」「国民全員に水をぶっかけて目を覚ましてやりたい!」的なルサンチマン爆発な台詞が多く、胸を打たれます。また、「水をぶっかけてやりたい」という台詞からは、庵野監督がテレビ版エヴァの頃に言っていた、エヴァの最後は観客にバケツの水をかけたようなもの」発言に近いものを感じて興奮しました。やはり大川宏洋は近年稀にみる逸材です。
 
・『仏陀再誕』では主人公の父親が死の病を患っているという設定なのですが、無神論者だった父親が改心して仏陀を信じるようになるやいなや、病気がすっかり治ってしまうという倫理的にかなりイケイケな描写が存在します。『ファイナル・ジャッジメント』でも脚が悪い車椅子の少女が出てくるのですが、案の定スーパー悟り人となった主人公の力を借りて、自分の脚で歩けるようになります。
しかし待ってください、早まってはいけません。今回直情的に「臭すぎる」だの「倫理的に〜」だの言うのはお門違いなんです。これは「クララが立った」のパロディなのだから!ありがとう大川宏洋!
また、宗教施設にオウラン国の軍隊が攻めてきた際には、立てるようになったばかりの車椅子少女が主人公の仲間たちと全力疾走で逃げるというハイレベルな笑いも提供してくれます。本当にエンタメ力の塊のような作品です。
 
・「カゲヒナタのレビュー」さんに限らず、結末がテキトーなテロップにより解説されてしまうことに対して不満を述べてる方をチラホラ見かけますが、そうした批判はあまり的を得ているようには思えません。本作主人公の目的は左翼思想や唯物論を否定し、信仰によるハッピーライフの素晴らしさを民衆に叩きこむことなので、最後に渋谷の通行人が主人公の演説に拍手喝采を送っている時点でミッションコンプリートであり、そこで終わるのは至極当然に思えます。その後に大規模な軍事クーデターでも描いてくれていればそれはそれでスペクタクルな面白さがあったはずですが、それを幸福の科学の実写映画に求めるのは酷な気もします。そうしたスペクタクルは次回以降のアニメ映画作品に期待しましょう。
…というか、昔のOVAって冒頭にテロップなどで作品の世界観を概説するものが多かったらしいじゃないですか。『トップをねらえ!』が3話アバンでそれをパロってましたよね。つまり『ファイナル・ジャッジメント』のラストのテロップはそうした作品へのオマーj(ry
  
■ここから重大なネタバレ これから本編をご覧になる予定の方はご注意ください
選挙に敗れてから放浪の旅に出ていた主人公の正悟。正悟は日本が占領されてからしばらくして、元いた東京に戻ってきます。そこで正悟は親友中岸憲三の父、中岸雄二郎が組織する宗教レジスタンス組織「ROLE」の秘密基地に案内されます。そう、あの憎き民友党を立ち上げた雄二郎ですが、実はその後改心して、宗教に目覚めていたのです。
仏教、キリスト教イスラム教、ヒンドゥー教等、多様な信仰を持つ人々により構成されるROLE。雄二郎は日本の現状を打破するには、民衆が信仰を取り戻すことこそが必要と考えたのです。そうしたROLEの状況を目の当たりにした正悟は、突然情緒不安定気味に「自分にはどうしたら良いのか分からない!」と怒鳴り散らします。
この場面、最初僕には訳がわかりませんでした。だって、主人公は幸福実現党(っぽい政党)の演説までしていたのだから、そんな素敵な組織の存在を知ったら本来すぐにでも仲間に入れてもらおうとするはずです。ところが主人公はそこで一旦立ち止まってしまいます。しかし、もう少しストーリーが進むと、本作の驚くべき構造が分かってきます。
正悟は物語の中盤、オウラン国の非道さを前に、一度深く落ち込むことになります。そこにあの車椅子の少女がやってきて、「悲しいことでもあったの?代わりにお祈りしてあげるネ!」と、手を合わせてお祈りをしてくれます。彼女の姿に感銘を受けた正悟は、そこではじめて宗教に惹かれるようになり、雄二郎に信仰についての教えを請うんですね。正悟は元々これといって信仰心が強いわけではなく、日本の現状にはお手上げ状態で、本当にどうして良いか分からなかったから放浪の旅に出ていたのです。つまり、正悟が所属していた未来維新党は確かに幸福実現党っぽかったのですが、あれはあくまで宗教とは無関係な政党だったのです。僕はここに物凄いセンスオブワンダーを感じてしまいました。『トップをねらえ2!』で「宇宙怪獣と思われていたものが実はバスターマシンだった」的な衝撃です。
この衝撃の事実に気づいて間もなく、本作の構成のさらなる妙に唸らされることになります。正悟が特別信仰心を持っていなかったように、未来維新党の関係者であった憲三&ヒロインも、実はそれほど宗教を信じていなかったのです。主人公のROLEへの参加に先駆けて「未来居新党→ROLE」と渡り歩いていた憲三&ヒロインですから、てっきり二人とも最初からガチ信者なのだとばかり思っていましたよ。
『ファイナル・ジャッジメント』は民衆に信仰心を叩きこむことが最終目標ではあるのですが、実は正悟、憲三、ヒロインの3キャラが信仰心を獲得する話でもあるんですね。これには『ピングドラム』の高倉兄妹が実は全員血が繋がっていなかった!的な驚きを感じました。
また、このメインの3キャラが信仰心を獲得する際に鍵となるのが、どのキャラクターの場合も「親」です。正悟と憲三は父親との確執を解消することがきっかけですし、ヒロインは死んだ両親に対して抱えていたトラウマを解消することにより、信仰に目覚めます。
こうした「親と子」というモチーフからは、裏テーマとして

大川隆法と大川宏洋(父と子)の関係→私小説的→エヴァ的!

という解釈を楽しむこともできそうですね!
ちなみに「ROLE」というのは「Religious Organization for Liberty of the Earth(地球の自由のための宗教組織)」の略なのですが、大川宏洋はこの略称についてインタビューで以下のように語っています。

大川真輝 このネーミングのもとには何かあるのでしょうか。
大川宏洋 ネーミングのもとですか。まあ、「主人公の鷲尾正悟たちのレジスタンス組織に、名前がなければ駄目だろう」ということになり、「何にするか」という話がありまして……。
 最初は、確か、ROLEの「E」は「エル・カンターレ(El Cantare)」(※)のEだったんです。しかし、それを大々的に出してしまうと、いろいろと引っ掛かってしまうところもあるので、「アース」となったんです。
エル・カンターレ…地球の神々の主(至高神)であり、創造主としての始原の存在、大宇宙の根本仏。エル・カンターレの御本体が、現代日本大川隆法総裁として下生している。
 
大川宏洋(2012)『映画ファイナル・ジャッジメントの秘密に迫る ―企画から製作秘話まで―』幸福の科学出版 pp56-57
(強調は引用者による)

 
・・・まさに父子愛ですね。泣けます。というか、この辺の裏設定を知っていると、もうなんだか主人公の正悟が大川宏洋に似ているように見えてきます。

鷲尾正悟と大川宏洋

 
仏陀再誕』と『ファイナル・ジャッジメント』でアニメ・実写両方で傑作を生み出すという、押井守庵野秀明でさえなかなかできなかったことを達成した大川宏洋。次回作にも無条件で期待してしまいます。
 
そんなわけで僕にとっての『ファイナル・ジャッジメント』は本当に充実した映画体験で大満足だったのですが、宗派や政治思想と同じで映画の好みも人それぞれでしょうから、観ようかどうか迷ってるひとは最終的にはやはり各自で判断(ファイナル・ジャッジメント)してもらうのが無難でしょうね。
 
…それと、同じ日に観に行った『BLOOD-C The Last Dark』についてですが、そこまで悪くなかったんですが、期待したほどではありませんでした。アクションは凄く良いのに日常パートがテレビ版以上に退屈。テレビ版の最終回がセンセーショナル過ぎて、自分のなかのハードルが必要以上に上がりすぎていた感が否めませんでした。やはり水島努監督は偉大です。